武術散策 プロ格闘技論 ⑥アントニオ猪木と長州力 ニ
その後に猪木が始めるのは異種格闘技戦である。最も有名なのは対アリ戦だろう。だがそれ以外にも、猪木は様々な異種格闘技と対戦をしている。
まず猪木の対アリ戦を聞き、「その前に俺と戦え」といってやってきたミュンヘン五輪の柔道の二冠王、「オランダの赤鬼」ウイリアム・ルスカとの76年の戦いがある。猪木は何とかこれに勝利(後に若い頃の長州力が敗北しており、ルスカは決して弱くはない)。
そして同年の、有名な「イノキ・アリ状態」を作り出したアリ戦である。結果はドローに終わるも、アリの足が即入院が必要な状態になったことは周知の通りである。
翌年にはキックボクサーのモンスターマン、そしてボクシングのチャック・ウェップナー戦、さらに78年にはキックボクサーのザ・ランバージャックと、80年には極真伝説の空手家、「熊殺し」ウィリー・ウィリアムスと戦う。
また異種格闘技ではないが、76年にはアンドレア・ザ・ジャイアントと格闘技世界一決定戦をし、同年パキスタンで、やはり格闘世界一決定戦を、現地の英雄A・ペールマンと戦っている。ペールマンとの戦いは今でいう「アウェイ」であることも重なって、公平なジャッジでもなく、また会場は敵のファンだらけという状態のなか、猪木はアームロックで相手の腕を折る文句のつけようのない勝利を飾る。
猪木は数多くの異種格闘技戦を行ったが、敗北したのは89年の柔道家チョチョシビリとの戦いのみで、しかもそれは同年にはリベンジを果たしている。
この時、猪木が見せていたのは「外人実力者」「国内他団体」の後にくる図式の相手--つまり「異種格闘技/プロレス」という図式である。それは世界とも比肩でき、また国内でも最強である新日(あるいは猪木)が、その「最強」の称号をかけて他の格闘家達と戦う図式だったのである。
ここで興味深いのは、そのような異種格闘技戦において、そのほとんどがその戦いの形式やルール、持ち味などの「認識論」の過程を踏まず、即「最強」の物語に直結されたことである。つまりこの時代における異種格闘技戦は、それぞれの格闘技の特性や「戦い」をどう想定するかの認識を抜きにした、「結果」だけが中心になった「強さ」への志向だった。
この時代における異種格闘技戦では選手達の間ではともかく、後に「アルティメット」と呼ばれる「何でもあり」の状況の際の戦いの技術に関する理解は、一般人には全く広まらなかったのである。ここで問題にされたのは「勝つか、負けるか」という単純な二項目に縛られた「物語」だった。猪木の作る「図式」とは、そのようなシンプルな見方に応えるためのものだったのである。
猪木は異種格闘技戦を盛んに行った76、7年の後、78年には長期の海外遠征を行っている。そして帰国した79年には全日、国際との「夢のオールスター戦」を行う。ここでは幻のB・I砲が復活するが、そのタッグ戦の後、猪木は馬場に「今度はシングルでやりましょう」と発言している。それは結局、実現することはなかった。
しかしこのオールスター戦で実現された「新日/全日」は、間に外人レスラーをはさんで、対抗関係を深めていく。80年代に入ると新日はプロレス全盛時代を迎える。猪木の海外遠征の成果なのか、そこには個性あふれる外人スターレスラーが揃っていたからだ。
80年、NWMのベルトをスタン・ハンセンに奪われたのを皮切に、新日はMSG(マジソン・スクエア・ガーデン)シリーズを始める。そこにはスター外人レスラーが勢揃いし、文字通り夢の共演となった。
