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思索の遍歴  科学と真理



 『科学における真理は、普遍妥当的ではない』と言い出したら、不穏当な発言のように思われるだろうか。しかしこれは別にとりたてて騒ぎたてるほどの事でもなく、少なくとも科学哲学と言う分野では、ある程度までは踏まえるべき前提条件でしかない。

 実は「真理」とか、「普遍妥当的」という定義がクセ者なのだ。これを厳密に定義しようとすると、上記のようなことになる。まず踏まえるべきは、科学における真理という条件と、哲学における真理の条件の差異である。
 哲学における「真理」とは、基本的に「論理的」なものである。例えばカントは判断を、「分析的判断」と「総合的判断」に分けている。「分析的判断」とは、述語が主語のうちに含まれているものを指す。例えば「物体はすべて延長を持つ」という命題は、「物体」という概念のうちに「延長」が含まれているとカントは主張する。

 これに対して「物体はすべて重さを持つ」という命題は、物体という概念から飛び出して「重さ」という概念で拡張しているというのである。これは正直、よく判らない例かもしれない。僕もどうしてそういう理屈になるのか判らない。が、こちらは総合判断で、「より誤りやすい」判断なのだ。
 もうちょっと判りやすいところでは三段論法というのがあるだろう。「人間は全て死すべき者である」「カントは人間だ」「カントは死すべき者である」というヤツである。大前提、小前提、結論…だったかな?

 こういう判断と言うのは、「概念の外に出ない」うちは誤謬が生じない。これが間違いのない「真理」のモデルである。しかし現実の判断というのは、ほとんどの場合、「社会は自己言及的な運動をしている」とかの類の、その対象の意味を拡張するような判断ばかりだ。それでこの拡張の際に、いかに誤謬を減らせるか、が哲学の課題だった。
 対して科学の問題と言うのは、大まかに言えば『因果関係』の確定である。しかしこの「因果関係」それ自体を、「真理の判断」と見做すか否かが問題となってきたのだ。

 因果関係の批判者として有名なのは、イギリスの哲学者ヒュームである。大雑把に言うとヒュームは、因果関係というのはある出来事Aの後に、別の出来事Bが生起することを意味している。しかしこのAとBが必然的な関係を持っているとは限らず、それは単に偶然に連続して生じた現象かもしれないというのだ。
 必然性/偶然性という差異に対して、蓋然性という言葉がある。例えば100回やったら、100回同じ結果が出たとしても、それは「蓋然的な」判断であって、「必然的な」判断ではない、というのがヒュームの言ったことである。この意味では「因果関係」それ自体が、『真理認識』とは見做されないという事なのだ。

 こういう哲学上の背景があって、科学がそれとは別だ、無縁だとか思ってはいけない。極めて深く影響しあいながら、両者の関係は現在でも濃密に関連してるのである。
 そもそも科学的に物事を説明するとはどういう事だろうか。ここでは中心的な位置を占める物理学だけに、話を絞って考えてみたい。アインシュタインの書いた物理学入門書、『物理学はいかに創られたか』はアリストテレスの『力学』における誤謬の判断から話を始めている。

 それは『運動体はこれを押す力がその働きを失った時に静止する』というものである。アインシュタインはこの説明は、我々の直感に適合的で、長くそれが信じられてきたことを無理もないとしている。
 これに対して我々は、物理学の授業で習う『慣性の法則』を知っている。アインシュタインはこれをガリレオがいかに発見し、ニュートンがそれを理論化していったかを書いているが、それは「純粋の思索」によって得られた結論なのだとしている。

『この慣性の法則は実験から直接に導かれるものではなく、ただ、観察と矛盾しない純粋の思索によってのみ得られることは既に見た通りです。つまり理想化された実験が現実の上の実験を、よく理解させることになるのですが、この理想化された実験そのものは決して現実に行われるものではないのです。  』
(『物理学はいかに創られたか』上巻 石原純訳 岩波新書)

