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武道随感  立ち方、歩き方



 前に紹介した『アメリカ侍古武術修行』のようにトイレのなかまで「残心」するわけにもいかないが、せめて歩くときくらい気をつけようとか思って心がけるようにした(思いついた時だけ)。

 歩くときに、「後ろや横から斬りつけられる」ということを想定して歩く。瞬時にその動きに反応するためには、いつでも動ける状態を維持してることが前提となる。僕の場合は、膝抜きで前や横に瞬時にかわせて反撃できることが理想だ。
 そういう事を考えると、自然に歩き方が変わる。膝を伸ばして歩かないし、前身に力をいれず、また気を抜いて歩かない。すぐにバッと膝抜きで前に出てみたりを、シュミレーションでやって、「動ける姿勢」というのを自分なりに確認した。

 実は『歩き方』というのは一時期、凄く研究したのだが、結局判んなくなって放り出した。今は、とりあえず「実際に動ける姿勢」を維持することでいいかと思っている。

 大分前のことだが、合同練習にG先生が来たときに、「立ち方」というのを習った。G先生が言うには、薙刀を持って立った状態で、壁に背をつけて立ったとすると、その腰の部分に手が入らないくらいに隙間がないのが正しい立ち方だというのである。
 これを聞いて、その場にいたみんなが壁に寄って、背中をつけて立ち始めた。壁が埋め尽くされたので、僕は帰ってから家でやってみたのだが、普通に立つとやはり腰の部分に隙間ができる。手がすいすい入る。

 それでふと思い至って、ニ、三歩、防具をつけてる感じでひょいひょいと動いてみた。その上で壁際に立つと、もう壁にピッタリと背中がついていて、隙間がない。背中が腰にかけて、平らになっているのである。
 違うのは「薄皮一枚」踵を浮かす感じで、つま先で移動すること。実はこの姿勢、以前から重要なのではないのかとは思っていた。幾つがヒントがあったのである。一つは塩田館長の言葉。「仙骨を締める」という言葉である。

 「仙骨」とは尾てい骨である。これを「締める」とはどういことか? これをグッと前に締め、背中を平らにする姿勢がそれになるのかと思っていた。
 もう一つ。剣術の黒田先生は祖父に、いくら膝を曲げても「腰が落ちてない」と言われたと書いている。この場合の「腰を落とす」って、どういう身体条件か?

 それから意拳の澤井先生。映像を見ると、後退しながら打撃を捌いたりするとき、背中側がまっ平らなのだ。意拳のビデオを見ると、お弟子さんたちと澤井先生で、この姿勢の違いが著しいので気になっていた。
 それからブルース・リー。「ハアオゥ~」と構えたとき、少し腰が前にせり出した感じの、独特の姿勢をとってるのが判る。僕はこれらの材料を元に、尾てい骨を少し前に出した、背中が平らな姿勢が「武術的な姿勢」ではないかと、前から思ってはいたのだ。

 しかし確証がないのと、実際、その姿勢を「日常の」ものとして維持しようとすると、大変な負担があって、到底、ずっとそれを維持してられないと思って、放り出してしまったのだった。
 しかし薙刀において、そういう姿勢が「正しい姿勢」であり、また自分も防具をつけてるときに自然にそういう姿勢になってる事に気づいて、「ああ、これでいいのか」と納得したりしたのだった。

 しかし、何故、僕はこの姿勢を自然にとっていたのだろうか? という疑問が沸いてくる。それで意識的に尾てい骨を締める姿勢をとると、どうも単に腰を前に性せり出しただけで、イマイチ変な感じがする。
 G先生は「隙間がない」と同時に、「前が閉じる」という感じをニュアンスで伝えようとしていた。単に腰を前に出す姿勢では、前はだらしなく開いてる感じだ。

 それで膝を少し内向きにして締めてみると、「腰の隙間がなく」かつ「前が閉じてる」姿勢が作れた。……と、僕はどうも、この姿勢、何かで知ってる体感覚があった。
 で、気づいたのだが、実はこれは空手の『三戦』で作られる姿勢なのだった。足を「ハ」の字に構え、その足を「C」の字型に進める。この時、自然に仙骨は締まり、前は閉じる姿勢を作っているのだ。

 目付けのときのことと言い、実は空手との共通の理合を、どうもここのところ発見することが多い。長いこと三戦を一人で練っていたから、防具のときに自然にそういう姿勢になったのに違いない。非常に面白いと思った次第である。
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  • 日々の事  コラムとかエッセイとか



     三枝師匠とか米朝師匠の落語を聞いていて思ったんだけど…僕の文章には「笑い」がないなあ。なんというか、いつもクソマジな話ばかりしていてつまらない。自分で言ってりゃ世話ないけど。