ボブ・バックラウンド、アンドレア・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガン、スタン・ハンセン、タイガー・ジェット・シンなど、今でも記憶に残る個性豊かなレスラー達が覇を競った。このMSGシリーズを踏まえる形で81年、IWGP構想のための委員会が発足する。
猪木が発表したIWGP構想とは、アメリカ・アジア・ヨーロッパ・中近東・カナダ・中南米の6地域の中で、「最強」を決定するという大それた計画である。しかしこの壮大な構想にトップレスラー達が賛同した。
猪木がまずハンセンからNWFヘビー級王座のベルトを奪うと、それを返上。そのことによってその王座がIWGPに組み込まれた。これに習ってT・シンがアジア王者のベルトを返上、また全日に出場していたアブドーラ・ザ・ブッチャーが自らのベルトを返上し、IWGPに参戦を表明、新日のリングに上がることになった。
ここで生み出された図式を見てみよう。まず「新日・全日」というどちらが最強ともいえない、対等関係が存在する。そこで猪木は思い切って全日にぶつかり、まず「新日/全日」という図式を部分的にではあれ明確化する。さらにその関係の深度を増すために、外人レスラーがそこに加わる。
つまり全日で戦っていた外人レスラーを、新日に引き込むのである。それは全日=外人、という図式を前提にその外人が動くことで外人=新日という新たな図式を作りだす。そうすれば全日=外人=新日という図式が生まれ、全日=新日という対等な力関係が刻印できるのである。
こうなれば全日=外人=新日という対等な力関係の中から、真に抜きんでた者を明確化することが「最強」の物語を生むことになる。それがスターの外人レスラー全員を巻き込んだIWGP構想の意味である。つまりそれは「全日=外人/新日」という図式のもとに、真の「最強」決定戦を行うという統一コードへの計画だったのである。
思索の遍歴 ホーリズムとパラダイム・シフト
多くがユダヤ人系だったウィーン学派の面々は、ナチスの危険が迫ってくるとその多くがアメリカに亡命した。とくにそのリーダー格のカルナップがシカゴ大学に職を得たのを期に、ここを中心に論理実証主義の面々が再び集まってくるのだが、それは「ウィーン・シカゴ学派」と呼ばれることになる。
この科学哲学の潮流は、やがてアメリカ土着の思想であるプラグマティズムを融合して、新しい「ネオ・プラグマティズム」と呼ばれる科学哲学を生むことになった。その代表格がクワインである。
クワインが1951年に発表した論文、『経験主義のふたつのドグマ』では、論理実証主義の方法論を受け継ぎつつも、その基本前提となっている基盤を「ドクマ」として批判した。クワインが批判したのは「分析/総合判断の区分」と、「還元主義」であった。
論理実証主義では、論理学や数学の命題というのは「経験によることなく真である」ような分析命題であるという、カント以来の区分法を踏襲していた。しかしクワインは論理学や数学の命題でさえも、先天的に真であるようなものではなく、「分析/総合」の両判断形式は綺麗に線引きできるようなものではないとした。
また論理実証主義には、「全ての有意義な命題は感覚与件に関する言語で言い表される」というテーゼがあった。これを「還元主義」と言っていたが、これは哲学における「形而上学」的な伝統を廃して、科学的記述に全てを置き換えようというテーゼであった。
しかしこれに対してクワインは「意味の全体論」(ホーリズム)というものを提唱する。クワインは次のように書いている。
『だが、場全体は、その境界条件、すなわち経験によっては、きわめて不十分にしか決定されないので、対立する経験が一つでも生じたときに、どの言明を再評価すべきかについては広い選択の幅がある。
