この記事は「ネタバレ解説1」「ネタバレ解説2」「ネタバレ解説3」「ネタバレ解説4」の続きです。
シエラ・ボニータ2590
ベティとリタは、電話帳で調べたダイアン・セルウィンの住所、シエラ・ボニータ2590に出かけます。
地図上でのシエラ・ボニータ2590の位置は以下の図の通り。カミーラ/リタがマルホランド・ドライブから降りてきて、通り過ぎたフランクリン・アベニュー7400のすぐそばに位置するのが興味深いところです。
ふらふらしながら歩いたカミーラ/リタの状況を思うと、そこからさらに遠く離れたヘイブンハースト1612まで行ったと考えるより、シエラ・ボニータ2590の場所にあるアパートに迷い込んだ…と考えた方が、よほど自然であるように思えます。
カミーラ/リタがさまよい歩いたのはダイアンの夢の中なので、ダイアン/ベティに出会う家はダイアンの住所の位置に移動させられているわけです。
実際には、シエラ・ボニータ2590というのは有効ではない住所であるようです。
シエラ・ボニータの共同アパートの外観は、同じロサンゼルスのグリフィス・パーク・ブルーバード2912にある建物がロケ地に使われています。
ここは、地図のエリアの東側、グリフィス天文台や有名なハリウッド・サインのあるグリフィス・パークと、シルバーレイクに挟まれた辺りに位置します。
シルバーレイクといえば、2018年の映画「アンダー・ザ・シルバーレイク」に登場していました。ハリウッドを舞台に現実か幻想かわからない謎が錯綜する、「マルホランド・ドライブ」を意識したような映画でした。
サングラスの男たちが乗った車に気づいて、リタは隠れるように言います。
リタは何者かに命を狙われている(ということになっている)ので、ダイアン・セルウィンの家がリタと関係があるなら、そこは見張られているはず…ということになるのでしょう。
リタは終始、怯えていて、ダイアンを訪ねることに消極的で、ベティが彼女を先導しています。
この構図は、後半(現実)で終始カミーラがダイアンを主導していることの裏返しになっています。
リタはダイアンの正体を突き止めて、真相を知ることを恐れています。それはダイアンの夢が破綻することを意味し、夢が終わることになるからです。夢が終われば、夢の住人であるリタはそれ以上存在できません。
本来は、夢が終わればベティも困るはずです。悲惨なダイアンに戻らなければならないのだから。でも、夢の終わりへの恐怖は、ベティではなくリタに託されています。
通りを見張っているような男を見て、ベティとリタは隠れます。
しかし彼はただの運転手で、黄色い服の赤毛の女性を迎えに来ただけでした。
女性はサングラスをかけていて、女優のようにも見えます。赤毛はルース叔母さんも連想させます。彼女が出掛けるシーンは、ルース叔母さんがヘイブンハーストの家を出かけたシーンの繰り返しのようでもあります。その朝と同様に、リタ(と、今回はベティ)は茂みに隠れています。そして、地図が示すようにリタが辿り着いた家はここである方が自然です。
彼女の高名な女優のようなたたずまいは、シエラ・ボニータの安っぽいアパートとは似合っていません。これも、このシーンに微妙な非現実っぽさをもたらしています。
あるいは彼女は女優でなく、コールガールなのかもしれません。そうであれば、これまでのいくつかのシーンで示唆されていた売春組織と、シエラ・ボニータの接点が生じることになります。
12号室と17号室の謎
12号室を訪ねると、黒髪の女性が答えます。しかし彼女はダイアン・セルウィンではなく、部屋を交換したのだと言います。現在のダイアンの部屋は17号室。
アパートの住所表を見ると、17号室の住人は"LJ DeRosa"となっています。この黒髪の女性がLJ・デローザで、12号室のダイアンと部屋を交換した…ということになります。
デローザは、ダイアンを数日間見ていないと言います。ベティとリタが17号室に向かおうとすると、彼女も付いてきます。彼女は、ダイアンの部屋に荷物がまだ残っているのだと言います。
しかしそこで電話が鳴り、デローザは引き返します。ベティとリタは二人で17号室へ向かいます。
ここにはいくつかの謎があります。第一に、ダイアンとデローザはなぜ部屋を交換したのか。
同じ敷地の中のアパートで部屋を交換するには、なんらかの理由が必要だろうと思えます。引っ越しの手間だけでも面倒くさいし、よほどの理由がなければそんなことはしないはずです。