 物を押して、その力がなくなったら物は動きをやめる、というアリストテレスの説明。それに対して、「摩擦、つまり別の力を加えない限り、物は運動を止めない」というガリレオの説明が替わったわけである。このガリレオの説明は、実際には真空で無重力の空間のなかで実験しない限り、確実な説明とは言いがたいものである。
 しかしその実際の実験が行われる前に、「慣性の法則」は、少なくとも科学の世界では「真理」として流通したわけである。僕は毛利さんの人工衛星内での実験を見て、初めて「慣性の法則」が間違いのない理論だったという感慨を納得するに至った。

 しかしこれは「同じ現象に対して、異なる説明の仕方を与えているだけ」という感慨を得ないだろうか。ある物事に対して幾つかの異なる説明があった時、そのどれが選ばれるかはその説明の「説得性」であって、「真理性」とはそういう意味で「説得力」という社会的次元の問題
と関わっているということなのである。
 そのアインシュタインの作った相対性理論だが、これが出てくるまではニュートン物理学がその「真理性」を誇っていた。これがその中心的な位置を交替することになったのは、天体の観測におけるニュートン力学での理論値と観察のズレが、相対性理論では推論通りに観測されたからである。

 つまりこれは実験にもとづいて、相対性理論の方がより多くのことを観察できる理論である、と認識されたということである。しかしそれまではニュートンの理論は『普遍妥当的』であると思われていたのである。この交替劇は、「真理と思われた理論も、より広い観察力を持つ理論にとって替わられることがありうる」ということの好例となったのである。
 『普遍妥当性』という概念は、「永遠に妥当すること」という意味を本来内包している。この意味で「物理学の真理は、普遍妥当的ではない」という最初の命題が現れるのである。つまり相対性理論や量子力学などの現在の最先端物理学も、ニュートン物理学のようにその座を明け渡す可能性があるということだ。

 この可能性が0ならば、それは完全無欠の普遍妥当性である、ということになる。しかしそれを数学的に証明することが不可能である、という事を証明してしまったのが、有名な数学者ゲーデルの『不完全性定理』というものである。これはある公理系が無矛盾であるとき、証明も反証もできないような命題が存在する、ということを証明したものである。
 実は書いてる本人も、その数学的手続きはさっぱり判らない。ので、文系的に記述してみると、「あるクレタ島人は、『全てのクレタ島人は嘘つきだ』と言った」とかいうような命題に象徴されるような事になるらしい。元の数学的証明は集合を用いるものなのだが、つまり自身が内包されてるような集合に対して働きかけるときに、矛盾が生じるということだと言えるかと思う。

 つまりこれはある公理系が、その集合だけで完全に無矛盾に完結しえない、という事を意味している。理論レベルで言えば、どのような理論であれ、その理論だけで自身の真理性を証明できない、ということである。
 もしある理論が、厳密に「観察」あるいは「外界」に基づいているものであって、決して我々からの『内部構成物』ではない、という証明ができれば、物理学の真理性は保たれる。…はずだった。実はゲーデルの証明は幾人もの哲学者が、物理学の真理性を証明しようとしたその果てに、その手続きを厳密化して現れた誤算だったのである。

 では物理学は「世界」や「外界」、あるいは対象に「全く触れていない」のか? そうではない。しかし例えばその理論上の推測位置がずれていても、ニュートン力学全体が誤謬だとして退けられることはなかったというような歴史的経緯もある。そのことについて、哲学者クワインは次のように書いている。

『また、理論によって含意された経験が現実には生じないこともしばしばである。そしてそのときには、理想的にはその理論が間違っているとわれわれは宣言する。けれども、その失敗は、ひと塊になった理論ーすなわち多くの言明の連言ーを全体として反証しているにすぎない。
 その失敗は、これらの言明の一つないしは幾つかが間違っていることをしめしているのであって、どれが間違いであるかをしめしていない。これらの経験は。理論を構成する言明のうちの、ほかならぬ或るひとつの言明によって含意されているのではない。  』
(「自然化された認識論」伊藤春樹訳 現代思想1988年7月号収録)