どんな特定の経験も、場の内部の特定の言明と結び付けられているということはない。特定の経験は、場全体の均衡についての考慮を介して、間接的な仕方でのみ、特定の言明と結びつくのである。 』
(「経験主義のふたつのドグマ」)
簡単にいってある現象は、「理論全体」でそれを観察するために、一つの現象が即、その理論全体の反証となることはない。理論自体は大きな枠組みー場を持っていて、その「周辺」で現象と接しているのである。多くあることだが、その理論では解決不可能な現象が現れても、その理論全体を変えるのではなく、その一部を修正するだけで現象は整合的に説明されうる。
こういう「全体論」は、論理実証主義の「感覚与件」に命題を還元する立場も、ポパーの「反証可能性」の立場も同時に批判することになった。それらはナイーブに言明が現象と結びついていることを前提にしており、理論が「全体」として観察それ自体に関わっていることを度外視しているからだ。
有名な「デュエム=クワインテーゼ」というのは、ある現象に対して説明する理論が、複数ありうるということを表明したものだった。物理学者のデュエムは、例えば光の波動説と粒子説があったときに、「どちらが正しいか」ということを検証によって決定できるわけではないとした。
つまりそれ以外の「第三の立場」や、それ以上の説明可能性もあるということである。これは実際、量子論の登場によって「第三の立場」があったことにも由来している。つまり対立する理論があったとしても、それを「検証実験」で常に確定できるわけではない。この「検証不全」の原理を、クワインはこれを物理学も含めた全ての学問に敷衍して主張した。
このデュエム=クワインテーゼに言及しつつ、全く新しい科学史の展望を示したのが、トーマス・クーンによる有名な「パラダイム論」だった。
「パラダイム」とは元々、「文法規則の表」のような意味らしいが、「パラダイム」という概念は大きな意味で「時代的な理論の準拠枠」くらいの意味で使われることになった。そしてこの移り変わりを「パラダイム・シフト」という概念で呼んだ。
一番判りやすいパラダイム・シフトは、やはりニュートン力学から相対性理論への転換のときであろう。それまでの大きな準拠枠だったニュートン力学が、相対性理論へと変わる。これは「準拠枠」それ自体が変化する大きな変化だった。
では、このパラダイム・シフトが何に由来して起こるかという時に、クーンは「異なるパラダイム間の比較不可能性」という事を言ったのである。非常に誤解を招く言い方でもあったが、「異なるパラダイムに属するものは世界観が異なる」というような言い方をして大変な批判も招くことになった。
例えばニュートン力学と相対性理論では、同じ「時間」「空間」のような概念を使っていても、全くその意味内容は異なってくる。それを「共訳可能」であるとすれば、確かにそれはある種の間違いであるといわざるを得ない。
クーンは理論の変化史が、連続的で累積的なものではなく、むしろ断続的で跳躍的なものであるということを強調するためにそのような事を言ったのであった。しかしではこの変化は何によって生じるかという事になったとき、そこでは「歴史的、社会的、心理的条件を含めた複合的な条件」ということが示されたのである。
この流れは少なくとも、なんらかの「検証」によって、科学が科学内部の原理だけで『真実』に向かっているというイメージを大きく覆した。これは科学者側からは、「相対主義」として厳しく批判されることになる。
クワインは「先天的に確定的な真理」というものも、そして「検証による真理確定」という手続きも批判したが、それはプラグマティズムという「実践的」な思想のためでもあった。つまり「我々は常に前に進まなくてはならない」からである。クワインは単純な真理確定も、そして相対的な社会的合意性の強調も目的ではなかった。