デローザの態度から、交換を持ちかけたのはダイアンであろうと思われます。ダイアンの側にそうしなければならない理由があり、デローザの側にもメリットがなければそんな取り引きは成立しなかったでしょう。
考えられるのは、ダイアンが何かから逃げている…身を隠そうとしている…という事情があって、部屋の交換を頼んだということ。後半で示される「殺し屋への依頼」を事実とするなら、ダイアンが自分の部屋にいたくないと考えるのはあり得ることと思われます。
ただ、そうはいっても同じアパートの敷地内ですからね。本気で身を隠すなら、引っ越した方が良いように思えます。
また、デローザの側にも応じるメリットが必要です。例えば、17号室より12号室の方が、広くて良い部屋であったとか。
仮に、より広い12号室でダイアンがカミーラと同棲していて、カミーラが出て行ってダイアンが一人になってしまった…とかの状況であれば、ダイアンがその部屋を出たいと思い、デローザが交換を受け入れる…ということもあり得るのかなと思います。
12号室の室内は一度も描写されないのですが、デローザを呼び止める電話は意味深ですね。
ベティとリタは電話帳で探してダイアンに電話をかけたのですが、部屋の交換はせいぜい3週間前。電話帳に記載されていたダイアンの電話番号は、元の住所である12号室にかかった…と思う方が自然であるように思われます。
その時の留守番電話のテープ「私よ。メッセージを残して」は、赤いランプシェードの部屋の電話にセットされたテープです。後にダイアンが、カミーラからのパーティーへの誘いの電話を受ける場所ですね。
ということは、「赤いランプシェードの部屋」は12号室である可能性が高い…ということになりそうです。
17号室の女
ベティは17号室をノックしますが誰も答えません。ベティは裏へ回り、窓から部屋に侵入します。
ここでは、リタは終始消極的で、ベティは積極的ですね。本来、この部屋の秘密を暴いていちばん困るのは夢を見ているベティであるはずですが…。
17号室の中は薄暗く、ベティとリタは悪臭に顔をしかめます。
悪臭の出どころはベッドルーム。赤いシーツのベッドに、腐敗した女の死体が横たわっています。
それは、黒いノースリーブの下着と、黒いショートパンツを履いた白人の女。髪はブロンドでショートカットです。左手に薄い黄緑色の腕時計またはブレスレットをはめているように見えます。
このベッドは、後にダイアンが自殺することになるベッドです。しかしその時のダイアンは白いバスローブ姿で、この死体とは異なっています。髪の長さも死体の方が長いようです。
この死体はクレジット上では"Blond in Bed"と呼ばれ、Lyssie Powellという女優が演じていることになっています。
従って、死体はベティ/ダイアンその人ではないように見え、だからベティも動揺することはないのですが、しかしそれでもやはりこの死体はベティ/ダイアンだろうと思います。
ベティとリタが17号室を尋ねるこのシーンはダイアンの夢の中なわけですが、しかしこのアパートとデローザの状況は現実世界のこのタイミングと呼応しています。
デローザは3週間前にダイアンと部屋を交換し、「最近ダイアンを見ていない」と言っています。そして、ダイアンはベティになった夢を見ている。
ということは、この時の17号室のベッドには、ダイアンが眠っているはずです。
「夢の中の自分が、自分が眠って夢を見ているその現場を訪ねてしまったという状況」が、これなんですね。さすがリンチ。すごい発想です。
夢の中の自分が夢を見ている自分と出くわす時、自分の「生命」は夢の中の自我に移行しているわけです。ということは、夢を見ている自分は死体として認識される…ということですね。
死体が腐敗しているのは、「3週間も経っている」からだろうと思われます。デローザと部屋を交換した後、ダイアンは部屋に閉じこもって、デローザの呼びかけにも答えず、ひたすら夢を貪っていたのでしょう。
その見た目が別人に見えるのは、デローザがベティを見てダイアンとわからないのと同じ作用でしょうね。
死体を見て動転するのはベティでなくリタです。プロット上では、ダイアン・セルウィンが自分だと思い、シエラ・ボニータを自分の家だと思って訪ねてきたのはリタなので、自然な反応ではあります。
ただ、ベッドの死体はリタには似ていません。黒いコスチュームはベティよりはリタに近いけれど…。
