武道随感 ダメ出しされて一安心
実は薙刀の進級審査が来週に迫っているのである。昨日はちょっと身体も重たかったので防具をもっていかず、型稽古に専念することにした。
初段のHさんとしばらく稽古する。三本目の「巻き落とし」がなんとなくうまくいかず、アドバイスを受けながらしばらく練習した。納得はいかないが、なんとか雰囲気を掴もうと専念してみる。
指導してくれてるOさんと、通して練習する。「一本目の応じのときの最後の側面打ちが、ちょっと半身が甘いかも。けど、それ以外はOK!」とか言われるが、どうも釈然としない。
他の人が防具稽古を始めたのを横目に、僕は一人で素振り、型の空稽古を繰り返していた。と、指導のKさんがそれを見ていて、「ちょっと切っ先が落ちてるときがあるわよ」と注意してくれた。それからKさんと合わせてみる。
「三本目の胴打ちの前に、石突が外に流れて自分が守れてない」
「その胴打ちの踏み込む足が、斜め前に踏み込んでいる」
…等々、あちこちダメ出しをされた。
ちょっと安心する。そうか、そういうところを気をつけてやればいんだな。なまじ「大丈夫」と言われるより、目標設定がはっきり出来ていい。Kさんの指導はダメなポイントが判りやすく、またどう直せばいいかの形がはっきり判る形で指導してくれるので本当にありがたい。
色々、教わった人たちの好意もムダにしないように、審査に望もうと思っている。前の審査と違って、今度は「飛び級」と「留め級」がある。
…どうなることやら。今の自分の実力を、ただあるがままに見てもらおうと思っている。
武術散策 プロ格闘技論 ⑥アントニオ猪木と長州力 一
PRIDEのような「衝突」は、定期的な興行を打つには魅力が乏しいと前記した。そのため「PRIDE」のような興行は、つねに新たな「物語」を用意しなければならない。
というよりは、本来「PRIDE」はアルティメットという「戦い」(そこに関わる認識の変更)を求めたのはなく、単にヒクソンや高田という個人名に牽引された「強さ」の物語を求めた興行なのである。つまりPRIDEは認識的局面に影響を与えたが、それは物語的求心力の結果として偶然にもたらされたのである。
つまり「PRIDE」とは本来的に、「物語」を志向した興行なのだ。そこから考えれば、PRIDEのプロデューサーに猪木が求められた理由が理解できる。つまりそこに必要なのは新たな「物語」を生み出す能力--つまり猪木の才能なのである。
そもそもアントニオ猪木とは何か? 何故ここにきて猪木なのか? 理由の一つにはプロレスラーは決して総合格闘家と比べて、弱くはないということがある。これはインターと新日の対抗戦の中ではっきり判ったことだが、新日トップの選手達(橋本、武藤、佐々木健介、そして長州力)は強い。
プロレスラーはインター選手の技術に対抗して、なお上まわることのできる身体性と破壊力を備えた技を持っていた。プロレスラーは弱くない、にも関わらず、なぜプロレスは総合格闘技の流れから置いていかれなければならなかったのか。
そしてもう一つは小川直也等の「刺客」を巡る猪木の行動や、PRIDEのプロデューサー就任など、その行動は一体、何を意味しているのか? その真意が謎であるところに、改めて猪木を問い返すことの意義がある。
さらに言えばアントニオ猪木を、「猪木」というカリスマたらしめた秘密は何か。あるいは猪木の時代のプロレス試合の持つ魅力に、何故「PRIDE」の試合は魅力負けしてしまうのか。そこにある差異とは何なのか。以上のような理由から、猪木とは何かを問い返す意味が現れてくるだろう。
一つの疑問には既に、SRS座談会で回答の試案が出されている。それは小川を巡る猪木の真意、という疑問である。それによれば「小川」というのは、猪木が新日用にぶつけてきた「仮想グレーシー」だというものである。何故、猪木がそんなことをするのか。
猪木はプロレスが、小川を倒すことで「グレーシー越え」を果たすという物語を作ろうとしている、というのである。それはつまり「プロレス最強神話」の復活という意味に他ならない。その他ならぬプロレス「復権」のために、猪木はわざわざプロレスの外部から敵を送り込んで、プロレス外部の人間になったかのようなスタンスを取るのだ、というのである。