しかしこの潮流はやがて、「科学者vs科学社会論」の決定的な対立となって現れてくるのである。
好事徒然 薙刀持つ妻女
薙刀持つ妻女は恐ろしい、という話。江戸時代じゃないけど、有名な戦国武将、福島正則が妻女に脅されたという話。
福島正則といえば関ヶ原で一番の功績を挙げたとまで言われる猛将である。しかしある時、浮気がばれて、妻女から鞘を抜き放った薙刀で斬りつけられた。戦場でも敵に後ろを見せたことのない福島正則も仰天し、方法のていで逃げ出した(この時、斬りつけたのは。『元禄武士学』では正室、ウィキでは側室になっている)。
逃げ出した先の家臣の部屋で、福島正則が漏らしたこと。「さてもさても、女の悋気したる勢いほど恐ろしきはなし、悪鬼羅刹とはこれなるべし」とため息したという。いや、あんたが悪いんでしょ。
さて、安中城主、水野信濃守の話。女好みの強い大名で、常に身辺に複数の妾を置いていたという。この正室は同属、水野家の出の非常に勝気な女性であったという。
ある時、参勤交代の折、江戸についたなり真っ先にうっかり寵愛している側室のいる下屋敷に入ってしまった。これを聞いた正室は、怒りに燃えた。まず正室のいる本邸のところにくるのが礼儀というものだからである。
そんなこととは知らずに夜になってのこのことやってきた信濃守。部屋に入るなり、キランッ! と光る薙刀の刃に肝をつぶした。
「うわぁっ!」
絶叫して逃げる信濃守。が、気が動転して足取りもままならない。転げながらほうほうのていで長廊下を逃げる信濃守に、正室は薙刀をもって追いすがる。そして、
「おぼえがござろうっ!!!」
と、言うなり、その薙刀を振り下ろした。
「ギャーッ!」
あわれ信濃守は、その尻に一太刀浴びて、表の間に転げ込んだのである。
この信濃守騒動はたちまち江戸中の笑いものとなり、やがて幕府から「乱心」のかどで屋敷に幽閉を命ぜられる。そしてなんと上野国の安中二万石、没収となるのである。たかが女心、などと甘く見るととんでもないことになるという、いい見本である。心すべし。
先ごろの2月13日の朝日新聞の記事に、『竜馬も惚れた佐那の錦絵』という記事が載った。京都国立博物館の館長で竜馬研究者としても知られる宮川禎一氏が、明治6年に行われた撃剣興行の模様をつづった錦絵に、千葉道場の佐那の絵図を見つけたというのである。
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』では「千葉さな子」という名前になり、三人の姉妹も一人娘になっていたが、元は「佐那」という名前で次女だったそうである。大河の『龍馬伝』では「佐那」になっているが、姉妹は出てきてないようである。
さて、この千葉佐那像だが、実は薙刀を持っている。どうやら撃剣興行では、薙刀をもって演武したようなのである。当時の北辰一刀流には薙刀もあったという事がここから判る。
また佐那の風貌については「顔は長面にして鼻筋は通り、口元は締まれり」という記録が残っているというとだが、この錦絵はそれに合致してるという。
ちなみに竜馬が乙女姉に送った手紙には、佐那のことがこんな風に記されているという。「剣は手ごわく、長刀もでき、力は並みの男よりも強く、美人で、心ばえは男子も及ばないほどの『大丈夫』」と賞賛した。
千葉佐那が撃剣興行などに出ていたのは間違いないが、佐那は生涯独身だった。そして「私は竜馬さまのいいなずけでした」と人には語っていたという。
