イエスは”まもなく”帰ってくる?
マタイ26章63節64節にこうある:
- しかし、イエスは黙っておられた。そこで大祭司は言った、「あなたは神の子キリストなのかどうか、生ける神に誓ってわれわれに答えよ」。
- イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。
ここでいうあなたがたとは大祭司らのこと。
しかし、大祭司らは人の子がもどってくるのはみなかったのではないだろうか? 2000年ちかく経過したいまでも。
イエスの生涯その2
祈れば叶えられる?
聖書をつかって、特定の主張をすることは可能である。
たとえばイスラムの神学者が新約聖書からイエスはメシアではなく予言者であったと
いう証拠を新約聖書から主張できる。
そういうことが可能であることは東康男牧師はよくしっていた。
そしてそれは彼自身の主張にもあてはまることである。
さて、聖霊のバプテイズマを論じるときに
同様のことがいえる。と思っている人がおおい。
伝統を重んじる教会では
聖霊の洗礼は水の洗礼をうけたときに受けるという人が多い。
その理由の第一:ひとは自己満足しやすい。
イエスキリストによって救われたのにそれ以上なにを望むのか?
私には聖霊の洗礼は必要がない。
すでに与え荒れているのだから。
といっても、その根拠は弱い。せいぜい、水のバプテイズマをうけるときに
聖霊が関与していたというにすぎない。
本当はパウロがいっていたように、”かれらは聖霊をうけたのか”、
あるいは聖霊のバプテイズマにはあきらかなしるしがともなうのに
それは自分の信仰、水のバプテイズマで救われた、と合致しないので
余計なことは考えない。
いまの自分で充分なのだからと。
そういいながら、かなわぬ祈りを繰り返し
凡庸でステレオタイプな聖書勉強を継続している。
聖霊のバプテイズマをうけつけるには
畏れがあるのだ。
聖書になんとかいてあるか、どうよむかではない。
おまけに、
聖霊のバプテイズマをセントラルメッセージにしている
アセンブリー派は評判が芳しくない。
韓国のチョーヨンギさん本人の女性スキャンダルはひろくいきわたっている。
知り合いが援助していたアセンブリー派の牧師も問題を起こしていたというし
わたしのしっているアセンブリー派の牧師も
世俗的すぎて人格にも問題がある。
このように神学的な主張は聖書にそっているのに、
現実は逆の生活をしているひとたちが多い。
聖霊はもともとイエスが私たちの助け手として
約束をしたものだがこれが逆目にでている例がおおいのが
現状だ。
それに、聖霊のバプテイズマを望み祈ってもなかなか
実現しないという超難問がある。
願えば叶うとあるのに叶わない。
信者はかならず叶う、しかし
その時は神様が決めるという。
その時はわからない。
いつ実行されるか日時指定のない約束が約束といえるだろうか。
たとえばイスラムの神学者が新約聖書からイエスはメシアではなく予言者であったと
いう証拠を新約聖書から主張できる。
そういうことが可能であることは東康男牧師はよくしっていた。
そしてそれは彼自身の主張にもあてはまることである。
さて、聖霊のバプテイズマを論じるときに
同様のことがいえる。と思っている人がおおい。
伝統を重んじる教会では
聖霊の洗礼は水の洗礼をうけたときに受けるという人が多い。
その理由の第一:ひとは自己満足しやすい。
イエスキリストによって救われたのにそれ以上なにを望むのか?