 要は理論全体が間違っているのではなくて、その中のある部分が間違っているとか、あるいは「特例」「誤差」などの納得の仕方で、大枠の理論自体は残されるということである。ニュートン力学による観察誤差は、まさに「観察上」の誤差として考えられたりしていた。
 しかしクワインは有名な『ノイラートの船』という譬えを出して、科学の状況を説明している。それは科学の営みは、自ら船に乗っていながら、船の修理や拡張をしていくような営みだという。仮に土台が間違っているとしても、それをいっぺんに取り替えることはできない。そうしたら、船自体が沈んでしまうからだ。

 しかし科学哲学の結論としては、物理学を含めた科学理論が、何らかの意味で「世界」に直結してるものではなく、社会的な次元を持つ「構成物」であることは既に了承済みだと言っていい。それは水に浮く船のように、地に足をつけていないものだと言い換えてもいいのだ。
 ただしこれをもって「科学はウソだ」とか、「科学は間違ってる」ということはできない。科学による観察結果は、往々にして正確である。一万回やったら一万回同じ結果が出るくらい正確であると言ってもいい。それは技術のレベルや日常の水準では、間違いなく「妥当的」な観察方法だといえるだろう。

 しかしそこにおける「真理」という基準は、実は極めて特殊な意味を孕んでいる、という話なのである。多くの場合、このような「真理性」にこだわる必要はないし、科学は十分に「使える」ものなのだ。こういう状況をもって鬼の首を取ったように科学批判をするのも、基本的には間違いである。「真理」という概念の特殊性が十分説明されてないからだ。
 ただ、この「構成物を外界に投射する」という方式が、近代的の他の動向と連動する性格のものだけを留めておく必要がある。それは現代までつがる我々の生活に、深く関わってくるからである。
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  • 武術散策  柔術の面白さ  



     木曜日はドラネコ商会の稽古納めだった。こうしてドンドン正月に近付いてゆくのである。

     どうも、柔術が面白い。ダイクマさんの柔術は、僕が今までやってきた柔道とも、合気道とも違う。しかしその原理には応用可能性があると同時に、本来的な意味での「柔術」の使用法を再認識させてくれる。
     何回か稽古に通ううちに少しずつではあるが、ダイクマさんの柔術技の幾つかの基本原理というものが判り始めた。とりあえず僕の理解したところを一つ見てみようと思う。

     塔手(右手の甲と甲を互いに合わせた形)から始める。右手をくるりと下に返すようにして、そのまま左手に送る。左手で相手の手首を取ると、それを持ったまま左足を踏み込みつつ、前方下部に引き落とす。その際に右手は、相手の膝裏に手刀を切り込むようにすり落とす。ダイクマさんが「外無双」と呼んでいる技である。
     この技は力でもって、相手の腕を落とそうとしてもまず相手は倒れてくれない。最初は握った手に力を込めたり、勢いをつけて下に落とそうとしたりして、うまくできなかった。しかしちゃんとできていれば、ゆっくりと等速でやってもできる(はずである)。

     もう一つ、非常に基本的かつ代表的ものを。塔手の形から、左手を下から寄せていき、相手の手首を取る。相手の腕を左手側に開いて、その肘部を、自分の右手刀で切り落とす。うまくできてれば、相手は後ろに逃げたりする前に下に崩れ落ちる。
     この技もまた、切り落とす右手に力を入れても、相手は倒れてくれない。掴んでる左手を強くしても駄目。切り落とす手に体重を乗っけたりしても駄目である。しかしちゃんとできてれば、静かに等速で動いても相手は後ろに倒れる(はず)。

     さらにもう一ついってみよう。やはり塔手の形から、今度はそのまま相手の手首を取る。それを引いて相手を下に引き崩した後、左に踏み込みながら、相手の肘裏部に自分の左手腕刀部を乗せる。そのままそれを下に落とし、相手を下に崩し倒す。
     これもまた切り落とす腕に力を込めればいいというものではない。また切り落とす腕に、全体重を預ければいいというものでもない。加重のかけどころがあってれば、軽い体重でも相手は下に崩れ落ちる。

     さてこの三つの柔術に、共通する「原理」がある。それは例えば自分の動き側では、「足と腕の切り落としの同時性」だったりする。しかしそれが守れても、相手が崩れないときがある。それは一体、何故なのか?
     自分の動きがちゃんと守れていても相手にはきかない、と言う場合がある。それは「自分の身体運用」以外に、「相手の状態」をきちんと守れてないからである。もう一つ重要な原理は、「相手の肘を、相手の『後ろ』に落とす」という共通要素である。