それにしても「剣は手ごわく長刀もでき、力は並みの男よりも強い」のが佐那だったのである。にも関わらず、『龍馬伝』では、「お前は龍馬に勝てない」と言われた佐那が逆上して龍馬に勝負を挑み、挙句、打ちかかる剣をとられて大外刈りで倒され、「これが戦だったら、佐那さんは命がないぜよ」とか龍馬に説教されている。
どうも、この、「男と対等でありたい」という女性を腕力で屈服させた挙句、偉そうに説教たれるという図式が極めていやらしいと思った描写であった。大体、「女武芸者」の力をナメきっている。千葉道場に生まれ育って武芸を仕込まれ、普通の男よりも力が強いような佐那が、「戦の心構え」をわきまえてないわけがない。「心ばえは男子も及ばない」と龍馬本人が言っているではないか。
全くの脱線だが、薙刀の会の折にどっかの議員が挨拶で「薙刀も本当は男の方が強い」とかほざいて、その後で散々に『先生』に叱られたらしい。こういう意識が抜けないから、いつまでも男ってダメなのだ。一度、尻を斬りつけられるのがいい薬だとか思う次第である。…僕は気をつける。
作品を読む 池波正太郎×タツノコ
奥さんが「『ガッチャマン』が見たい!」と突如言い出し、レンタルしてきた。ちなみに、今までは『新造人間キャシャーン』『宇宙の騎士テッカマン』『破李拳ポリマー』の、その後に続くようなタツノコSFアニメと比べると、『ガッチャマン』はそれほど好きではなかった。
が! 見てみると、やはり面白い。痛快だ。
見ながら、ふと思ったことがある。「これは『鬼平』に似ている…」
ちょっとこの「似ている」の意味が判らないだろう。『鬼平犯科帳』というのは、幕府の抱える火付け盗賊改めの話である。実は主人公の鬼平以外に、部下たちの群像劇で見せている面白さがあるのだ。
『ガッチャマン』との共通項は以下のようである。
・公共機関(政府とか)に属していて、基本的に「善の側」であることがはっきりしている。チーム性で見せていく。
というところが共通かなと。そしてこの路線は、非常にウケると思った。『鬼平』は池波作品のなかでも最長シリーズだし、ガッチャマンもメチャクチャ長い。DVDで27巻、102話あり、これに加えて『Ⅱ』と『F』の続編シリーズがある。全ての「刑事ドラマ」は、この路線だ。
けど実を言うと、『鬼平』は僕はまだ原作手付かずの、それほど「魅力」を感じてるわけでもない作品でもあるのだ。これは資質の問題だろう。どうも「公的組織」に属していて、なんの心配もない場所で悪を断罪するというのが「正統」すぎる気がしてしまうのだ。
これと比較して、他の池波作品とタツノコ作品を対照してみたりする。
『剣客商売』-『ポリマー』…一民間人が強い力を持ち、周囲の事態を解決していく。作品に流れるユーモアがあるのも共通か。
『仕掛人・藤枝梅安』-『テッカマン』…やってることは「正義」のなのだが、何か決定的な不安と、公にできないような「秘密」を抱えている。ちなみにテッカマンでは、地球が滅亡の危機にあるのが秘密裏になっている。
『雲霧仁左衛門』-『キャシャーン』…基本的に、行動の動機が「個人的な」次元にある。「善」の側に立つというより、善悪をちょっと超越した場所に立っている。あまり支援者がいないのも特徴か。
『剣客』も好きなんだけど、実は『テッカマン』が好きだ。昨日は奥さんとこんな話をしていて、奥さんはこれを「魔女っこもの」にあわせて考えようとしていた。それはちょっとよく判らない面がある。
『ガッチャマン』-『魔法使いサリー』…「お姫様」という後ろ盾ありで、家族で移住。集団劇で見せる。
『ポリマー』-『秘密のアッコちゃん』…民間人のアッコちゃんが、突如、ふしぎな力を持って周囲の物事を解決。
『キャシャーン』-『キューティーハニー』…支援者があまり役にたたず、行動動機も個人的な部分が多い。しかし「魔女っこ」なのか?