私には聖霊の洗礼は必要がない。
すでに与え荒れているのだから。
といっても、その根拠は弱い。せいぜい、水のバプテイズマをうけるときに
聖霊が関与していたというにすぎない。
本当はパウロがいっていたように、”かれらは聖霊をうけたのか”、
あるいは聖霊のバプテイズマにはあきらかなしるしがともなうのに
それは自分の信仰、水のバプテイズマで救われた、と合致しないので
余計なことは考えない。
いまの自分で充分なのだからと。
そういいながら、かなわぬ祈りを繰り返し
凡庸でステレオタイプな聖書勉強を継続している。
聖霊のバプテイズマをうけつけるには
畏れがあるのだ。
聖書になんとかいてあるか、どうよむかではない。
おまけに、
聖霊のバプテイズマをセントラルメッセージにしている
アセンブリー派は評判が芳しくない。
韓国のチョーヨンギさん本人の女性スキャンダルはひろくいきわたっている。
知り合いが援助していたアセンブリー派の牧師も問題を起こしていたというし
わたしのしっているアセンブリー派の牧師も
世俗的すぎて人格にも問題がある。
このように神学的な主張は聖書にそっているのに、
現実は逆の生活をしているひとたちが多い。
聖霊はもともとイエスが私たちの助け手として
約束をしたものだがこれが逆目にでている例がおおいのが
現状だ。
それに、聖霊のバプテイズマを望み祈ってもなかなか
実現しないという超難問がある。
願えば叶うとあるのに叶わない。
信者はかならず叶う、しかし
その時は神様が決めるという。
その時はわからない。
いつ実行されるか日時指定のない約束が約束といえるだろうか。
ペテロのいうイエスキリストの名によるバプテズマ
ペテロは使徒行伝のなかで
五旬節の日に聖霊をうけたのちにその場所で聖霊をうけていない人々に
2章38節で
ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。
といっている。
この部分は議論をよびそうなところである。
水のバプテズマと聖霊のバプテズマが同時に進行しているように
解釈されるからである。
これだと一般の教会がおしえているように
イエスをうけいれるときに聖霊のバプテズマも自動的におこなわれるという解釈が成立してしまう。
一方、パウロはこれらは別々に行われるように書いている。
対立事項を含めて聖書を全体から読まないと一方的な解釈におちいってしまいがちだ。
これ以外にも説教をきいている間に突然、異言をかたりはじめたという記述のあるところもある。
結局、いまの聖書をそのままうけいれるとすると
いずれのケースもあり得ると考えざるをえない。
このように聖書の解釈は簡単ではない。
五旬節の日に聖霊をうけたのちにその場所で聖霊をうけていない人々に
2章38節で
ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。
といっている。
この部分は議論をよびそうなところである。
水のバプテズマと聖霊のバプテズマが同時に進行しているように
解釈されるからである。
これだと一般の教会がおしえているように
イエスをうけいれるときに聖霊のバプテズマも自動的におこなわれるという解釈が成立してしまう。
一方、パウロはこれらは別々に行われるように書いている。
対立事項を含めて聖書を全体から読まないと一方的な解釈におちいってしまいがちだ。
これ以外にも説教をきいている間に突然、異言をかたりはじめたという記述のあるところもある。
結局、いまの聖書をそのままうけいれるとすると
いずれのケースもあり得ると考えざるをえない。
このように聖書の解釈は簡単ではない。
ゲッセマネの祈りは3回繰り返し
祈りという物は
繰り返しおなじことを祈るなとおもいきや
そうでないところもある。
ゲッセマネでのイエスの祈りは3回繰り返したとある。
繰り返しおなじことを祈るなとおもいきや
そうでないところもある。
ゲッセマネでのイエスの祈りは3回繰り返したとある。
- そしてペテロとゼベダイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた。
- そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。
- そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
- それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。
- 誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。
- また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。
- またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである。
- それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。
ウランテイアブックのイエスの生涯 その1
The Urantia Book contains the most spiritually compelling story of Jesus anywhere in print. It provides a detailed narrative of Jesus' entire life including the socalled "missing years," his discourses, parables, significant life events, crucifixion and resurrection. This life and teachings of Jesus is supplemented by an extensive spiritual cosmology provided in the first three sections of The Urantia Book.
使徒行伝最終章
使徒行伝は前半の一部が使徒たちの働きで全般はパウロの働きを書いている。
使徒行伝の最後はどうなっているか:
パウロは、自分の借りた家に満二年のあいだ住んで、たずねて来る人々をみな迎え入れ、はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣(の)べ伝え、主イエス・キリストのことを教えつづけた。
使徒行伝の最後はどうなっているか:
パウロは、自分の借りた家に満二年のあいだ住んで、たずねて来る人々をみな迎え入れ、はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣(の)べ伝え、主イエス・キリストのことを教えつづけた。
パウロの艱難
パウロの受けた艱難にすいては
第二コリントの11章に詳しい:
彼らはキリストの僕(しもべ)なのか。わたしは気が狂ったようになって言う。わたしは彼ら以上にそうである。労苦したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。
ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、
ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。
幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。
なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。
だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。
もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。
パウロの道を進む者にはこれだけの苦難がまちうけている。
主はわたしたちにも同様な艱難を望まれているのだろうか?
聖書は複雑すぎてわからない。
第二コリントの11章に詳しい:
彼らはキリストの僕(しもべ)なのか。わたしは気が狂ったようになって言う。わたしは彼ら以上にそうである。労苦したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。
ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、
ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。
幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。
なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。
だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。
もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。
パウロの道を進む者にはこれだけの苦難がまちうけている。
主はわたしたちにも同様な艱難を望まれているのだろうか?
聖書は複雑すぎてわからない。
聖霊のうけかた
聖霊はどのように受けられるかはルカ伝11章に明示してある。
さらに具体的な方法がここにある。
水の洗礼のあと
さらに具体的な方法がここにある。
水の洗礼のあと
11:9[編集]
そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
11:10[編集]
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
11:11[編集]
あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。
11:12[編集]
卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。
11:13[編集]
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。