それは現場監督として新日に居続ける長州とはまた別の、プロレスに対する愛し方の印だというのである。猪木の作る、プロレスの「グレーシー越え」が一つの物語であるなら、それは「プロレス/柔術」という一つの図式の創造といえる。その「図式」の生み出す対立概念によって、それが「最強」の名をかけた戦いの「物語」となる。猪木とはそのような「図式」によって、「物語」を生み出していく人間なのである。
猪木は何時からそのような存在なのか。それを単純に年代を追って見てみよう。まず63年、猪木が「アントニオ猪木」に改名した直後、力道山が死亡する。それからすぐ猪木は海外に行っている。そして帰国した66年に「東京プロレス」を旗上げ、しかしこれが半年ほどで崩壊し、猪木は古巣の日本プロレスに復帰する。
この時の日プロのスターは断然、ジャイアント馬場であり、猪木は馬場とタッグを組んで王座を獲得した。この67年頃が幻のB・I砲の時期である。しかし71年のワールドリーグに馬場が優勝した後、猪木は馬場に挑戦を表明する。しかし同年の12月には猪木の日プロ乗っ取り計画が判明、猪木は除名される。そして72年の新日旗上げへと至った。
新日においてまず作り出されたのは、力道山時代同様の「外人レスラー/日本人レスラー」という図式であった。この時の外人レスラーがルー・テーズやカール・ゴッチといった、後々UWFの選手達に大きな影響を与えるストロングスタイルのレスラーである。
72年の「世界ヘビー級タイトル(実力世界一選手権)」におけるゴッチとの決勝戦や、移籍してきた坂口とタッグを組んだ、対ゴッチ&テーズ組との対戦などは、ストロングスタイルの否応ない実力の高さを見せつけ、ファンを熱狂させた。またNWM世界ヘビー級王座をかけたJ・パワーズやタイガー・ジェット・シンとの対戦、欧州最強のビル・ロビンソンといった強豪レスラー達との戦いは、激しく熱いものだった。
この時踏襲されたのは、力道山以来の図式「外人/日本人」という図式であったが、ここに「実力」という言葉を盛り込み「本物」志向に訴えた興行性に、その革新性がある。猪木のプロレスとは根本的に戦後復興の「誇りを取り戻す」ための物語である必要はなく、むしろ70年代という新しい消費社会にみあった「リアリズム」に由来する物語だったのである。
新日は興行的に成功し、日本プロレスを食うようになる。日プロはその間にテレビ中継の打ち切り、馬場の離脱を経て消滅に至る。そこで馬場はすぐに全日を旗上げする。そして猪木は今一つの団体、国際プロレスとの交戦を始め、そのトップ、ストロング小林と74年に対戦し勝利するのである。
ここでは既に「外人/日本人」という図式は、もはや度重なる強豪レスラーとの戦いのなかで、対等の力関係にある「外人=日本人」の図式へと変換された後である。ここで生み出されたのは、十分に日本人レスラーが外人レスラーよりも強いというステップの後の物語である。
つまりそれは力道山亡き後のプロレス団体分裂に伴って生じた、「日本人レスラーの最強は誰か」という興味に答えた図式だったはずである。そこで生み出されたのが「新日本プロレス/国際プロレス」という図式だった。ストロング小林はアメリカ遠征後の同年に再度、猪木に挑戦するが、猪木はそれを退ける。
そして結局、小林は翌年には新日に移籍し、新たな戦力として加わることになるのである。新たに作る図式に勝利し続けることによって、猪木は「最強」という物語を紡ぎ続けていくのである。
思索の遍歴 科学の危機
正確ではないがユークリッド幾何学においては、「一本の直線に対し、任意の点から一本の平行線が引ける」というのが平行線公準としておかれてきた。
これに対し、「2本以上の平行線を引いても矛盾のない幾何学体系が作れる」のを証明したのがロバチェフスキー、「0本の平行線でも矛盾のない幾何学体系を作れる」ことを証明したのがリーマンであると言われる。いわゆる『非ユークリッド幾何学』の登場である。
この非ユークリッド幾何学の登場は、そもそも測量を元に生まれてきた幾何学が、「直観による対象を持たなくても成立する」ことの一つの事例となった。これは『科学』が、「世界を模した像」なのか、それとも「人間の構成物」でしかないのか? という長きにわたる観念論論争の再興と言えるような問題を復活させる意味を持っていた。