『テッカマン』-『ミンキーモモ』…実はその家の娘でないことは秘密。フェナリナーサ(魔法の国)と、現実界が遠ざかってしった危機を回復しようとしている。
ちなみに『セーラームーン』は、『鬼平』だそうである。お姫さまだし~、チーム制だし~。支援者アリアリ~…なのだそうだ。
特撮最前線 超特撮論 3、分身と変身 ⑤
このような「ダブル」の主題を、空想的な心理モチーフとして処理するべきではない。というのは、ここには人間の「自己」に対する認識の問題が潜んでいるからである。
ラカンが臨床例としてあげた事件のなかに、殺人犯の姉妹という事件がある。姉妹はその家族を殺してしまうが、その殺した後も二人でベッドに入り「殺しちゃったね」などと言って悪戯をした子供のように笑いあっていたという。
逮捕されてからも姉妹は一向悪びれる様子もなく、二人だけの会話を楽しんでいた。しかしその姉妹が一人一人に離された途端、二人の少女に精神の変調がおきる。ラカンはこれを「鏡像」の例としてあげている。姉妹は相手を通して自己確認をし、そこで小さな「世界」を形成していた。
つまり姉妹は互いに相手を、自己の「鏡」として見ていたのである。主体が「私」という「自己」を形成するためには、「他者」の視線を必要とする。ラカンはその発達段階の理論に、「鏡像」という概念を取り入れた。
ラカンの理論ではその「鏡像」は最初「母=自己」の形で現れ、次いでその分離「母/自己」が起きる。そして自己は母を欲望することから、逆に母の欲望の対象となろうとする「母・自己」の関係となる。
しかしこの「母」の欲望の視線の先は「父」にあり、「父」は母を欲望すること自体を禁止(去勢)することで、この無限循環に終止符をうつ。心理学特有の象徴的概念ではこのような表記になるが、実際的な現象説明としては、主体は母の不在(ある欲望充実の欠如)に対して、象徴的把握(言語化)を通じてそれを客体化することを学ぶ。
言語とはそこに現前しない「不在のもの」を表像するものである。人間はその客体化の過程を通して、主体の客体的な把握--「自己」を作る。この意味で「母」が常に、潜在化した欲望を意味する「無意識」の領域を示す表像であること、逆に「父」が言語や法といった社会性の表像であることが理解できる。
このような発達段階は心理学的解釈であって実際的に検証できるわけではない(これは検証される性質のものではない)が、しかし「主体が主体のみで自己を形成する」わけではないことは、もはや社会学や哲学においても常識化している。
ルーマンの社会システム理論では、それを論理的に「他者を通して可能性にすぎないことを自身の体験として経験し」、「他者の視程を通して、自分自身を同一化する」と記述している。ある瞬間の「自分」と別の瞬間の「自分」を一人の「自己」として規定することは、それを外部から眺める「他者」の視線を内面化することによってなされている、ということである。
このような内面化された他者の視線とは、フロイトのいう客観的な自己把握をするもう一人の自己である。このようなメタ自我の視線から、現実化された自己と、可能性として潜勢する自己との分裂が生まれることは前記した。それは言語が「不在のもの」--つまり「可能性にすぎないもの」を表像することに由来している。
つまり「父」が言語をもたらすことによって、自己の「現実性/可能性」による客観的把握をもたらす。そのことによって現実性と可能性を混濁して(自己と母を同一視して)表現していた「鏡像」が解体される。
この解体が「現実の自己」と「可能性の自己」という意識をもたらす。この「可能性」の体験は「他者」によって--他者の言語によってもたらされる。それは「現実性/可能性」によって形成される意識とともに、そこから潜在化される無意識をも作り出す。
ここにおいて「可能性としての自己」と「無意識という他者」が考察されることになる。その意味で「ダブル」とは、主体の「自己」把握において、その可能性と無意識が集約的に一人の他者において実現された形なのだ。
現実的な状況において、そばにいる他者に「ダブル」を見出す際、それが良い友人ならばそれは「可能性の拡張」となるだろうし、悪い友人ならば「可能性の縮小」となるだろう。ここでいう「良い悪い」は通常の意味ではなく、主体の感じ取り方の問題である。
自身が他者のポテンシャルも利用できると考えるなら、それは自己の「可能性の拡張」であろうし、自身の可能性を他者に先に現実化されそれが奪われていると感じるなら、それは「可能性の縮小」である。つまり前者のダブルは、選択肢を増やし協力し、生命を守り自身に替わって全てを行う、力の「増大源」であるが、後者は逆に、成功を奪い選択を強制し、無軌道な欲望に動き生命を脅かす「纂奪者」である。
この意味では「ウデスパーa・b」は「増大源」であり、現に合体してパワーアップする。そして「サデスパー」は纂奪者として敵対するのである。