単純なものではなかった
ついにベースが入って、これでまたグレードアップしたわけだ。次回のKAMOMEでどんな感じになるか楽しみでしかたなかった。
ところが、実際にライブを終えてみると、いや、正確にはリハーサル中に気がついていた。ドラムの代わりではないパーカッションと普段ドラムありきのベースとは、なるほど音楽的というかアンサンブル的な立ち位置が違ってくるのだな。おそらくこれはロックやポップスだからゆえのことだろうけれど。なんとなく、感覚的に耳がバスドラムとスネアを探してしまう感じだろうか。
ラテン系の音楽ならそれがゆえの浮遊感を楽しむのだろうけれど、基本的な強拍(ワン、ツー、スリー、フォー)の部分(特に2拍と4拍)がないとポップスやビートありきの音楽で戸惑うのだろうな。
しかし、解決方法はある。それぞれがドラムにビートを依存していたような感じではなく、それぞれが確固たるビートをイメージして演奏すればいいのだ。だが、これがなかなか容易ではない。やはりそれはドラム&ベースがいるとう前提のポピュラー音楽で染まった慣習なんだろうと思う。まあ、それが普通ではあるのだけれど…。
つづく
詩人か絵描きか?そして低音欲しくなる。
(2012年、北軽井沢のアウトサイドベースでランタンライブをやったときのステージ。仲間が持ち寄ってて照らしてくれた貴重なビンテージランタン。そして、後ろのバナーはhiro'sBARのヒロさんがプレゼントしてくれた。この時のみんなでステージを作り上げてくれた時の感動は忘れがたいもの。)
このアウトドアライブの数年前には藤岡幹大くんともここで演奏したんだ。その時はものすごい雨で大変だったけれどね。
さて、昨日に引き続き。
僕は、一匹くんのパーカッションを改めて数年ぶりに聞いたとき、パーカッションで詩人みたいだなとおもった。音楽的にリズムを作り出したりグルーヴを醸し出したりとかそれだけじゃないなと。うーん、絵描きにも似てるかな。パーカションが入ってくる事で絵が浮かんでくる感じがしたんだよね。ほら、詩も読むと情景が浮かぶでしょ?あんな感じに似てるんだ。
鍵盤、青木ゆき、ギター、善明響一朗、サックス、岩本義雄、そしてパーカッション、竹本一匹、これで一つの形ができた。
いや、そう思ってた。
ライブで音を重ねると、面白い事に気がついた。つまり、本来バーカーッションはドラムの代わりではないということに。全くもって失礼な話だよな。一匹くんのパーカッションをドラム代わりなって思う事自体が。
まあ、それも仕方ない、ドラマーの演奏するパーカッションしか知らなかったんだからね。ドラムはビートを作るけれど、パーカッションは違うんだよね。だって詩人か絵描きなんだから。
サックスとパーカッションあるけれど、アンサンブル的にはコード楽器ばっかりの編成だから、ピアノやギターのアプローチもすこし工夫をしてみた。低音部をしっかり出してフレーズやリフを考えてもたっらりね。
でも、ここでまた僕の中の何かが「?」を見つけてしまったんだ。
ビクター時代のレコーディングの時に、プロデューサーの笹路さんにもいわれたんだけれど「君は基本的にベースを聴いて歌ってるんだね」と。その頃はあまり意味がよくわからなかったけれど、僕は確かに、アンサンブルやアレンジにおけるベースパートを聞くのが好きだった。だから、ベースのフレーズや演奏がカッコいいものは間違いなく好きになる。逆の視点では好きな曲は大抵ベースラインがカッコよかった。
うーん、ベースかぁ。大所帯になるしなぁ。でも多分ベースが入れば問題が解決するはず。そう思って、何人か候補を考えてみたときに、手を上げてくれたのが古谷圭介氏だった。
「僕はロックなんで合わないかなと思うんですけれど、でもよかったらやらせてください」と申し出があったんだ。僕は、とりあえず自分らしく好きになてくれていいからと彼の参加を大歓迎した。
(つづく)
パーカッションの表現力
(スーパーロボット魂 2012年の一コマ)
好きな歌を好きなように
1994年にキャンプテン翼Jの主題歌『Fighting!』をFACE FREEというギターとボーカルのユニットで手がけて、97年にビクターエンタテインメントからソロデビューしてからというものいろんなところでLIVEをしてきたけれど、幾つか印象に残ってるのは両国国技館で行われたある企業のイベントで、モーニング娘と同じステージに上がった時と、およそ二万人を前にした神戸港での2000年カウントダウンのLIVEだな。