数学者ヒルベルトは、数学体系に対して「それは無矛盾な公理系でありさえすればいい」という、通常、「形式主義」と言われる立場を表明する。これに従えば、数学は「世界の描像」である必要はなく、それ自体が完結した体系であることがその「完全性」なのだという話になるのである。
このような問題意識が出てきた背景には、記号論理学の誕生とも関わる話が関係している。ドイツの数学者フレーゲは数学を論理に還元できると考え、記号論理学の基礎になるアイデアを起こした。それを明快な形に直して社会に出したのが、イギリスの哲学者ラッセルだったのである。
しかしこの作業途中、「ラッセルのパラドクス」と呼ばれる集合論上のパラドクスが発見される。これは実は数学の基礎にも関わる重大な問題でもあった。それは論理的に言えば、「『全てのクレタ島人は嘘つきだ』と、あるクレタ島人が言った」という文章に象徴されるような、真とも偽とも決定不可能な命題が成立しうるという問題だったのである。
ラッセル自身はこれを「階梯」の問題として克服しようとした、つまり、自分が属する集合に対するような言及、『自己言及』を禁じたのである。ヒルベルトの形式主義も、広義にはこの問題の解決策として提唱された。
しかしヒルベルトの唱えた数学の無矛盾性を証明する「ヒルベルト・プログラム」の追求の結果、「数学は自己の無矛盾性を証明できない」ということを逆証明してしまった結果が現れた。それがゲーデルの提示した「不完全性定理」であり、いわゆる『ゲーデル問題』として言及されることになっていく。
ラッセルの弟子であった哲学者ウィトゲンシュタインは、論理を「世界の描像」の単位として捉える「写像理論」を考察して『論理哲学論考』を発表する。この書物に刺激を受けた若い哲学者たちは、「哲学を形而上学から解放する」という信条を唱えたウィーン学派の運動へと連なっていった。それは「論理実証主義」と呼ばれる、科学的な手続きだけを「真の知識」とすべきであるという運動でもあった。
しかしこの運動の中で「普遍命題」に関わる『検証』の問題が浮かび上がる。例えば「カラスは黒い」といったときには、「全てのカラス」について言及していることになるのだが、その「全てのカラス」を検証してみなければ、その命題は「普遍的」とは言えない、という問題である。
少し考えて見ればわかるが、科学の命題は原理的に例外がなく、多くの場合が「全ての~」を内包した普遍命題で構成されている。しかしその命題は、その「全て」を実際に検証した上でなければ蓋然的な知識でしかなく、そして到底「全て」を検証するのは不可能であった。
では科学というのは、常に不完全な知識なのか? この『検証』という概念が強すぎるため、それを弱めるべきだというようなカルナップらの意見もあったが、そもそものウィーン学派の『検証』理論に異議を唱える意見もあった。
それがそもそもウィーン学派と近しくしていたポパーの『反証可能性』の理論である。これは「科学」と呼ばれるための条件は、「その理論を反証する可能性があり、そのテストができることである」という極めて大胆な意見だった。
この理念に基づき、ポパーはマルクス理論やフロイトの精神分析、進化論などを「検証できない理論」であるとして、「非科学」であると断じた。ポパーの理論によれば、常に反証される可能性を持ちつつ、その反証に耐える理論だけが「科学」であると呼ばれるべきであった。
興味深いのはこのポパーが、「帰納法」を完全に無意味だと退けた点である。観察によるデータを集めて理論を導き出す「帰納法」より、仮説をたててそれを検証する「仮説演繹法」の方が重要な手続きであるというのがポパーの主張だった。
つまりそれは科学がある意味で、イマジナリーなモデルを世界に「投射」し、そこから我々は『世界』の知識の幾分かを得ているということの容認だったといえる。これを明快に述べたのが、ハンソンの『観察の理論負荷性』という理念だった。
これはつまり「観察」には常に、何らかの「理論」が背景にあり、その理論が観察それ自体を可能にしているという指摘であった。例えばニュートンの理論が発表された後に、観測上の歪みから海王星が発見されたケースなどは、それをよく現している。データの収集、それ自体に「理論」が関わっているということでもあった。
