今日は映画を見て、カフェに行ったり、ドライブしたり、田舎ならではの一日を過ごした。








田圃の中を車で走っている時、稲の緑の力強さが懐かしくてくらくらしたけれど、今の鈍らせすぎた感受性が悲しくなった。



子供の頃はもっと近くに全てがあって、私の世界はとても狭い範囲の中でしか存在していなかったけれど、それでもどこまでも続いているようだった。




今の私は昔に比べて、たくましくなり、生きやすくなったけれど、鈍らせすぎたこの鎧を剥ぎ取って、本来の卵みたいなつるんとした私だけでいられたらいいのになぁ。





雨の音が聴きたい。
















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この間、天気もいまいちすっきりしないし、体調もなんだか微妙にだるくて、仕事にも疲れてるし、どことなく私自身の周りに不安が取り巻いていた時。




一本の電話が私を少しだけすくい上げてくれた。




それを思うと、どんよりした心持ちの日々でも、少しだけふわんと明るさが灯る。




本当にありがたいと思った。


この世界のプラスマイナスはとっても上手い具合に完璧に調和されたタイミングを持って、私に降り注いでくる。



だから全て±0になるよね!



本当はプラスもマイナスな事も何もない。
与えられた事をこなした結果がすべてあるべき事になると思う。










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どうして私は一つの事をずっとずっと好きで居続ける事ができないんだろう。



常にもっと新しい物、もっと広い世界へ、そんな風に生きてきた。




私が、私の中での普遍的として気に入る物なんて、本当に少ない。




それを今、とても寂しく感じる。





夜の特急列車は、いつでも私を記憶の襞と襞の隙間に追いつめる。普段ならとっくの昔に忘れていたような事が、ありありと頭の中で再生されるのに、そこから立ち上ってくる疎外感に、ノスタルジックを感じてしまう。




その胸が苦しくなるような孤独感や憧憬が入り交じった感情は、私が今まで生きてきた証拠として、私に降りかかってくる。


孤独感を感じているときが一番心地よく、生を実感できる。


孤独は空虚感とは違う。

静であり、無ではない。





列車が駅に着いてしまえば、それはまた日常の中に隠されて、またしばらく会えなくなる。





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なんだかとっても大きな虚無に襲われた。



昨日あんな日記を書いてしまったのも、虚無のせい。

いや、日記が虚無を呼んだのかもしれない。




言霊ってあると思う。

だから今日はなるべく美しく優しい言葉で。




無理矢理明るくするのは私は好きではないけれど、どんなに暗くて、底にいても、やっぱり希望の光を見出して、それに向かっていくのが人間だと思う。

それがどんなにかすかな光でも、見出せる。
もしくは光がなくても、そこに光があると信じられるのが、人間だと思う。





話はまったく違うけれど、なんだか昨日ふっと思った。
私は、私の人生を借りているだけなんだ、という事。


妹はこの体は入れ物、もしくは乗り物と言っていたけれど、私には借り物に思えた。



自分の体が自分だけの物でないと感じられた。



私の中に私がちょこんと居る感じ。







この虚無は旅から帰ってきた後の寂しさみたいなものなのだろうか。







私は今帰りたいのだろうか。













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