     「笑う」ってのは日常生活にとても大事なことで、うちでは奥さんがそれを担ってくれてるので、僕は明るい生活を送っている。が、たまに奥さんに「私とロックがいなかったら、くら~い生活してそうよね」とか言われると、「そうだろうなあ」とか思う自分がいる。いや、考えものだ。
     『タイガー&ドラゴン』の小虎でもないけど、「おもしれー話を、おもしろ可笑しく話したいんだよっ」とかって願望がなくもない。いや、それはちっと難しいと思うが、せめてもうちょっと話の幅が広がらないかなとは前から思うのだ。

     大体、僕の書くものというのは「何かについて」書かれたもので、それが武術、社会、作品、江戸とかに多岐に渡ってるとしても、つまるところ「何かについての論」なのだ。
     これは考え物の形態で、その題材の「何か」に接してる人はいいけれど、そうでない人には全く関心のない話になりかねない。全く幅の狭い話になりがちなのである。

     そうやって考えると、コラムニストの書く「コラム」って、大変な文章なのだなあとか思うようになった。著名人や歴史、有名な作品等に触れながら、その時々の問題をさりげなく提起する。読者層は広く、それでいて深い関心を集める文章だ。
     エッセイというのも凄い。全く専門的なトピックに触れず、誰にでも共通な日常生活の中から、キラリと光るエッセンスを取り出す。日常の中で鋭敏な感性を持ってる人でないとできない芸当だ。僕には欠けてるセンスである。

     一応、毎日のように何かを書いてると、ふとそんな事を思うようになった。専門的な「論」は論で必要と思うけれど、そういうコラムやエッセイのような範囲の広い文章にも憧れるようになったのだ。


     ムリを承知で、訓練のために小噺を一つ。

    「オイッ、隣の空き地に囲いができたぞーっっ!!」
    「ウォーッ(ル)!!!」
    「ひさしもついてるぞーっ!!」
    「シェーッッ(ド)!!!」

     …慣れないことはするもんじゃない。
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  • 作品を読む  萩尾望都作品との関わり 



     ちょっとここ数日、萩尾望都コミュの方の動向が面白くて、自分の日記更新が手につかないでいた。最初はイギリス人在住の方の、イギリス人からの「少女マンガなのに、どうして少年たちの物語なんだ?」という質問に答える、というのが始まりだった。

     それは文化論や歴史論なんかを経て中々興味深く展開していったのだけど、そのなかで性差や文化差を越えて作品理解をすることの問題性というのが浮かびあがっていったのである。
     僕は男女の間で、社会的条件が全然異なる(女性の方が不遇条件を強いられている面が強い)のは歴然たる事実だと思っているし、それを認識するかしないかは、むしろその差異を凝視する気があるか無いかだけの問題だと思っている(特に男性は)。

     特に萩尾望都という作家はジェンダーの問題を極めて先鋭的に描写している作家なので、そこのコミュでそのことについて異論がある人がいるとは実は想像もしてなかった。しかし実際には「男でも少女マンガを読めるし、作品受容は個人の感性に基づいていて、性差などはそんなに問題ではない」という人もそれなりにいたのである。
     これは現在の「少年愛」を主体にするBL(ボーイズラブ)ものと萩尾望都作品との差異、というようなテーマを巻き込みつつ、ある部分でジャンル論という枠組みのなかで論議が進んでいった。

     そういうなかで僕は不意に、そもそもの作品それ自体に直接あたりたくなり、『トーマの心臓』を読み返した。『トーマ』は、萩尾作品のなかでも僕の特に好きな作品の一つである。…と、その再読体験は、実は極めて強烈な自分の過去の反芻経験となって、僕の全身を打ち抜いたのだった。
     『トーマ』の主人公であるユーリは、品行方正、容姿端麗、頭脳明晰、運動抜群のクラスの委員長である。けれどユーリは、『罪』という「秘密」を背負っていて、実は誰からも距離を置いて接している。あるラインで必ず他者を拒絶するような、そういう少年である。

     その少年の苦悩を見つめるトーマという後輩が、自らの命をかけて、「それでも君を愛している」ということを伝えるために、自らの命を投げ出す。…物語は、その命を投げ出した少年と、うり二つの少年が転校してくるところから始まる。
     物語の筋はおいといて、僕はいつもそのユーリにばかり肩入れして『トーマ』を読んでいた。ユーリは混血児であり、その黒髪のゆえに家の支配権を握る祖母から、ずっとその価値を「否定」され続けていた。