     一見、かなり違って見える三つの技だか、手と足の動きが一致するようになったら、後は「相手の肘を相手の後ろに落とす」ということに気をつけていれば、かなり技の確実度は高くなる。実はダイクマさんの柔術技の多くに、この原理が使われている。
     これは実は、柔道の一部の技にも共通する原理であることが判った。柔道ではどうしても、かけたり、刈る足に注目しがちだが、実は要点は上半身の崩しにある。その中でも小外がけや、大外刈りなどは、この「肘を後ろに崩す」ということが極めて有効に機能することが判った。

     こういう事は、「身体運用」だけに注目する最近の観点では見落としがちになる点である。自分がどんなに正しく動いていても、相手を充分にその体勢に追い込んでなければ、技というのは効かないものなのだ。そこに柔術の難しさと、また尽きることのない面白味がある。
     こういう事は実は、柔術を通して始めて、非常に意識的に見えてくる点である。相手の状態はともかくとして、相手に攻撃を加えることを旨とする打撃や武器では、実は相手の状態を操作することの重要性は少し見えづらい。

     しかし打撃にしろ武器にしろ、真に有効な一撃を入れようと思ったら、相手の状態を操作するのはもちろんである。そこには柔術に共通する原理があるのだ。だからこそ古流剣術の多くが柔術を平行学習したのだと思われる。
     また空手などの打撃においても、「相手を据え物にして打て」などという話が残っているし、拳法においてもキンダと呼ばれる関節技法などがその相手の操作の要点につながっている。相手を居つかせたり崩したりした上で、確実な一撃を入れる。これが防げない質のものだからこそ、古来の達人は達人だったのだろう。

     柔術の稽古、そこにはそういう道を辿るための興味の尽きない面白さがある。

       *    *   *

     今年最後の稽古の後は、ダイクマさんと「すき家」でメシなど食べに行った。そこで僕が「肘を後ろに落とす」という事を発見した旨を話した。そうするとダイクマさんは、「え!? 何をいまさらそんな事を言ってるんですか? 前から言ってるじゃないですか、分析家のハルカさんらしからぬ発言だなあ」などと言われた。

    「いや、説明してないですよ! ダイクマさんは自分は思ってる以上に、説明が少ないですよ。『こんな感じ』とかすぐ言うし」
    「え~? いや、みんな既に知ってますよ、そんな事。みんな判ってるって」
    「いや、長い人はともかく、なにげに聞いてない人は多いんじゃないかなあ。それに体感覚として判ってても、理屈としては理解してないかもしれないじゃないですか。だからこそ、僕の日記が読まれてるんじゃないですか?」
    「え~、みんな知ってると思うけどなあ」
    「じゃあ、今度、日記に書いてみますよ」
    「いいですよ、けどみんな知ってますよ」

     とかいうくだりがあったので書いてみた。実際のところどうだろう? しかしそれはともかくとして、ダイクマさんから意外な言葉が。

    「今回は柔術が中心でしたね」
    「ハルカさんが組み手とか打撃に、あまり関心がなさそうだったんで」
    「え? じゃあ僕に合わせてもらったんですか?」
    「そうです(笑)」
    「…ありがとうございます。いやあ、よかった」
    「けどね、ハルカさんは蓮で言ったら、『花』の部分だけ見すぎなんですよ。もっと根の生えた泥の部分を見なきゃあ」
    「いやいや、僕は花だけで結構です」
    「情けない! ダメですよ、ドロドロの殴りあいとかしなきゃあ(笑)」


     いや、けど植芝先生も「私は白い花の生まれ変わりです」と仰ってたので。これはまた非常に深い問題なので、これから考えを深めていくべき宿題なのである。
     
     
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  • 日々の事  初バトン!!