夢を見ているダイアンの意識という面では、リタ/カミーラはダイアンの依頼によって死の淵にある(あるいは既に死んだ)状態です。だから、リタは常に自分が死ぬ恐怖を突きつけられ、怯え続けているのだと言えます。
また、現実では死ぬ運命の(あるいは既に死んだ)リタ/カミーラは、ダイアンの夢の中の世界でのみ生き続けることができます。ベティが夢を見ている自分に出会ってしまい、夢であることに気づいて目覚めてしまうと、リタ/カミーラの命も終わります。リタがシエラ・ボニータへの訪問を恐れているのは、それも理由の一つでしょう。
逃げ出したリタとベティの映像は、二重写しのようになります。ここは、リタとベティがカミーラとダイアンという別の現実と重ね合わせの状態にあるということを示しているようです。
リタのベティへの同化
ヘイブンハーストの家に帰ったリタは、自分の髪をハサミで切ろうとします。
ベティが止めて、「私にやらせて」と言います。リタはブロンドのかつらをつけて、ベティそっくりの見た目になります。
これは、愛する相手を自分と同一化してしまいたい…というダイアンの願望の表れですね。愛するカミーラに、自分に憧れ、自分になりたいと思ってほしい。
実際には、カミーラはリタに憧れるどころか、リタを置いてスターダムを登りつめてしまうのですが。
ここでのリタの行動は奇妙で、つじつまの合わないものになっています。リタは死体を見て怯えていましたが、髪を切ってショートカットになるというのは自分を死体の女に近づける行為です。
さらに、ブロンドのかつらをかぶることでリタはますます死体の女に近くなってしまいます。これは、リタの恐怖と矛盾しているようです。
この辺りの一連の流れから、これまであまり浮上していないもう一つの可能性が垣間みえてきます。リタを単なる夢の登場人物と見るのではなく、むしろ主体的人物であると考える見方です。
ここで、リタはベティになろうとします。自分が死体になるという運命から逃れて。
映画の中で起こったのは、実はそういうことかもしれません。
リタは、前途洋々たる女優の卵であるベティの境遇を乗っ取り、彼女と成り代わったのかもしれません。
これは、従来の見方をまるっきり逆にする解釈です。
前半を夢、後半を現実とするのではなく、前半と後半を、普通の時系列で見る見方です。
その場合、ダイアン・セルウィンだったのはリタの方になります。彼女はおそらく売春婦で、ジョーの組織との間に何らかのトラブルを抱えていたのでしょう。
リタの部屋である17号室で死んでいた女は、「お前もこうなるぞ」というリタへの警告かもしれません。
自宅を訪ねて、死の運命を目の当たりにしたリタは、ベティになろうとします。そのための手段が、「クラブ・シレンシオで行われるマジック」です。
「マジック」の結果、ベティは本来の自分をリタに奪われ、みすぼらしい運命のダイアン・セルウィンとして目覚めることになります。
そして、まんまとベティの境遇を手に入れたリタは、カミーラ・ローズの名で成功します…。
この場合、12号室と17号室の「部屋の交換」というのも、ベティとリタが交換することの象徴になりそうです。
ここからクラブ・シレンシオにかけてのシーンでは、この解釈もそれほど無理がないように見えます。ベティをクラブ・シレンシオに連れて行くのはリタです。
ベティになるリタ
ベッドのベティとリタ
夜、ベティはリタを自分のベッドに迎え入れます。
ベティ「ベッドで寝るといいわ。広いもの」
リタ「何もかもありがとう」
ベティ「いいのよ」
ベッドに入ったベティとリタは、やがて自然に愛し合うことになります。
ベティ「前にも経験がある?」
リタ「覚えてないわ。あなたは?」
ベティ「一緒にいたいわ。あなたに恋したの。あなたが好き」
ダイアンがカミーラに捨てられる悲惨な現実と違って、ここではリタがすがるようにベティに近づき、ベティがリタをリードしています。
一方で、ベティがリタをベッドに迎え入れるというのは、彼女がリタに「自分自身を明け渡してしまう」ことの象徴とも取れます。
二人とも眠った後、夜中の2時に、リタが寝言をつぶやき始めます。
リタ「シレンシオ(お静かに)」「楽団はいません オーケストラも」
ベティに起こされたリタは、「お願い来て。今すぐに」と言い出し、二人はタクシーに乗って深夜の街へ出かけていきます。目指すは、クラブ・シレンシオ。
クラブ・シレンシオ