     ユーリの努力は、この「否定」を覆すために、自らを「完璧」にするためになされる。けれどその「否定されている自分」というもの、その家庭の事情こそが、本当のユーリの秘密なのだ。…と、僕は今回再読して初めて気がついた。
     ああ、これは僕だ…とようやく思いいたる。以前に書いたかもしれないが、僕をプロの囲碁師にしようとした父は僕をスパルタで教育し、毎日のように殴った。僕は学校では明るい子供だったろうが、家では毎日のように泣き暮らす子供だったのである。

     それは僕だけに架せられた、周囲の子供の全く理解できないような特殊な環境であり、僕の長い間の「秘密」だった。僕はテレビを自由に見ることや、遊ぶ時間も厳密に制限されていたが、その事を友達に説明はできなかった。余りにも自分の環境が、周りの友達と違っていたからである。
     その囲碁をやめる事を最大の勇気を振り絞って父親に告げた後、僕に求められたのは成績優秀であるということだった。しかし父の要求というのは、学校で一位になり、かつ東大に入って初めて満足するような質の要求だったのである。僕が外でどれだけ「成績優秀者」として扱われたとしても、僕には「褒められる」という事がなかった。

     その自分が受けた「否定」の感情に基づく、無理な自己努力。そして秘密ゆえの、周囲への距離。そういう条件が揃って僕はユーリに惹かれていたのだが、今まで何度も『トーマ』を読んでいるのに、僕ただユーリの美しさになんとなく惚れ惚れするだけで、あまりその感情移入の理由を考えてみたことがなかったのだ。

     実は萩尾望都を含む「24年組」には、以前に書いた論考がある。『24年組の構図』というものである。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1055574501&owner_id=16012523 しかし実はこれを書いたときには、「女性のおかれた問題」を考察するという意図が、圧倒的に強かった。全くそこに「自己を投影している」ということに気づいてなかったのである。
     しかし今回、『トーマ』を読み返して、それが衝撃的に自己の姿を再認識させたことに、僕は軽い眩暈を覚えた。…ああ、こんなに必死だったのかな、昔は。こんなすぐにバレそうな仮面でとりつくろって、自分が完璧であるようにふるまって、寄せられる好意を無にし、自分にかけられた「否定」の呪いを覆そうともがいていたのかな、と。

     なんだか、ユーリが可愛らしく見えて笑ってしまった。と、同時に、コミュの方で多くの人が口にした「負い目」という感覚がないのは、多分、自分が「否定」されてはいても、「愛情に飢える」ということがなかったからだろうということも察した。父の要求は厳しかったが、よく遊んでもらったりもした。両親の愛情に疑問をもったことはほとんどない。
     しかし恐らく、萩尾望都の主流読者は、「負い目」そして「自己否定」の感覚を持ってる人の方が多いだろうな、とも思ったのだった。僕には「負い目」とか「自己否定」「自己嫌悪」の感覚はあまりない。多分、愛情を渇望するがゆえに、相手を傷つける、という事がなかったせいだろう。僕にはそこまでの「渇望」はなく、むしろ他者をよせつけない事に専心していた。

     『トーマ』では、ユーリは最終的に自殺した少年のそっくりさんの少年、そして長い間静かに自分を見守ってくれていた友人の「承認」によって救われる。その「罪」も「秘密」も含めた上で、自分を認めてくれたその視線に、彼はやっと「否定」のくびきから逃れることができるのだ。
     それまで多分、ユーリは「自分しか自分を救えない」と思っていただろう。けれど「人によってのみ人は救われる」という事を体験し、「今度は自分が人を救う側になろう」と決意したのだろうと思う。彼は神学校への転校を希望するというところで、物語は終わるのである。

     そして自分の事を振り返ると、実は僕は「救われた後」の人間なのだ。言うまでもなく、それは奥さんに、自分の虚勢や欺瞞、仮面や罪、全てを告白し知られた上でなお、僕を赦し受け入れてくれた彼女によって、「自分はここにいてもいいのだ」とやっと思える人間になったのである。
     そして僕はユーリのように、にわかに『普遍愛』に目覚めるのだ。それは彼女に向かい合って、「恥ずかしくない」ような『美しい人間』になりたい、という衝動でもあった。当時、僕は「天使になりたい」と思っていたものだ(突拍子も無いが)。けど、すぐに気づくのだが、僕は「天使」になるには既に「穢れ=罪」を犯していた。つまり、沢山、傷つけた人がいるということである。

     そしてもう一つ気づいたのは、「愛とは差別である」ということだった。「普遍愛」は誰もに均等に捧げる愛情かもしれないが、通常、「愛」とはむしろ、「~より、あなた」というものなのだ。それに気づいて、僕は『普遍愛』を放棄した。
     そして僕は自分が愛すべき人を愛し、理解すべき人を理解し、守るべき人を守ろうと、誓ったのだった。僕が生涯をかけて幸せにできる人は、幸せにしなければいけない人は、ただ一人だけである、と悟ったのだった。