     今まで「バトン」なるものがよく判らなかったので大体スルーしてきたのだが、今回、マイミクのうみこぞうさんに立ち入った質問もした手前やってみることにしようと決めた。

     そもそも何故、今までバトンをしなかったかというと、バトンなるものを見ても質問事項が多く、やるには大変な労力が想像される。しかも読む側としては質問事項の多さに対して回答は短く、一つ一つの印象は薄れてしまう。そんな訳でバトンはスルーしてきたのだった。
     しかしならば何故、世の中の人はバトンをやるのか? 「バトン」なるものがネットに普及してるのは何故なのだろう? やる側になって初めて判ったのだが、ここには「自己確認」の面白さがあるのではないだろうかと思うに至った。

     質問に答えることで「ああ、自分はこういう人間」という確認作業がそこには生まれる。と、同時に、それはバトンを渡された人やその周辺の回答者と比較しての、「この人はこうだけど、自分はこう」というような「差異によっての自己確認」もあるかと思われる。
     と同時にその確認された自己を「自分はこういう人」と提示することで自己紹介し、かつ自己周辺上の人への理解を深めることができる。またそのネットワーク上にある種のルールの設定することで、それを共有するゲーム感覚も楽しめる。

     …まあそんなわけで普及してると思われるバトンだが、僕がやる上で他の人はやってもらう必要は無い。と、いうのも僕のマイミクさんには武術家が多い。
     往々にして武術家といのは人から指図されるのが嫌いで、しかも協調性に欠けることが多く、大体が独力でなんでもなんとしようという感じの人が多い(と思う)。そんなわけでバトンなるものを共有する人があまりいるとは思えないので、僕のバトンは僕がアンカーでいい。

     前置きちょー長いけど始めてみよう。しかしバトンの妙は「自己紹介」だと思うので、少し文彩を加えてみる。

    *好きなタイプを外見で答える
    顔: 二通りあって卵型とホームベース型。僕を含め父方は弥生人系の卵型である。しかし新潟出身の母親は縄文系のホームベース型。感情移入する時は卵型だが、人間関係を作るというイメージだとホームベースな気がする。余談だけど、うちの奥さんは、僕の妹より僕の母親に似てるとか言われる。 

    体型: 体重100kg超級でなければ大丈夫。
    身長: 2m超えてなければ大丈夫。 
    服装: ネコミミ、尻尾のコスプレとかでなければ大丈夫。
    性格: 明るくて強気、けど少しヌケてるとかがいい。
    髪型: モヒカンと、坊主頭にハーケンクロイツとかでなければ。

    *年上が好き? : 老けてなければいい。
    *エロイ人好き?: 下品でなければ。 
    *100回好きと言われるor一度強く抱きしめられる: 女性向けの質問だな。
    *浮気されたらどうする?: どうしよう?
    *Hうまい人好き?: ハグが上手い人ってこと?
    *フレンチorディープ?: 犬と馬かな? 犬。
    *何歳から何歳までok?: 自分の年齢を考えて。相応なら。
    *SorM?: 太陽か月ってこと? 自分を月に見立てて僕を太陽のように見る人もいるけど、自分を太陽に見て僕を月に見る人もいる。
    *人前でkissできる? :奥さんとロックなら大丈夫。
    *人前で抱きつける? :奥さんとロックなら大丈夫。
    *人前でヤれる?: ストリ-トファイトを? なるべく避けたい。
    *何歳で結婚したい?: もうしてる。
    *どんな人に惹かれやすい?: 頑なくらいマジメだけど、実はドタバタしてる人。
    *最近泣いたのいつ? :老々介護の現状をテレビで見たとき。
    *夜何した?: 日記書いてた。
    *忘れられない人いる? :沢山いる。
    *その人に会いたい?: 会いたい人もいるし、会わなくていい人も。

    《色々編》
    一途ってどう思う? →普通。
    チャラいってどう思う? →ポーズでないなら考えなし。ポーズなら不幸。
    血液型気にする? →意外にあたる気がする。僕はO型とか言われるA.
    mixi歴はどれくらい?→ 一年未満。
    名前の由来は?→ 昔のペンネームから。