自分の書いた『論考』からウィーン学派を登場させたウィトゲンシュタインだったが、ウィトゲンシュタイン自身はその後、ウィーン学派とも哲学とも距離をおいて、小学校の教師などをしていた。
その生前には出版されることのなかった、彼の『哲学探究』では、今日『言語ゲーム』理論と呼ばれるものの、重要な論考が収められている。
それは哲学も科学も含めた知識、生活における諸様式を「言語の使用様式」として理解するという画期的な観点だった。それは簡単にいえば、「知識の社会的合意性」と今日呼ばれるような問題の端緒だったといえる。これはその後、「言語論的転回」と呼ばれるような流れとなって、登場してくることになるのである。
好事徒然 江戸の珍商売
江戸の町人が大して働いてなかったことは前記したが、商売も大分ヘンなものがあった。なんというか、それだけ余裕があったのかもしれない。
面白いと思ったのは、「猫のノミ取り屋」。なんと狼の手袋をつけて、猫を撫でるだけ。こうしていると狼の方が体毛があったかくなるらしく、そのあったかい狼の手袋の方にノミが移ってくるのだという。こんなものが商売になる江戸、驚きである。
とくに変わってるのは乞食の類である。まず「親孝行」と呼ばれた乞食が面白い。木と紙で作ったハリボテの人形で、親人形を作りそれをおぶるのである。それで「親孝行でござい」とやる。乞食だってんで金をやると、「親の分もお願いで」とくる。親孝行だから仕方がない、倍やることになる。
乞食も色々知恵をしぼったらしく、中には朝がた、綺麗に家の前を掃除しておいて、家人が起きてくるのを待っているようなのもある。ガラっと開けると、「おはようございます。掃除しておきました!」。何がしかやらないわけにもいかない。
この乞食から、金を稼ぐ人もいる。幼児を抱えてる女乞食である。乞食の場合、乳飲み子を抱いていたりすると余計に銭がもらえるのだが、そこに目をつける。なんと自分の子供を乞食にレンタルして、そのレンタル料を取るのである。…なんというか。
香具師(やし)と呼ばれる見世物や大道芸を商売にしてる人たちには、大分、おかしなものがあった。よく発見される「河童のミイラ」とか、「人魚のミイラ」とかは香具師が見世物小屋に出して、木戸銭をとった名残である。
しかしこの見世物小屋、どんなものがあるものか判ったもんじゃない。「もぎとりの小屋」なんてのがあって、木戸銭さえとっちまえば、こっちのもんだってのがいたりする。
「今、評判の『べな』だよ! 今を逃すと見れないよ! 『べな』だよ!」
「…おい、『べな』って言ってたぞ、なんだ?」
「う~ん、魚みてぇなものか?」
ってんで木戸銭払って中に入ると、中にポツンと鍋が伏せて置いてある。そばにいるヤツがコ~ンと棒で叩いて、「…べな」。コ~ン、「……べな」。
いや、ほぼ詐欺である。が、『べな』といえば『べな』なのだ。嘘は言ってない。「美濃の山で見つけた、大ざる小ざるだよ!」とかって入っていくと、本当に大きいザルと小さいザルが転がってたりする。そりゃあ、山のものだろうけど。
「世にも珍しい怪物だよ! 目が三つで歯が二本だ!」…入って見ると下駄が片っ方置いてあったり。しかし江戸っ子ってのはエラいもんで、こういうのにカツがれても、「詐欺だ! 金返せ!」なんて野暮なことは言わない。「ちくしょうめ、やりゃあがった」、アハハで終わりである。
こういう事もあってか、江戸っ子ってのは相当なことでもないと、そんな見世物に驚いたりしない。しかしこの江戸っ子を、アッと言わせた見世物がある。
これは「上総の鹿野山のうわばみ」というやつで、まず下準備が凝っている。上総(千葉)から江戸へくるのに品川で三艘組みの船に替え、隅田川を登ってくる。
一番先の船には江戸名物の屋台囃子。賑やかなもんである、これでもう両岸の注意をぐっとひきつけている。そして真ん中の船には神主がいて、幣を持って祝詞かなんか唱えてる。
最後の船にうわばみがいるわけだけど、これは見せない。大きな白木の長持ちが乗っていて、四方には青竹、それにしめ縄をかけてあるという厳かな様子なわけである。
これで両国の小屋に入るわけだけど、絵看板には当代随一の浮世絵師を頼んで、大変な迫力の大蛇がぐわりと大口開けて牙を剥いている。先割れの赤い舌が飛び出し、下の方で恐怖したちっちゃな狩人が鉄砲捨てて逃げ出してる。