リタがベティを誘うクラブ・シレンシオ。リタがどうしてその場所を知っていたのか、どうして夜中の2時にそこへ行かなければならないのか、それは一切説明されません。
なぜかわからないけれど、そこに行かねばならない。その肌触りはまさに夢です。午前2時という時刻も含めて、クラブ・シレンシオのシーンは夢の中の夢のシーンのようです。
二人がタクシーで乗り付けるクラブ・シレンシオの外観は、サウス・ブロードウェイのパレス・ニュースリール・シアターで撮影されています。
これは、「ライアン・エンターテインメント」のビルのすぐ向かいに当たります。
クラブ・シレンシオの内部は、同じくサウス・ブロードウェイのタワー・シアターで撮影されています。
これは、アダムが宿泊するパーク・ホテルの撮影に使われたのと同じ場所です。
ここから、ライアン・エンターテインメントとパーク・ホテル、クラブ・シレンシオという3つの場所の関連が示される…かどうかは分かりません。単に、手近なロケーションを使っただけかもしれない。
しかし、パーク・ホテルのクッキーが、クラブ・シレンシオのMCでもある…というのは奇妙な一致です。
真夜中にも関わらず、クラブ・シレンシオの客席には何人かの客がいます。
ベティとリタが席につこうとするシーンで、手前の席に座っているのは「ツイン・ピークス」のローラ・パーマー(シェリル・リー)に見えます。
確かにそう見えるのですが…シェリル・リーは一切クレジットはされていません。
殺されたローラのいる世界…ツイン・ピークスでは、赤いカーテンの部屋「ブラック・ロッジ」ですね。
クラブ・シレンシオも「赤いカーテンの劇場」です。ブラック・ロッジと同じく、ここは「世界と世界の間の場所」であるようです。
そして、「ツイン・ピークス」の続編である「The Return」では、序章で殺されたはずのローラ・パーマーは別人に成り代わることになるのです。
ローラ・パーマー?
舞台には「マジシャン」が現れます。
「楽団はいません/オーケストラも/これは全部録音したものです」
「ここに楽団はいませんが演奏は聴こえます/クラリネットをご所望なら/次はトロンボーン/ミュートをつけたトランペット」
「すべて録音されている/楽団はいません/これはすべてテープです」
「オーケストラはいない/これはすべてイリュージョンです」
青い稲妻が光り、ベティは激しく震え出します。
「ダイアンの夢」の中でのクラブ・シレンシオの役割は、ダイアンに「これが現実でなく、まやかしの夢」であることを理解させ、夢から目覚めることを促すこと…とされています。
マジシャンは繰り返し繰り返し、しつこいくらいに「これは現実でなく、まやかし」であることを強調します。
その意味でとる限り、このシーンはとてもわかりやすいものです。いろんな出し物がありますが、すべて一つのことを主張しています。「録音されたもので、楽団はいない」ということです。
「まやかし」以外の意味も、そこから読み取ることができます。
音楽や歌は聞こえるけれど、演者はそこにおらず、すべては過去に録音されたもの。
ということは、ベティやリタはそこにいるように見えるけれど、実は存在しておらず、「過去に録音(録画?)されたもの」であるということが仄めかされます。
17号室の死体と、そこで結びつきます。夢を見ている「ダイアン」が誰であれ(ベティであれ、リタであれ)、その実体は既に死んでいて、ここには存在しない。
ここにいるように見えるのは、ただの「テープ」であるということです。
そんな真実を突きつけられたのだとしたら、ベティが激しく震え、二人が涙を流すことも無理がないことに思えます。
音や映像は見えるけれど、実体はそこにはなく、すべては録音されたもの。
それは「映画」でもありますね。
クラブ・シレンシオは、ベティとリタに「これが映画であること」を突きつけているようです。
これが「映画」であれば彼女たちはいずれ今の役を降りて、現実世界に戻らなければならないわけです。
赤いスーツの男(MC=パーク・ホテルのクッキーと同じ人物)が現れ、歌手を紹介します。
「紳士淑女の皆さん/クラブ・シレンシオが贈るロサンゼルスの泣き女/レベッカ・デル・リオ!」
"Señoras y señores, el Club Silencio les presenta - la llorona de Los Angeles, Rebekah del Rio!"