     そんな奥さんに、てんかんという体質があるのを聞いた。以前、奥さんにその発作が起きたときに書いた日記も以前にあるので、それを参照してもらってもよい。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=841350031&owner_id=16012523
     てんかんというのは日本の法律上では精神障害者の類に分類される。ただ、奥さんのは症状が軽いので、障害者手帳をもってはいない。しかし僕は奥さんと関わっていくことで、そういう立場がどれだけ弱いか、またそれを含めて『女性』というものがどれだけ弱い立場にいるかということを学んでいった。実は萩尾望都という作家は、そういう学習の過程で見つけた作家だったのだ。

     僕が日記やあちこちの場で、ことあるごとに「無自覚ゆえに、弱い立場の人に負担を背負わせる」ことの危険を言うのはこの辺の経験が核になっている。場合によっては資料や理論などの補助も入れるが、つまるところそれは方便なのだ。
     何度繰り返しても構わないが、主流を形成している「男」の立場の人は、女性、あるいは弱い立場の人(子供や老人、傷害を抱えてる人、マイノリティ)を理解する必要がある。 

     無論、それは倫理的要請でもあるのだが、究極的には実はそうではない。その異なる『他者』を理解すること、理解しようと努力しつづけることだけが、相手との「幸せ」な関係を続けていけことなのだと僕は考える(気持ち的には、『知っている』と言いたい)。
     だから「女性の側の事を考えて」というとき、それを「自分は性差で差別しない」とか、「女の事なんか構ってられない」といって思考拒否するのは、究極的にはその人にとって不幸なことだと僕は思うのだ。

     人は人を幸せにすることでしか、自分も幸せにはなれない。…というのが、僕の実感である。以前にある人が、僕の幸せを「奥さんが生きている間しか続かないもの」と揶揄したことがあったが、僕はそもそも奥さん抜きに自分の幸せがあるとは思わない。
     そして一人の人だけを幸せにしようと決めて、大体、20年くらいになる。今でもそれは続いてる…そんな話である。そんな自分の過去と、基本的なスタンスを改めて振り返っていたこの数日なのだった。
     
     あ、自分が守るべき存在は一つ増えた。我が家のプリンス、ロック君である。今日もいっぱい、うんちしてた。それすら愛おしい。 
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  • 特撮最前線  超特撮論  3、分身と変身②



     作品における「中心性」がリアルさを削ぐ…からと言って、「仮面ライダー」が悪の組織を全滅させることに係わらないほうがリアルである、というようなことを言っているのではない。問題は二つの嗜好性=志向性としての中心化と脱中心化である。
     これはつまり主体を文脈の起点とする自己把握と、世界を文脈の起点とする自己把握の差異と言える。もっと簡単に言えば(語弊はあるが)主観的な自己把握と、客観的な自己把握と言うことができるだろう。この二重の自己把握を基に、「分身(ダブル)」の主題を展開することができる。

     フロイトが論文『不気味なもの』で「不気味なもの」の一種として考察したモチーフの中に、「分身=ドッペルゲンガー」の主題がある。フロイトによれば「分身」は、本来、自我の消滅に対する絶対の抵抗、その死滅に対する替え玉作戦--つまり生命の保証という意味を持っていた。
     それは生命の複数化として現れた無限の自己愛、原始的な自己愛の具現だったのである。しかし古い信仰が捨てられた後に以前の神が悪霊となって語られるように、分身は生命の保証からむしろ死の前兆と姿を替える。原始的自己愛が消滅した後には、分身は別の意味を獲得する。

     それは自我の中に現れる、自己観察、自我批評をする一部分の登場によってなされる。この自我の他の部分をまるで他人のもののように扱いうる自我のもう一部分が、古い「分身」の観念を新しい内容で満たす。それは原始時代の、既に克服された自己愛に属するものを、「分身」の観念になすりつける。フロイトは「分身」という観念の不気味さの根源を、それが心的原始時代の形成物が見出されることに由来させている。
     フロイトの考察では「分身」とは、自我と批評的自我の二重性の象徴ではなく、自我が抑圧する無意識と自我それ自体の二重性の象徴と捉えている。つまり「分身」は、「メタ自我」として上層部にあるものではなく、むしろ下層部の深層心理--「無意識」に属するものなのである。

     ただフロイトはその「分身」の観念に無意識が盛り込まれる契機に、メタ自我の発達を見るのである。フロイトは分身についてこうも書いている。
     つまり「分身」には『--空想が未だそれに執着しているところ、実現されることのなかった運命形成の可能性、また外的な不運によって貫徹されなかったところの一切の目標、同様にまた意志の自由という錯覚を生んだところのあらゆる抑圧された意志決定も、同じくこのドッペルゲンガーに委譲されるのである』。

