久しぶりにたくさんの人に会うと、普段感じない部分が刺激される。



感受性が強くなり、防御しようとして、外側へ向かって鋭くなるし、思ってもない事ばかりが口から出てくる。




後から襲ってくる、逃げ場のない後悔。





苦しくて、リフレインする。






意味がないと分かっていても、他人と自分を比べてしまう。



私は私だから。


分かっている。





私の内側は大丈夫。

損なわれてなんかいない。






だけど少しだけ暗い深淵に立って、自分の危うさを確認したいだけ。
















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白いしるしを読んでから、私の恋愛観の重苦しさをやっと少し客観的に受け止められた気がする。




かと言って、それが悪いとは思わなかったのも良かった。
人と違うだけなんだと、自然にそう思えた。





私には私の感じ方しかできないじゃないか。



私は私でいる事を、私は私の感じ方でいいという事を、間違っていないという事を、私自身にもっと伝えたい。


伝えた事が刃になり、深く深く胸の奥まで突き刺して、私の奥底に焼き付けたい。













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白いしるしを読んだ。

久々に私の琴線に触れるというか、私の中の苦しい部分が揺り起こされた。


電車の中で途中まで読んで、駅に着いたとき、感受性が強まりすぎて、世界がまぶしくて上手く歩けなかったし、夜風すら私の肌に当たるのがじれったく、重く邪魔に感じた。



そして、母性について考えた。


私が18歳の頃、初めて本当に人を好きになった時、私は母性の固まりでしかなかった。


男性として好きなのではなく、私の中の母性が表面まで浸食してきてしまって、一人の男の子を捕らえてしまったのだ。

なんて不健全だったのだろうと思う。

私があのとき恋愛だと思っていた物はただの母性のおしつけでしかなく、それで彼を狭い世界に連れ込んでしまったのだ。

あの頃の私は彼と一緒に外へ未来へと歩んでいくビジョンなど、微塵も見えていなかったし、望んでも居なかった。

限られた空間の中で時間が永遠に伸びればいいと願っていたし、彼と二人だけの狭い世界にいつまでも身を置いていたかっただけだった。

何度でも言うが本当に不健全極まりない。





私の恋愛そのものを見ているようで、とても気分が悪くなったけれど、人間そう簡単に変わらないようで、また恋愛がしたくなった。



私はこの本の中に出てくるまじまくんがとても好きだ。

まじまくんは私がその後好きになった人にとてもよく似ているように思えた。
















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人に期待していらいらしてしまうなんて、絶対良くない。



無意識の内に、依存が隙間から入り込んでくる。




無い物を欲しがるよりも、今ある物を点検して感謝しよう。



言葉で表すのは簡単だけど、実際は私にとって一瞬一瞬が難しい。


だけどそれを心に留めておこう。

それを実行するのが難しいというのも、よく心に留めておくべきだとも思った。











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ここ最近、ハウルの動く城がたまらなく見たくて、やっと今日見ることができた。


高校生の頃、公開初日に見に行ったのを今でも覚えているけれど、その頃には何とも思っていなかっただろう事を感じ取れたり、違ったように解釈できたり、私も変わっているんだろう。
あれから10年程月日が流れているのだと思うと素直にびっくりする。






高校生の頃には、まさか今のようになっているなんて思いもしなかった。



友達になりたかったけどなれなかった人と、卒業後に仲良くなるし、まさか今になっても仲良くしているなんて、人生は思わぬプレゼントを用意してくれているんだなぁ。





そしてやっぱりハウルがかっこいい!



















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