レベッカ・デル・リオはその名で活動している歌手であり、これは本人役での出演ということになります。
MCが紹介する「泣き女(La llorona)」はスペインに昔から伝わる幽霊譚の主人公です。
昔々、ある女が浮気した夫への当てつけに、二人の子供を川で溺れさせ殺し、自らも命を絶った。女は悲しみのあまり、子供をさらいに来る悪霊になってしまった…。
…というのは、「死霊館」シリーズの映画「ラ・ヨローナ〜泣く女」の時に調べて書いた伝説です。思わぬところで繋がりますね。
これは、「浮気したカミーラへの怒りでカミーラを殺す依頼をするダイアン」の象徴でしょうか。レベッカ・デル・リオは泣きながら歌い、歌の途中で倒れて「既に死んでいた」ことを明らかにします。
彼女が歌うのは"Llorando"。ロイ・ロービソンの「クライング(Crying)」(1961)のカバーです。
「しばらくは元気だったの/笑顔でいられたわ
でもゆうべあなたに会って/手を握られて/あなたの声を聴いた時
私は取り乱さなかったわ/だからあなたには分からなかったのね
あなたを慕って泣いていることが
あなたを思って泣いているのよ
あなたはサヨナラを言って私を置き去りにした
私は一人で泣いている/ただ一人/泣いている
なぜなのかしら/あなたに会っただけで/また私は涙に暮れる
あなたを忘れたと思っていたわ/でもこれは本当のこと
以前にも増してあなたを愛してる/でも私に何ができるの
あなたの愛は冷めてしまった/だから私は永遠に
あなたを慕って泣き続けるだけ」
レベッカ・デル・リオの歌は、ダイアンのカミーラへの愛を思い出させ、その喪失を嘆くものになっています。
ダイアンは恋人に裏切られて泣き女になってしまい、怨念を込めて復讐に現れることになるわけです。
歌の途中でレベッカ・デル・リオは倒れて、舞台裏に運び去られます。ここでもしつこく、「これがテープであること」が繰り返されています。
何度も何度も「これが現実でないこと」を刷り込んでいく。これは「洗脳」のようでもあります。
クラブ・シレンシオを「リタがベティと入れ替わるためのマジック」とするなら、これはベティに「これが現実でなく夢であると思い込ませる」ための暗示であるということになります。
これは…「インセプション」を思い出しますね。ノーランのあの映画では、レオナルド・ディカプリオ演じる主人公が夢の世界から出ようとしない妻を現実に戻すために、「これは夢であり、現実ではない」というアイデアを妻に埋め込みました。
このタイミングで「インセプション」を観たのは偶然でしかないですが。映画を観てると、こういうシンクロニシティみたいな偶然がしばしば起こって面白いです。
レベッカ・デル・リオの退場とともに、ベティは自分のカバンの中に「青い箱」が出現しているのに気づきます。
レベッカ・デル・リオはのちに、リンチの「ツイン・ピークス The Return」の第10話に出演しています。