それで呼び込みが声を上げる。「さあ、ご覧なさいましよ、上総の鹿野山のうわばみがこれだ! 孫子の代まで話のたねだから見ていらっしゃい! 胴回りが四斗樽くらいあって、ぱっくり口を開くってぇと子供さんが立って歩けるくらいの大きさだ! この口上に嘘いつわりがあったら木戸銭はお返しするよ!」
これは繁盛した。木戸銭を返すなんてのは、当時は考えられなかったからである。それでこりゃ安心ってんで、みんなぞろぞろと集まった。それで中に入ると、確かにいるんである。四斗樽くらいの大蛇が。口を開けると、確かに子供が立って歩けそうだ。
…ただし、生きてないんである。張子の化け物、まあ、ねぶたみたいな大蛇がそこにで~んと置いてあったわけである。それで「口上に嘘いつわりがあるか」といえば、確かに嘘偽りはない。どこにも「生きている」とは言ってないのである。
外に出た者は、周りの者に聞かれるわけである。「どうだい、大蛇はいたかい?」「…ああ、いたね」「それで、あの口上に嘘いつわりはないのかい?」「…ないんだね、これが」。そんなわけで大繁盛。
さて、もうちょっとマシなの。「猫踊り」という見世物があって、これは猫が、「猫じゃ猫じゃ」と歌うにあわせて、二本足で立って踊りだすという代物だった。
この「猫踊り」を題材に、岡本綺堂先生が『半七捕物帳』のなかで一話を書いている。この記述によると、この猫は子猫の頃から踊るように仕込むのだそうである。それが興味深い。
まず鉄板を敷いといて、その上に猫を乗っけるのである。猫の方は、前足はそのままだけど、後ろ足には厚手の手袋(足袋?)みたいなのを履かせている。それでその鉄板を熱く焼くと、猫は前足が熱くて堪らないから、ぴょんぴょん飛び跳ねるのである。
その猫の飛び跳ねるのに合わせて、三味線と歌で「猫じゃ猫じゃ」を演奏する。これを何回も繰り返すうちに、いわゆる「パブロフの犬」状態で、演奏を聴いただけで飛び跳ねるようになる。これが「猫じゃ猫じゃ」を踊ってるように見える、というわけである。
今やったら、まず動物愛護法とかにひっかかりそうだが、昔はそんな商売もあったという話である。ちなみに猫じゃ猫じゃの話は三遊亭金馬師匠の話にも出てきて、記述はそれも参考にしている。
付なおけ加えておくと、今回の話は落語ネタが多い。どこまで本当か判らないので注意すること。余談だけど、こういう「噺家」という芸人が商売として成立しているのは日本くらいだそうである。これも落語で聞いた話である。
特撮最前線 超特撮論 3、分身と変身 ④
同形のダブルは希有であるにせよ、「ダブル」が「そうもありえた自身」であるなら、類似のダブルもまた「分身」であることが判る。この意味では「ダブル」は多くの特撮作品にとっての重要なモチーフとして描かれ、特に石森章太郎原作の作品には度々登場している。
最も有名なのは『人造人間キカイダー』(72年)に登場した「ハカイダー」であろう。光明寺博士によって作られたキカイダーにとって、光明寺博士の脳を持つ(血を持つ)ハカイダーは、キカイダー同様に光明寺の「息子」である。それはつまり「キカイダー」の「そうもありえた姿」なのだ。
そしてハカイダーはキカイダーにとっての「宿命の相手」=「ライバル」なのである。「ライバル」とは何か。ライバルとは、常に勝敗の存在する戦いにおいて、必然的に存在する「そうもありえた自身」の姿である。
もちろん相手が「ライバル」でありえるためには、相手に主人公と相応の能力や、似た境遇が必要である。この意味で「仮面ライダー」は、最初の「ダブルライダー」というモチーフをライバルも含めた多彩な形で展開していく。その続編『V3』では、V3に対する「ライダーマン」がそのダブルとなる。
「ライダーマン」のデザイン案が、元々「仮面ライダー」の原案だったことを考えるなら、「ライダーマン」とはまさしく「そうもありえた仮面ライダー」の姿である。ライダーマンはV3より能力は劣るものの、結城丈二は風見史郎と対等な関係を持っている。
その二人は「デストロンへの復讐」という私怨から戦い始め、やがて大きな正義のために戦うという似た境遇を共有する。「ライダーマン」と言えば、「仮面ライダー」達の中ではオマケのような位置にいると思われがちだが、結城丈二と風見史郎の関係は、本郷と一文字以上に深く、熱い理解に結ばれているのである。
