なぜイエスの名によって祈るのか?
といって祈ります。なぜそうするのでしょうか?
それは聖書でイエスさまがそのように祈りさいといているからです。
ヨハネの福音書 14章12,13節
まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそ れよりもさらに大きなわざを行います。 わたしが父のもとに行くからです。またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けにな るためです。
すべてを神様に委ねるのか?
神様、私の病気が治るの治らないのもすべてあなたにまかせますということは
イエスさまが望んでいるのだろうか?
すべて神さまにまかせるのならことさら祈りを一生懸命する必要はないのではないか?
あえて自分の願望を祈り信仰によって癒しを受けるという
任せきりではなく主体的な行為をイエスさまは望んでおられるのではないか・
ここに脳梗塞になった姉妹の例があげられているがそのへんが
不明確になっていて
神様のなさることはすべてよいと締めくくっている。
脳梗塞の癒しの例
一部引用:
私は、現在、「主の十字架クリスチャンセンター北九州生ける神の教会」の牧師をしています。今回、神さまの恵みによって、「脳梗塞」が許されました。 教会の「断食聖会」(2004年2月10日~13日)の2日目の夜、突然、頭が重くなり、右手の指が動かなくなり、口が変形し、ろれつが回らなくなり、歯ブラシもできなくなりました。 この時、一瞬ですが、天国に行くことになって、そこでとりなしの祈りをしなければならないかも知れないと思いました。 しかし、このことを徹底して感謝し、この日は休みました。
徹底した感謝 導かれた賛美
次の日、飛び上がって神さまをほめたたえると5回で息が切れ、立っていられなくなりましたが、横になって感謝を続けました。神さまは最善以外なさらな
いので、このことも、神さまは益としてくださる事を固く信じていました。
「脳梗塞」の症状になって、3日目の「賛美の祈りと練習」のとき、「大いなる主のみわざ」の賛美で、「ハレルヤ ハレルヤ 大いなる主をほめよ」のフ
レーズを繰り返し賛美することを語られました。ですから、そのフレーズの賛美を繰り返しているとき、主の臨在が強くなり、その臨在の中で、主が触れてくだ
さり、言語障害も、口の変形もいやされ、右手の指も正常に動くようになりました。
癒しの証
アセンブリーオブゴッド系の教会は異言を重視している。
つくば市にもあるがこちらは牧師が不祥事を起こしたことでもしられている。
これらは癒しが答えられた例だが
癒しが答えられなかった例がどれくいらいなのか不明だ。
そしてその理由が不明だ。
クリスチャンに与えられたチカラ 2
マルコ 16:17-18
「
信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇を もつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
これはイエスさまの言葉だ。
このとおりにならない場合はどうするのか?
”信じる人々”
の意味をちゃんと理解できていないのか?
クリスチャンに与えられたちから
クリスチャンに与えられたちから
ルカ 10:19
「確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。」
病がサタンがもってきたものならクリスチャンは病に打ち勝つちからが与えられているということになす。
これは教会の牧師や信者があかしているのではなく
新約聖書にそうかいてある。
問題はすべての病気はサタンがもってきたのか?
アダムとイブをとおしてならそうだといえるかもしれない。