好きな感覚を求めて -21ページ目
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想い。

昨日の報道ステーションで紹介された巨大水彩画。加川さんという方がその目で見た被災地を表現している。武蔵美の油絵科を出て、仙台の予備校の主任を務めているその方は、やはりかなりの画力をお持ちで、作品の壮大さとその画力に圧倒された。でも、ちょっとして、そうじゃないってことに気付いたの。上手い作品なんて、この世にいくらでもある。そうじゃなくて…、作品に想いが、想いが込められている。伝えたいという気持ち。

そういう気持ちで、私もう何年も描いてない。それどころか、絵を描いていない。描きたいという気持ちすらなくなっている。

だから、まっすぐ伝えたいという気持ちが眩しい…

幼い頃から絵を描くこと、ものを造ることが好きだったけど、いつからか描きたいというより、伝えたいという気持ちが強くなっていた。それは大学で、そういう気持ちで描かれた作品にたくさん出会ったからだと思う。画力はなくてもそういう気持ちは育って、苦戦しながら描いていた。表現できなくて苦しむことも含めて、今おもえば、楽しんでいたのかもしれない。

こうしてまた想いの詰まった作品に出会うと、表現者としてありたいと強く、強く思うのです。

たどり着けない域。

授業で使うナイフが足りなかったため、準備室の隅々まで探すと、奥底から古びたナイフが発掘された。もの凄い錆で、全く切れそうにない。でも、このナイフがないと困るのである。さらに砥石も発掘し、用務員さんに聞いてみた。説明を聞きながら、わくわくしていた。片刃でも難しからと、用務員さんがやることになったが、どうしてもやりたくて「今後のために…」と一本だけ確保した。言われた通り、研いでみる。摩擦の抵抗感がまた心地いい。刃を水に晒すと、美しい輝きが。…見とれてしまう。水気をタオルで拭くと、繊維が刃に引っ掛かった。…  あれ?  数秒後、言われたことを思い出す。研いだ後は内側に刃が向いてるらしく、反対から研いで刃先を整える必要があるらしい。やってみると今度はタオルに引っ掛からなかった。傘に当たる雫の音にときめくトトロの様な気持ちである。とても繊細なものに作業。美しい。職人技は美しい。私なんかがたどり着けない域だけれど、少しだけ味わえたこの感覚。とても憧れる。先日見たプロフェッショナルのかけつぎ職人。食い付いて見ていた。息を飲む腕さばきはキラキラしていた。何でも中途半端なところで行き詰まる私には眩しく感じた。

職人技は美しい。

ものつくるひと。

ときどき、過去を振り返る。小さなきっかけから辿って、ひとつまたひとつ。小さな箱に映る画、手元に届く画、力強くてとても力強くて、また懐かしい。触れてみて自分が何年もの間そこから遠退いてたことに気付く。胸がぎゅっとする。何とも寂しい。そして、やっぱりうらやましく思うのだ。懐かしい感覚に、その力強さに巻かれて、自分も、と。そう強く思うの。

そしてまたこうしてる間も、ものつくるひとは、動き進み温めながら自分の世界を保ってく。

今の生き方もいいのだけど、久しぶりに夜空を見上げたときのように、何だかせつなくなるのです。




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