    シークレットバトン
    A→千京夕夏さん
    B→雪那さん
    C→勝負師さん
    D→ひろはるくん
    E→千京さん
    F→ナックスさん
    G→判らない
    H→ゴトウくん
    I→RうDyさん
    J→ゲゲゲさん
    K→ノリピーさん
    L→ダイクマさん
    M→ヤマトくん、ゴトウくん、ひろはるくん
    N→ジラフさん
    O→紫幽さん
    P→ゲゲゲさん
    Q→ダイクマさん
    R→とくになし
    S→ひろはるくん
    T→僕
    U→ヤマトくん
    V→サブマリンさん
    W→ゲゲゲさん
    X→うみこぞうさん
    Y→みどっちさん
    Z→ダイクマさん♪

     こんな感じかな。何なに? って人は、普通に聞いてください(笑)(シークレットじゃないじゃん)。


     
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  • 日々の事  年末気分?



     健康診断で一日多く休暇をとったので、ちょっと三連休開けみたいな気分だった今日。…嫌になるほど忙しかった(天罰か?)。

     僕は薬品を医療機関や薬局に納品する仕事をしているのだが、年末とお盆の前は…

     どとーのように、忙しい!!!!

     薬局はともかくとして、病院は入院患者がいる以上、年中無休である。しかし薬品メーカーも、僕のいるような薬品の問屋も正月は休みになる。そのために病院としては、休みの期間用に、その前に大量に薬の在庫を確保しておくのである。
     で、この量がやはり半端じゃない。例えば今回の正月休みは30日~4日と考えても6日間である。なら6日、まあ大きく見ても一週間分入れておけばいいかとか思う。と…実はそういう話にはならない。6日休みだったら、2週間分はぶちこむのである!

     2週間分というと、大体、半月分である。それを一気に年末にぶち込む。ちなみに僕は、片手に乗るような小さいサイズだが一本30万円とかいう難病用、ガン治療薬なども納品する。が、メインは500ml×20本とかいうような、点滴用の透析剤が主なのである。
     500ml×20というのは液体である透析液の単位で、これが一つのダンボール箱に入っている。つまりこれは一箱およそ10kgである。僕はこれを台車に積んで、20本とか30本とか運ぶわけである。

     余談だけど、僕は普段からこんな仕事をしてるので、ちょっとしたウェイトトレーニング気分である。僕は4、50kg(5箱)までなら、なんなく持ち運ぶ。大きさも関係するが、普通の人だと大体2、3箱が限度である。
     細い僕が大量の荷物を運ぶので、慣れてない人は最初凄く驚く。が、段々、それが見慣れた光景になると当たり前になってくる。少しさみしい。得意先では怪力で有名だが、柔道場では普通である。

     で、年末はこれを実に! 実に! 実に! 大量に運び込むのである。普段、ちょこちょこと毎日少しずつ入れてるこの透析剤を、半月分いっぺんに運びこむ! これはワゴン車に満載、下手すると3往復分とかの量なのである。
     しかし年末こそ、僕の本領発揮の場である。誰もがそんな仕事はしたくないが、それを敢えて率先してやる。ここで信じられないくらいの仕事量をこなして、はじめて普段から「ハルカさんは凄い」とか言われるようになる。普段はそれに便乗して、手抜き仕事である。 

     まだ年末には早い…と思っていた今日。重い荷物ではないが、大量の内服薬の注文が! 薬品は検品して品揃えし、納品する。だが、あまりの量に検品がおっつかない! 時間がガンガン遅れ、猛烈な忙しさに。 聞けば「正月用の薬」だった。
     …もう? ちょっと早すぎない? 重い荷物は人の倍のスピードで納品できても、普通の内服薬の検品スピードは常人と変わらないんですけど…。

     もう、正月が迫ってきてるな、と感じた今日であった。
     
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  • 日々の事  レアもの発見?