     これを言い換えるなら、「分身」とは「現実化されえた可能性」の化身と言うことができる。それは「そう有り得たかもしれない自分」であると共に、「単に表面化していないに過ぎない自分のある部分」であるわけである。
     具体的に「分身」を扱った文芸作品としては、ドストエフスキーの『分身』、E・A・ポーの『ウィリアム・ウィルソン』などがある。両作品の分身の現れ方は似ている。それは主人公の前に現れた分身が、主人公に先回りして行為してしまう、というモチーフである。ポーの作品に至っては、分身を追い詰めて殺した主人公は、最後に分身と「入れ替わって」死んでいくことを感じる。

     ここでは分身は、自己にある不気味さ、強迫的な印象を与える存在である。それは分身の存在により「自己の可能性が奪われる」という原理に基づいている。分身が自分の代わりに「現実」化しているならば、自分自身は不要の存在となり「可能性」の領域に抑圧されるはずである。
     「分身」はその意味で自己の絶対性を、存在論的に脅かす存在なのである。それはとりもなおさず、「そうでありえたかもしれない」分身が出現することによって、自身の現在が「現にそうあること」が相対化されることを意味している。つまりそれは「現在」を相対化するのである。

     自分が「現在そうあること」とは、客体的に自己を現在の位置を認識することを意味している。しかしその客体的認識は、自分が現にそうあることが、他のようでもありえたかもしれない可能性の排除の上に成立することを自覚させずにはおかない。時間感覚が希薄な存在(例えば猫など)にとっては、「現在」は絶対である。しかし言葉で「自身」を把握する人間にとって、「現在」は相対的なものでしかない。
     フロイトが批評的自我の発達が、逆に抑圧性を発見するとはそういう意味を持っている。だからフロイトの「分身」とは、現実性と可能性の二重性なのだが、その二項が対立項目として見出されるためにはメタ自我の発達が契機となるということになるのである。

     現実化されなかったあらゆる可能性としての「分身(ダブル)」は、あらゆるモチーフを貪欲に飲み込むことができる。つまり勝者と敗者、善と悪、意識と無意識、似た過去から異なる未来を持つ両者など、それらは存在の現在の姿を相対化--脱中心化せずにはおかない。しかしダブルは存在の現在を相対化しつつも、存在のトータルの領域を同時に拡張する役目を果たす。つまりそれは「見た目以上の奥行き」をかい間見せるのである。
     「ダブル」とはその意味で、存在を脱中心化すると同時に、存在の可能性を拡張することによって存在全体の意味を引き上げ中心化するという二重の機能を果たすモチーフなのである。そのような「ダブル」を、その主題のうちに決定的にはらんだのが、言うまでもなく『仮面ライダー』である。

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  • 武術散策  プロ格闘技論  ⑤ポジショニングとPRIDE Ⅰ



     ポジショニングとPRIDE…あるいはこう言い換えてもいい、グローバリズムと規制緩和。話はまず、パンクラスの元キング、ケン・ウェイン・シャムロックのホイス・グレイシーに対するリベンジマッチから始まるだろう。

     前回の敗北の結果、パンクラス勢、特に船木は余念ない柔術研究のもとに、シャムロックを再び送り出した。結果は30分を越えるドロー。その大半はシャムロックが上に乗り、ホイスがガードポジションでシャムロックの身体をがっちりと捕まえている状態だった。
     船木がNHKの番組で解説したことがある。ガードポジション(上になってる相手を自分の足で挟んでいる状態)では、打撃も腕に力が入らず、下になっているからといって不利とはいえない。逆にここから三角締めや腕ひしぎ十字を狙っていく。強い選手はこのガードから、中に入らせない…。

     アルティメット系の戦いで最も重要なのは、「マウントポジション」に入られないこと、というのがまず一般的な見解となっていた。マウントポジション…つまり馬乗りになって顔面にパンチを打たれるのが最も危険だったのである。逆に言うと、それが最もストレートな戦略だった。それはとりも直さずヒクソン・グレイシーの必勝パターンだったのである。
     最強と呼ばれるヒクソンの戦略は以外にシンプルである。まず、タックルやクリンチ、その他の方法で相手をグラウンドに倒す。そこに上からかぶさり、相手が対応力を持つ場合はまずガードポジションに入る。ガードポジションからは、様々なゆさぶりの方法でパスガードし、マウントポジションに入る。

