上杉家廟所 | お銀ちゃんの大日本漫遊記( v^-゜)♪

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※ブログ記事の内容は私達が訪れた時当時の内容となっています。
※ブログ記事は訪れた都道府県ごとにテーマ分けされています。

山形県の観光スポットのお話⚔️



山形県米沢市御廟にある、上杉家廟所。

先日訪れた和歌山県高野山の奥の院にも上杉謙信廟所がありましたが、謙信ゆかりの地の米沢にもあるのです。

🔶高野山奥の院のお話




上杉家墓所と書かれています。


この三日月🌙の灯籠がなんかカッコよかったぁ爆笑


拝観は17時まで。

17時過ぎてしまっていましたので、門が閉まり中に入ること叶わずえーん


中は暗くよく見えませんでしたが、神秘的な杉並木が並んでいます❗


私は残念ながら中を拝観することが出来なかったのですが、相方が以前に仕事で米沢を訪れた際に拝観していましたニコニコ

拝観料は400円。
※2024年3月現在。


暗くてわからなかった杉並木の向こうに御廟があります。

謙信といえば~、の旗ですよね爆笑


上杉家廟所のある此方の住所は御廟と言います。

市民からは、墓所を御廓、廟所、御廓所、御霊
と呼ばれ、敬い親しまれています。


上杉家、歴代藩主、謙信公から十ニ代藩主までの廓が整然と並んでいます。

1984年、全国の大名家墓所としては5番目に、国指定史跡として登録されています。


このように家祖である上杉謙信公を中止に並んでいます。



上杉家の家系図。


上杉家二代 景勝公廓屋


上杉景勝謙信の養子で米沢藩初代藩主です。

景勝公豊臣秀吉の信任を受けて五大老の一人となり、1598年秀吉の命で会津120万石へ転封となりましたが、徳川家康に敵対した関ヶ原合戦後の1601年米沢30万石に減封されました。


上杉家初代 謙信公 (輝虎公) 廟屋


謙信公の御遣骸があります。


上杉家墓所資料館。


相方の好きな武将は前田慶次上杉謙信なんです❗

なのでやはり米沢は好きな場所で、米沢へ来るといつもゆかりの地やこうゆう資料館などを巡っていますニコニコ

🔶前田慶次供養塔のお話




上杉家廟所の横には、法音寺。

真言宗豊山派の寺院。山号は八海山。


上杉家歴代藩主の菩提寺なんです乙女のトキメキ

そもそも上杉家(長尾家)の菩提寺は新潟県にある曹洞宗の林泉寺で、上杉謙信も幼い頃に林泉寺で仏道を学びましたが、一方では真言密教に深く帰依し、謙信の葬儀は真言宗の大乗寺が導師を務めました。その後、謙信の跡を継いだ景勝は、会津、米沢への移封に際し謙信の遺骸(甕に納まる)も移し、米沢城本丸の御堂に安置して、ニの丸に置いた法音寺大乗寺・蔵王堂などの真言宗寺院に手厚く祀らせました。そして景勝謙信にならい真言密教に帰依し、遺言で導師を法音寺能海和尚に命じ、以後、米沢藩歷代藩主の葬儀は景勝の例に従い法音寺が導師を務めることとなりました。


本尊は大日如来です。

川中島の戦い⚔️の際、信濃より遷された三国伝来の善光寺本尊であると言われています。


左手の人差し指を右の拳で握っている印相"智拳印"を結ぶ金剛界の大日如来で、悩み.助けを求める人があれば、いろいろな諸仏.諸菩薩に身を変じ、直ちに救いの手を差しのべて下さる仏さま。


泥足昆沙門天尊

上杉謙信の旗印のは、毘沙門天からきています。

上杉謙信公の居城である越後春日山本丸北側にあった昆沙門堂のご本尊で、謙信公が最も崇拝された御守本尊であり、特に出陣にあたっては、数日籠って読経し祈り続けたといわれています。

普通の毘沙門天像とは異なり、多宝塔(舎利塔)を持たず、三叉鉾を立て、腰に手をあてる姿勢で邪鬼を踏む像です。

伝承では、戦に明け暮れる日々を送る謙信が、久しぶりに春日山城🏯に帰陣して、毘沙門堂へ上がったところ、驚いたことに、堂内には泥のついた足跡が毘沙門天像まで続いていた。謙信「毘沙門天が共に戦場を駆け巡ってくれた」と歓喜し、この毘沙門天像泥足毘沙門天と呼ぶようになりましたニコニコ

そんな毘沙門天像法音寺に祀られています。

山形県指定文化財に指定されています✨

夜🌃に訪れた為、私は外から眺めただけになってしまいましたが、なんだか神秘的で凄そうな場所だな~という気配が感じられました照れ

中もやっぱり立派な所だったんですね!

米沢に入った時に相方が連れていってあげたい場所があると言って連れられていったんですが、理由がわかりましたチュー


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