想い。
昨日の報道ステーションで紹介された巨大水彩画。加川さんという方がその目で見た被災地を表現している。武蔵美の油絵科を出て、仙台の予備校の主任を務めているその方は、やはりかなりの画力をお持ちで、作品の壮大さとその画力に圧倒された。でも、ちょっとして、そうじゃないってことに気付いたの。上手い作品なんて、この世にいくらでもある。そうじゃなくて…、作品に想いが、想いが込められている。伝えたいという気持ち。
そういう気持ちで、私もう何年も描いてない。それどころか、絵を描いていない。描きたいという気持ちすらなくなっている。
だから、まっすぐ伝えたいという気持ちが眩しい…
幼い頃から絵を描くこと、ものを造ることが好きだったけど、いつからか描きたいというより、伝えたいという気持ちが強くなっていた。それは大学で、そういう気持ちで描かれた作品にたくさん出会ったからだと思う。画力はなくてもそういう気持ちは育って、苦戦しながら描いていた。表現できなくて苦しむことも含めて、今おもえば、楽しんでいたのかもしれない。
こうしてまた想いの詰まった作品に出会うと、表現者としてありたいと強く、強く思うのです。
そういう気持ちで、私もう何年も描いてない。それどころか、絵を描いていない。描きたいという気持ちすらなくなっている。
だから、まっすぐ伝えたいという気持ちが眩しい…
幼い頃から絵を描くこと、ものを造ることが好きだったけど、いつからか描きたいというより、伝えたいという気持ちが強くなっていた。それは大学で、そういう気持ちで描かれた作品にたくさん出会ったからだと思う。画力はなくてもそういう気持ちは育って、苦戦しながら描いていた。表現できなくて苦しむことも含めて、今おもえば、楽しんでいたのかもしれない。
こうしてまた想いの詰まった作品に出会うと、表現者としてありたいと強く、強く思うのです。