僕らの脇を走り抜けるモー娘の女の子たちは若くていい匂いしてた(笑)神戸のカウントダウンはものすごい寒くて、雪も降ってきたりして手がかじかんでギター弾けなかったのを覚えているよ。まあ、そもそもそんなギター上手くないのでいいんだけれどねw
1000人クラスのホールも日本全国結構まわりましたね。アニメのイベントだったけれど、とてもいい経験だった。土地のおいしいものを散策したりしてね。
ソロになってから海外レコーディングもしたりして、スティーブ・ルカサーにギター弾いてもらったりして、多分いろんな意味で絶頂期だったんだとおもう。
そんなこんなでいろいろやってきて、ビクターとの契約が終わってから少し音楽と離れたりして、写真とか撮ってたりして、そしてまた音楽にもどったり。実に波乱万丈だなと。
音楽やめようかなともおもったんだけれど、それならいっそ、好きな歌だけを好きなように歌ってもいいんじゃないかって思って、6年前のBeautiful Melodiesを始めることにしたんだ。
お客さんの好みを考えてもどうにもならないし、まずは自分が歌いたいと、歌い遺したいと思う歌を選んで歌おうと思ったわけ。それに賛同してくれたのがキーボードの青木ゆきさんと、ギターの善明響一朗さんだったんだ。
善明さんの風貌からすると、ちょっと不思議に思うかもしれないけれどね。でもね、メタル以外に好きな歌をきくと結構共通点があるんだ。まあ、年代も一緒くらいだからね。で、前になんどか一緒に演奏したことがあるサックスの岩本義雄さんにも声かけて始まったのか今のスタイルの原型なわけ。
そりゃ最初からいい感じにできたわけではないけれど、それでもなんかこの感じで続けて行こうと思えたんだよね。
(つづく)
当時はまだFacebookは使ってなかった
13年前、KAMOMEで出演し始めた頃は定期的にではなく、なんとなく2ヶ月から3ヶ月に1回、他のライブハウスの出演も絡めながら年間として月一になるようにして行っていました。
当時は今のようなスタイルではなく、そのLIVEごとに企画を考えてメンバーも毎回選出していたので、かなりスリリングな状況も多々ありましたが、幸いにも演奏力の高いプレーヤーが僕の周りには沢山いたのでメンバー選びにはそれほど苦労はしませんでした。
その一人に、今は亡き天才神ギターの「藤岡幹大」くんもいたのです。
選曲に関しては、もちろんオリジナル曲もありましたが、どちらかというと、どんな曲がお客さんに受けるのか想像しながら選んでいたようにおもいます。得意のAOR企画や、ラブソング企画など、あとBobby Coldwellto特集とかもやってました。「藤沢ラテン同好会」とか銘打って、ラテンアレンジでやったり、スピークラウドというバンドとのコラボもありましたね。
始めた当初は、物珍しさから結構たくさんのお客さんに来ていただくこともありましたが、ある程度してお客さんが目減りしていくことが多くなってきました。
完全に趣味で音楽をやっているならそれはそれでいいのですが、バンドメンバーはみんなプロですし、最低限のギャラを支払う約束でやってもらっているので、時にはミュージックチャージではギャラをまかなえず、その分を持ち出しでやることもなんどかありました。
確か、KAMOMEで一番お客さんが少なかった時は5人くらいだったでしょうか?でも、マスターは「大丈夫だよ、水物だしね、うちは今日くらい入れば飲食としてはなんとかなるから」と言ってくれたり…。
その頃はまだフェイスブックなども使ってなかったですし、KAMOMEで作ってくれるフライヤーとプログとホームページだけの告知だけ。あとは個別にメールを出していたのでメールを出す時期や告知のタイミングでかなり集客に差が出ることまではわかっていたのですが、選曲してアレンジも考え、譜面を書いて告知や宣伝までのことを全部やっていると、なかなか一人では追いつかない時がありました。
そんなLIVEを続けていたある年末、一区切りをつけるためにそれまでのスタイルとやめようと思ったのが、今のスタイルの始まりでした。
明日は今のスタイル至った経緯を書こうと思います。