     昨日の午前中はまず朝一でガソリンスタンドへ。もうガスが全然ない上に、ファンヒーターの灯油まで切れたので急いで補充。最近になって奥さんが、薙刀の仲間から教わったという劇安のスタンドに向かう。これは警察署そばにあるスタンドなのだが、会員になると非常にガスが安くなるという話だったのだ。
     で、あまりそんな話も信用してなかったのだが、つい先日ためしに会員になって入れてみる。驚き! 店頭表示価格も最安値のセルフスタンドくらいなのに、さらにそこからリッターあたり5円引きくらいしてる。なんじゃ、こりゃ! 奥さんの話では、「警察がよく利用してるから安いんだって」とのこと。細かいところでズルイぞ公的機関。

     ガスを補充したらその足で八王子の市場に向かう。奥さんは月初めなどに肉をまとめ買いしておいて、冷凍保存しておくのだ。市場で買うと、スーパーで買うより数段安い。
     と同時に、この市場にくると楽しみがある。それは鮮魚などで珍しいものや、よさげなものがひょっと売りに出てたりするからだ。この日はズワイガニがあったり、鯛が姿で安く売っていた。普段だったら即買いで、その日の鍋にしちゃうところだけど、夕方から僕は忘年会。ぐっと堪えて「来週、また来ようよ」と話しあう。

     家に帰って灯油と肉を置くと、すぐにまた出かける。この日は実は車の保険の更新に、ディーラー店まで出かけることになってたのだ。ちょうど車検が終わったあとだったのだが、保険もディーラーの勧めたものにそのまま入っていたのだ。
     以前はうちから数分のところに店舗があったので、点検も保険の更新も凄くラクだった。またそこで担当になってくれた営業の人(恐らくそこの店長だったようだ)がいい人で、説明は丁寧でケアもお知らせも申し分ないタイミングでうまくやってくれてた。

     しかし少し前にその近所の店舗が閉鎖されることになり、担当の人はどこかに栄転してしまって担当が替わった。これが少し若めのイケメンなのだが、いかんせん説明力も手配力も数段落ちる。おまけにこの日行くと言ってあるのに、不在だとか言ってる。
     代わりに上司らしい人が出てきて更新手続きは滞りなく済んだが、どうもこの上司もイマイチだ。説明はしどろもどろ、奥さんの鋭いツッコミに焦りながら資料を確認してる。ああ、前の担当の人は希少価値だったんだな。「最初の担当が、前の人でよかったね。勉強になったし」と奥さんが帰りに言っていた。全く。

     久しぶりに少し遠くまで来たので、数年ほど寄り付いてなかったDORAMAとTUTAYAに寄って見る。何かうちの近所のレンタル屋にないような、希少品はあるだろうか?
     DORAMAはまず不発。大河でやってた『太平記』完全版くらいかな? 長いから見ないけど。TUTAYAに行くと駐車場が満車。仕方なく路上駐車するが、僕は落ち着いて見れない。ザーっと見て回って奥さんに、「何かあった? こっちはないけど」と言うと奥さんが、「『キャシャーン』あったよ」とか言う。え、マジ?

     どうやらアニメを完全に一列見落としてた。確かに『新造人間キャシャーン』がDVDで全巻揃ってる。おお、これはなかなか。落ち着いてその周辺を見回すと、…あった! 『グロイザーX』! おお、これは希少。少なくとも近所にはない。
     さらには奥さんが特撮の棚で、「これ何?」と何やら発見。「なに」と見せてもらうと、『バトルホーク』。しかも何故か7巻だけ。うわ~、見たことねぇ~。見てぇ、これは見たい。おまけによく見ると『マイティジャック』が全巻揃ってる。おお、これも希少。

     結局、『キャシャーン』と『グロイザーX』『バトルホーク』を借りていくことに。レジで「4本借りると、1000円になりますが」とか言われる。それならそうと、どっかに書いといてくれよ。奥さんがユン・ピョウ主演の連続ドラマを持ってくる。
     で、『バトルホーク』を一話見てみた。巨大な斧を二丁で振り回し、敵兵をガンガン惨殺していく主役に驚く。敵の不死身の怪人に、まず手裏剣で目潰し! その上で「死ねぇーっ!」…あのなあ、あんた正義の味方じゃないのかよ?

     忘年会に行く前に、こんなレアもの探しをしていた昨日。結構忙しくて、あっという間の一日だったな。今日? 今日はすっかりくつろぎムードで一日中家にいた。昼寝のあとに、『流星の絆』の再放送とか見て、またもらい泣きしそうになったりしていたのである。
     一番のレアものはうちの奥さん、とかそういうネタじゃないから。いや、決して。
     
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