     マウントからは顔面パンチをして戦意を失わせる。相手がうつぶせになった場合は後頭部を殴りつつ、チョークスリーパーできめる。…というのがヒクソンの必勝パターンである。こう書くと単純だが、ヒクソンの技術は「細部」にその核心があり、誰もが当然理解しているこのセオ
    リーを誰もヒクソンのように実践できないところにヒクソンの強さがある。
     が、ともかく、このことは一般的な「認識」となり、その対応策が考えられた。まずマウントに入られた時は、相手に身体を引き寄せ、相手と身体を密着させるということが言われた。これをしておけば相手に打撃をされることがない。そうでなければガードポシションから反撃の隙
    を狙う、というのがセオリーとなった。

     再びシャムロックとホイスの戦いに戻るが、ホイスはほとんどの戦いをヒクソンとは違い、ガードポジションから勝っている。この戦いもホイスはシャムロックに対してガードポジションをとっていた。身体を離して打撃をしようというシャムロックの身体をがっちりと捕まえ、隙があれば袖口でシャムロックを締めようとする。
     しかしシャムロックも前回の戦いでその手は知っており、シャムロックはそれをかわして頭突きでホイスの目頭を狙う。…この状態で膠着すること30分以上、試合は引き分けに終わる。しかしパンクラス勢は終始有利なポジションで終わり、試合後に目を張らしたホイスの姿を受けて事実上の勝利とした。

     このホイスとシャムロックのスペシャルマッチが行われた第5回大会のアルティメット大会に一つの変化が起こる。この時の優勝者ダン・スバーンはレスラーであったが、この時の勝利の方法はその後のアルティメット大会に決定的な変化をもたらした。
     レスラー、ダン・スバーンはさしてグラウンドの技術を駆使することなく、とにかく相手の上になり、ガードポジションの上からでもお構いなしにパンチを浴びせるという、極めて単純な方法で勝利を手にした。

     そもそもダン・スバーンはアルティメットに出る直前まで、日本のUインターで試合に出ていた選手なのである。はっきり言ってU時代のスバーンは特に目立つわけでも、特に強い訳でもない選手だった。しかしアルティメット優勝者となってからは有名選手となり、インターには出なくなる。
     そしてこの大会からアルティメットに時間制限が設けられたことを理由に、グレイシー一族はアルティメットから手を引く。その後のアルティメットの優勝者は一部を除いて、ドン・フライ、マーク・コールマン、マーク・ケアーといったレスラー勢へと変わっていく。

     しかしそういう流れの中で、アルティメット系の大会…NHB(ノーホールズバード=何でもあり)やVT(バーリトゥード)と呼ばれるなかではブラジリアン柔術、特にグレイシー柔術の名前だけは一般マスコミにも流れ出すほど有名になっていた。
     まず事件を起こしたのは、またもやパンクラスからである。パンクラスの高橋義生が、97年2月の第12回U(アルティメット)大会に出場し、グレイシー柔術門下のヴァリッジ・イズマイウを破ったのである。その高橋は言っている「アルティメットで勝つ選手というのは必ず相手の上に乗れ、逆に負ける選手は必ずタックルをとられる選手なんですよ」。

     高橋がイズマイウに対してとった戦略とは、タックルを切るという、それまでのプロレスの世界には(パンクラスにも)ない発想だった。タックルに来た相手に対し、腰を落とし、倒されないように踏ん張る。そして改めて打撃で攻撃するというのが、柔術家に対してとった高橋の作戦だった。
     この時、高橋が明確にし、そしてレスラー系の選手達の勝利の決定的条件だったのは、『ポジショニング』である、ということだったのである。それまでは相手の下になっても切り返せる技術がある、ということが重要であった。しかし高橋はそれを否定し、相手のグラウンドに付き合わない、ということを一つの戦略=技術として提示したのである。

     これは「戦い」に関する認識論的変換…つまり打撃に対するグラウンドの優位性ということから、グラウンドに対するポジショニングの優位性への認識の展開として考えられた。初期アルティメット大会で名を馳せたホイスの戦い方がグラウンドの優位性を刻印したものであるのに対して、ヒクソンの戦い方はポジショニングを重視したものであった。
     それはつまり異なる格闘理念が一つの「グレイシー」という名前で呼ばれている事態を示しており、グレイシー台頭の事態を単純な意味に捉えられるべきではないということを意味していた。少なくとも、ホイスが出なくなった5回以降からは、勝負の行方はほとんどの最初のテイクダウンで決しているといっても過言ではないのである。

     このことは、アルティメットで勝利するレスラー系選手の大半が、アマチュアレスリングの経験がある選手だということでもはっきりと証明されている。相手の下にならないレスリング技術さえあれば、あとは上になった時に打撃を出していればいずれ勝てるという訳である。当初、重要に考えられていたグラウンドでのサブミッション技術も、ここでは何の効果も発揮できず倒されるケースが多く発生した。
     このような変化が最も早く、顕著に出たのはパンクラスである。高橋がアルティメットから帰国後、高橋のスパーリングパートナーを勤めていた若手の山宮恵一郎が、対伊東戦において全くグラウンドをしない試合をしてKO勝利を収めた。

