Coco(2017 アメリカ)

監督:リー・アンクリッチ、エイドリアン・モリーナ

脚本:エイドリアン・モリーナ

製作:ダーラ・K・アンダーソン

製作総指揮:ジョン・ラセター

音楽:マイケル・ジアッチーノ

主題歌:シシド・カフカ feat. 東京スカパラダイスオーケストラ「リメンバー・ミー」(日本版エンドソング)

石橋陽彩、藤木直人、橋本さとし、松雪泰子(吹替版キャスト)

 

①きちんと準備して作る、ということ

アカデミー賞の長編アニメ賞をとった「リメンバー・ミー」、とても面白かったです。

観てて強く感じたのは、「ちゃんとしてる」ということ。

いやほんと、あらためて、「ちゃんとしてる」ことは素晴らしくて尊敬すべきことだなあ…と思ったのです。

 

ディテールが素晴らしいんですよね。メキシコの風景や死者の街が細部まで詳細に作り込まれ、死者の日の様々な風習もしっかりと描写されて、映画全体にメキシコの空気感をしっかり、濃厚に行き渡らせています。

そのようなしっかりとした土台の上に展開されるから、ドラマも強い説得力を持っていく。

キャラクターが生き生きと息づいて、自然と感情移入が深まっていきます。

 

パンフレットを見ると、映画を本格的に作り始める前のリサーチに3年かけている。

メキシコに行き、現地の空気を嗅ぎ、現地の人々と触れ合い、またメキシコ文化の各分野の専門家からきちんと学んで、映画を作るための基礎体力をしっかりとつけている。

 

ここ! ここだと思うんですよ。

アニメは、ここが要だと思うのです。実写だと、舞台となる風景は何もしなくても存在するし、人間もまずはそこにいるわけじゃないですか。

アニメでは、そうはいかない。絵に描かない限り、何も存在しない

アニメは何もかもを白紙から想像力で構築しないといけないから、この基礎体力が足りないと途端にふぬけたものになってしまうのです。

 

地道なリサーチ。描くべき対象について、きちんと学ぶこと

昔々、スタッフが本当にスイスに行って見てきた上で「アルプスの少女ハイジ」を作った…というような、質の高いアニメを作るために本当は不可欠であるはずの基本。

そのような丁寧な作業を怠らず、しっかりとやっていることが、ピクサーの作品の高いクオリティの秘訣だろうと思うんですよね。

資本力とか、最新技術とか、そういうこともあるだろうけど、最大のところは、基本的な地道な努力

それを怠っていないかどうか、なんではないでしょうか。

 

②知る喜び、メキシコというテーマ

それだけの綿密なリサーチの上に組み立てられているから、メキシコの文化について、楽しみながら深く知っていくことができます。

この「知ることができる」というのも、子供たちを対象にした映画に備わっていてほしい特質だと思うんですよ。

映画を通して、ストーリーを楽しみながら自然と知識を身につけることができる。押し付けのお勉強では入っていかないことが、むしろ強く記憶に残っていくことになります。

 

藤子・F・不二雄先生が脚本を書いていた頃のドラえもんの映画とか、本当にこれが得意でした。

この間、テレビでたまたま昔の「のび太の海底鬼岩城」を観たんですけど、知識がいっぱい込められているんですよね。大陸棚とかの海底の構造から深度による生物の分布、中央海嶺とかマリアナ海溝と言った言葉とか、アトランティスやバミューダトライアングルとか。

で、結局今も残ってるそういう知識って、子供の頃にドラえもんで得た知識だったりします。

学校で習ったことはもう大方忘れたけど、漫画やアニメで知ったことは忘れなかったりする。

 

知ることって、子供にとっては純粋に「楽しみ」だから、うまいこと入るととても引きつけるものになるんですね。

教えることが先に立って楽しみを置き去りにしちゃマズイけど、きちんと子供の観客に向いている表現は、映画を通して「知ることができる」という側面にも自覚的であると思います。

 

そして、その知る対象が今回、メキシコであるということ。

そこはやっぱり、メキシコとの国境に壁を作ると主張する男が大統領である現実をふまえたテーマ設定なんでしょうね。

ブラックパンサー」がアフリカ人への偏見を払拭する一助になるように、この映画も偏見のある現状を変えていく力になる。そんな思いが込められているのでしょう。

だからテーマの上でも、志が高い。子供たちに伝えたいことがきちんとある、そういう骨太な映画になっていると思います。

③夢へ向かって進む明快なプロット

物語は非常にシンプル

先祖からのしきたりで家族に音楽を禁じられている少年ミゲル。でも音楽が大好きで、どうしてもミュージシャンになりたい。

ひょんなことから生きたまま死者の国に行ってしまったミゲルは、生者の世界に戻るための許しと、音楽をやることの許しを求めて、死者の国をさまようことになります。

 