この「対等さ」をライバルという形で表現したのが『X』における「アポロガイスト」である。アポロガイストは敵であるにも関わらず、変身前の姿を持ち、バイクに乗り、独自の変身アクションを持っている。それはまさに「そうもありえた仮面ライダー」の一つの形態、「ダブル」の存在である。
その「ゴッド秘密警察第一室長」という特殊な肩書きを持つ彼は、単に怪人に指令を出すだけの幹部と違い、時には怪人達を出し抜き、Xライダーの行動を見破る。アポロガイストは毎回倒される「怪人」でもなく、また指令を出しては失敗するうかつな「幹部」でもない、知勇ともにXと対等関係にある「ライバル」であった。
全く別の角度から「ダブル」を持っているのが「アマゾン」である。「アマゾン」のダブルとは、アマゾンが持つギギの腕輪と対になっているガガの腕輪を持つ「十面鬼」である。この「十面鬼」は、アマゾンとは似ても似つかない…というよりは、それまでの人間型怪人の常識を遥かに越える異形の存在である。
アマゾンの力の源であるギギの腕輪に対して、その対であるガガの腕輪を持つ十面鬼は言うなればアマゾンの兄弟である。その兄弟は何故、こんなにも異形であったのか。
「アマゾン」とは、「仮面ライダー」を「怪人」=「野生」の存在として解釈したヒーローである。その野生(自然性)が本能=潜在意識とリンクするということは前記した。だからこそ十面鬼は、潜在意識における悪の化身、最も恐ろしい異形の化け物でなければならない。
「十面鬼」が幾つもの「顔」を持っていることは、その意味で象徴的である。「無意識とは他者である」とは心理学者ラカンの言葉だが、無意識において深層心理を支配するのは、顔なき他者の無数の言説。そして抑圧された幾つもの「そうもありえた人格」という可能性である。
その混沌とした可能性それ自体を、複数の人格という矛盾した形で具現したもの。だからこそ十面鬼とは、通常は抑圧され潜在化する、あらゆる欲望、残忍と怪力、卑劣、獰猛さの化身なのである。
だがこのような潜在性が具現化するのは、それは間違いなくある「可能性」が具体化すること、つまり多くの可能性が一度に現実化されることを意味している。その時、潜在性は一つの「力の源」として理解されることになるのだ。
このような意味で「ダブル」を展開した興味深い例は、やはり石森原作の『イナズマンF』(74年)における「ウデスパー」である。「ウデスパー」はデスパー軍団のカイゼル総統の「右腕」たる優秀なロボットだが、ついにある時イナズマンに倒される。
しかしウデスパーはそのまま放置されることなく、修理再生され、二体のロボット「ウデスパーa」と「ウデスパーb」となって甦る。さらにカイゼルは新しいロボット「サデスパー(ウデスパーが右腕なら、サデスパーは左腕であろう)」を作り出す。
ここに三体のロボットが登場する。本来の「ウデスパー」が分離した分身aとb、そしてライバル関係のサデスパーである。そしてこのaはb、やがて一体のロボットとして改造され「合体ウデスパー」となるのである。
しかし元々一体のものを分離し合体させた合体ウデスパーは、改造当初は自らの機能分裂に苦しめられている。つまりその自己の統合に、まだ分裂が残っているのだ。しかしその能力を充全に発揮できた時は、以前の「ウデスパー」より遥かに強い能力を持っているのである。
この経緯を象徴的に追ってみる。まずある主体から、二体の「自己」が生まれる。この経緯は「ダブル」が、フロイトのいうように心理の二重化から発生したことを物語っている。そして「ライバル」という対等者が登場し、それと敵対関係に陥る。それは主体から生み出された「ダブル」と違い、全くの外部から現れた「他者」である。
しかしその境遇、能力において二人は類似し、かつ異なっている。このような「ライバル」は、自己の占めるべき最も輝かしい位置を奪う…つまりこの「ダブル」は自己の可能性の纂奪者である。そして分裂した主体とその分身は再び統合され、「ダブル」という形で外的に現実化した可能性を主体は自らのものとして再統合する。それは主体の新たな一面の開発であり、その可能領域の拡張となるのである。