     当時、休養中で解説をしていた鈴木みのるが、その戦い方について「何か勘違いをしている」と発言している。それはグラウンドテクニックを至上価値とするパンクラスにおいて、パンクラスのパンクラス性を否定する戦いと言ってもよいような戦い方だからである。
     「オレは好きじゃないね」という鈴木の発言に、山宮はそのことを聞いて、鈴木のところに反省の意を述べたと伝えられたが、その時の山宮の極端な戦略はパンクラスにとっての大いなる「穴」とも言えた。そして怪我から復帰した鈴木が山宮に敗北することで、その技術の実効性は現実的なものとなったのである(余談だが、高橋はその後、そんなには戦積をあげていない。が、山宮はその後、ミドル級王者となっている)。

     そしてパンクラスの中で最もそれを顕著に表現する選手、ガイ・メッツァーが現れる。ガイ・メッツァーはシャムロック率いるライオンズ・デン所属の選手だが、ある時からグラウンドに対する鉄壁な防御によって勝星をあげていくことになる。その勢いは最終的に、王者・船木に勝利しキング・オブ・パンクラスを得るにまで至った。
     2000年にはグレイシー一族を次々と倒した桜庭と引き分け、格闘界に「ガイ・メッツァー現象」という流行語まで生まれた。その意味は、相手の攻めに付き合わず、徹底してポジションを守る「負けない戦い方」という意味である。と同時に、それは優れた技術なのだろうが「つまらない試合」という皮肉をこめた呼ばれ方だったのである。

     その同じ97年10月、PRIDE・1が開催され、ヒクソン・グレイシーと高田信彦が戦う。96年末、Uインターが解散すると所属していたほとんどの選手は、新たな団体キングダムへ移籍した。このキングダムはUインターがプロレス的団体であったのに対し、修斗についで顔面パンチを認める画期的なルールの下に旗上げされた団体だった。
     顔面パンチが許されたのはスタンドでの戦いと、マウント、うつぶせに対する側頭部というように限られたものであったとはいえ、キングダムの戦いは同じ選手達の試合であるにも関わらず、インター時代とは決定的に違う試合内容のものとなった。

     しかしキングダムの試合には、高田は「対ヒクソン戦」の調整のために一戦もしていない。つまり高田はアルティメットルールに対して、ほとんど実戦経験のないままヒクソンに敗れたのである。そして同年12月、U大会のジャパン大会にキングダムから安生、そして桜庭和志が出場するのである。
     PRIDEについては後言するとして、この日本大会は象徴的な興行として記述することができるだろう。この大会で最も効を奏したのがポジショニングである。94年にヒクソンの道場に道場破りに行って、返り討ちにあった元ゴールデンカップスの安生は、打撃もグラウンド優れたオールラウンドプレイヤーである。

     しかしこの大会では刑務所帰りのほぼ素人、『喧嘩野郎』タンク・アボットのタイコ腹攻撃の重圧に、終始ガードポジションの上から殴られ続け、敗北を期することになった。そして以前に、チャンピオンのマーク・コールマンを下していた神話的キックボクサーのモーリス・スミスが、rAw(リアル・アメリカン・レスリングチーム)のランディー・クートゥーアと対戦する。
     試合はクートゥーアの徹底したポジションニングにより、15分膠着の末、クートゥーアの判定勝ちとなる。しかし観客は判定を聞く前に席を立ち、テレビ録画は試合内容をカットする経緯となった。このことはポジショニングが決定的であると同時に、それだけの試合(「ガイ・メ
    ッツァー現象」)が見るに値しない興ざめのものとなるということを証明した。それはつまり「戦い」の認識に基づいているかもしれないが、「強い」と認められないということである。

     そしてこの大会で、桜庭がグレイシー柔術家のマーカス・コナンを下し(色々、もめたのだが)、優勝者となる。その時、桜庭はリングで「本当はプロレスラーは強いんです」と発言した。この一戦で名をなしてPRIDEで次々と戦果を上げ、一役トップ選手となった桜庭だが、インター時代はさして目だった存在ではなかった。
     94年頃のデビュー時代などはほとんど勝星のなかった桜庭だが、ある時、田村潔司とタッグを組んでから動きが変わる。それまでは特徴も得意技もなかった新人桜庭は、田村の影響か指導か、グラウンド技術を着々と磨いていき、テクニック派の選手を自らのスタンスとして選択する。