このミゲルの行動が、常に夢に向かってまっすぐなんですね。

たとえ障害があっても、自分の命が危険にさらされたとしても、一切の迷いなく夢に向かって進む。いかにも少年らしい一途さで、映画にわかりやすいストレートな芯を通しています。

 

途中何度か差し挟まれるミゲルの歌のシーンで、彼に才能があることがはっきりと伝わるから、観ている側も彼を応援する気持ちが高まっていきます。

彼の歌の上手さ、演奏シーンの高揚感が、ミゲルが夢にまっしぐらに向かうプロットに確かな説得力をもたらしている。シーンがプロットを補完する、実に理想的な作劇です。

これは声優の力、僕が観たのは吹替版なので、13歳で演技も歌も見事にこなした石橋陽彩くんの力ですね。

 

それだけ一心に夢に向かっていたミゲルの思いが、ある場面を境に、変わっていくことになります。

ある登場人物の正体が明かされてそれまでの価値観がひっくり返る、この映画の大きな転換点です。

そしてここから、この映画の序盤から通してのもう一つのテーマである「家族の大切さ」へと、物語は集約されていくことになります。

 

シシド・カフカとスカパラバージョンの予告編。すごく気持ち良い予告編です。

④今はもういない人も含めての、家族

「家族の大切さ」というと月並みなようですが、この映画でのポイントは、それがただ現在生きている家族だけを意味するのではないこと。

既に死んでしまった家族、生まれる前に死んでいたご先祖様も含めての家族について描いているというのが、この映画の最大の特色と言えます。

 

普通は見えないものを絵にできるのがアニメーションの強みですが、今回描かれた「見えないもの」は、ご先祖様たち

死者の国にいて、生きている我々を見守ってくれていて、一年に一度、日本のお盆に当たる死者の日にだけ帰ってくる。

お話の中ではそんなふうに語り継がれているけれど、でも実際には誰にも見えない、感じることもできない。そんな存在であるご先祖様を、映画は生き生きと?描き出しています。

 

両親がいて、おじいさんとおばあさんがいて、ひいおじいさんとひいおばあさんがいて、ひいひいおじいさんとひいひいおばあさんがいて…。

過去に向かって延々と続く連鎖の末端に、現在の自分がいる。

自分が今ここにいるのは、連綿と命を繋いでくれたご先祖様たちの「おかげ」である…ってそんなふうに言葉にすると、どうしても抹香臭くなっちゃいますが。

大事な気づきだと思うんだけど、法事の場でお坊さんのお説教で聞いても今ひとつ入ってこないですよね。こんな形で、ポップな娯楽ストーリーの中で伝わるのは、価値あることだと思います。

 

そして遠いご先祖様だけじゃない。やっぱりどうしても、もっと近しい死んでしまった家族に、思いは及びますよね。

おじいさんとかおばあさんとか、あるいは親とか。

そして、自分は子供と一緒にこの映画を観ている…なんてことを思ったりすると、命のつながりの不思議をあらためて感じたり。今はもういない人に、会いたい気持ちがぐっと込み上げたり。

そういうことをいろいろ、感じさせてくれる映画でもありました。

⑤そして歌も吹替も…

感動的なシーン、泣けるシーンもたくさんあるけど、決して押しつけがましいところはない。

シリアスなシーンでも必ずユーモアの要素を入れて、映画の風通しをよくしています。だからとても観やすい。

子供でも全然わからないところがない、すごくわかりやすい。でもだからと言って、説明が過剰であったりドラマが浅かったりするわけでもない。ただきちんと、丁寧にわかりやすく作っているということ。

 

やっぱり書けば書くほど、「ちゃんとしてる」んですよね。

きちんと調べて努力して、わかりやすく、丁寧に、作っている。それをリスペクトしなくてどうするんだ、って話ですよね。

 

音楽も素晴らしかったです。「リメンバー・ミー」の歌は頭の中でぐるぐる回りますね。

僕は吹き替え版しか観ていないので原語版と比べられないですが、キャストの演技も歌も本当に良かったです。同時上映の「アナ雪」に匹敵するくらい、完璧な吹き替え版だったんじゃないでしょうか。

シシド・カフカとスカパラによるエンディングの主題歌は、むしろ原語版よりも良かったんじゃないかな。ものすごいアガるアレンジ、さすがスカパラ。

 

それから、邦題。原題は「ココ」なんですよね。ひいひいおばあちゃんの名前。

物語上大事な名前なのでそれはそれでわかるんですが、よりしっくりくるのは「リメンバー・ミー」の方なんじゃないかと思います。この邦題も、グッジョブです。