     さらに幸いしたのは新日との交戦中、交戦を拒否した田村の意向か、桜庭と田村は続けて三度以上も試合をしている。これは異例なことであったが、しかし桜庭にとっては有益なことだったろう。桜庭はインター勢が新日の身体攻撃に翻弄されている間、田村と試合をすることでその嵐を逃れ、自分の技術を磨くことができたのである。
     しかしこの当時の桜庭はインター内でも余り勝ち星をあげれないでいた。というのも体力勝負の要素が強いインターのルールでは、最終的には打撃力に劣る桜庭はグロッキーになり負けるケースが多かったのである。またエスケイプできない位置で間接技をかける技術なども、田村の比ではなかった。

     しかし桜庭はアマレスの経験があり、初期の試合から既に、最初のテイクダウンの際に上を取ることにだけは非常に長けていることが確認できる。言うなれば桜庭はアルティメットにおいてこそ、本領を発揮できる選手なのである。それにも関わらず本人がプロレスラーを自負していることは奇妙な矛盾とも言えた。
     桜庭はインター解散間際には既にインター内部で「グラウンドの実力者」と目されており、ポイント数の少なくなったキングダムではその実力をいよいよ発揮した。そして3回行われたワン・デイ・トーナメントの優勝者となった桜庭は(ちなみに第一回優勝者は佐野、二回目はその後リングス所属になる金原弘光である)、既に自身をキングタムでもトップの実力者の一人として自覚する至っていたのである。

     ここで桜庭は試合後のインタビューで「倒そうとしてもバランスがよく倒れなかった。これができる選手は強い」と決定的条件としてのポジショニングについて発言している。そしてヒクソンに敗北した高田について「高田さんはキングダムでは全く戦ってないので、このルールで戦って高田さんが一番だということはないです」と発言した。
     それまで高田をトップとし「ヒクソンに勝って僕らの挑戦を受けて下さい」とまで言っていたキングダム内部の雰囲気は、決定的にヒクソン戦敗北によって変えられたのである。

     結果的にはキングダムでは高田は不在のまま興行が行われ、そして自然消滅同然となっていった。それは何よりPRIDEの興行性の高さにキングダムが敗北したということもあるだろうが、何よりこの高田をトップとする団体構造の限界ということが大きかったのではないかと思われる。
     結局アルティメットでは戦積を上げられなかった元カップスの高山善広と、「Uを守る」の垣原賢人が全日に、安生と元カップスの山本健一はフリーに、金原はリングスへ、佐野と桜庭、松井俊介の残りが高田道場へと道を分けていった。

     その時点でのアルティメットにおける実力は、はっきり言えば他の選手のほうが恐らくは勝っていたかもしれないにも関わらず、一般的にはまだ『プロレスラー』高田延彦の名前がビッグだった。そしてその名前の大きさに牽引されて行われたのが、初期の「PRIDE」という興行だったのである。
     その「PRIDE」という興行の特殊性についてはターザン山本のSRS・DXの記事に負うところが大きくなるが、その見解をそのまま取り入れようと思う。大筋を言えば、ターザン山本が週プロ編集長時代、週プロ主催で一つの幻の興行をうった。それが95年の「夢の掛け橋」である。

     この興行は夢の対決と言われた新日、全日選手のフリー参戦という形式を取り、団体の枠を越えて試合を見せた最初の興行だったのである。「夢の掛け橋」は全日の馬場からは「何故、雑誌社が興行をするんだ。オレたち興行の世界に手を出すな」とまで言われ、一方最初は協力的だった新日からも興行の大成功後には「取材拒否」という最悪の切り札を出されることになる。
     ターザン山本はその責任をとって編集長を辞任することになったわけだが、この時点では団体が興行を主催するという「業界」の垣根が堅く存在していたことが判る。しかし97年10月に予告されたPRIDEは、当時、業界人にもフロントのトップが判らない、全く業界未知の興行として現れた。

     しかもそれは団体の興行でもなく、特定の選手も抱えないイベント会社の主催として登場したのである。主催は結局、業界の素人集団だったことがことが後で判るが、その興行は意味したことは「金さえあれば、誰でも興行がうてる」という業界の規制緩和ともいうべき現象だったのである。
     しかもターザン山本によれば、その関係者に後に会ったところ、そのヒントになったのが「夢の掛け橋」だったということであったという。つまり95年には既存圧力に継続を続行できなかった興行が、97年から98年にかけての橋本政権による「規制緩和」の風潮に後押しされて成功したのが「PRIDE」だったということである。

     PRIDEとは何より、団体の枠という保守構造に対して疑問符を打つ、格闘技における外部への開放だった。それは格闘技界において象徴的に現れた、『規制緩和』という名の市場主義の流入だったのである。

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