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てくてく撮影日記

投稿内容は写真を主体にしつつ、ブラブラさんぽしていて発見したことも、くまなくチェックしていきますよ。

隅田川でも比較的新しい橋の登場。

八重洲通りの延長にあたる、東京都道463号線を通す。
















最後の写真は最初のアングルをモノクロで撮影。

橋の通りは、西へはまっすぐ東京駅八重洲口へと伸び、東はウォーターフロント高層マンション郡の発祥地(?)ともいえる、大川端リバーシティに繋がっており、文字通り中央区のシンボルのような存在。


隅田川とフランスのセーヌ川は、友好河川として提携しており、架橋する際に、フランスのデザイン会社が設計を担当。主塔の先端や欄干部分に日本の「兜」をイメージした意匠が施されている。


上流側の橋脚部に、当時のパリ市長から東京都へ友好の印として贈られた彫刻家オシップ・ザッキン作の「メッセンジャー」という名の彫像が鎮座する。川の方を向いているので、水上バスからだとその様子がよく分かる。


開通がレインボーブリッジと同じ日。


東京都中央区

構造:二径間連続鋼斜張橋
橋長:210.7m
幅員:25.0m
竣工:1993年(平成5年)8月26日

久しぶりの鉄道橋。

松住町架道橋。

総武線の各駅停車が通る。












松住町はかつての地名、神田松住町から取ったもの。

昌平橋の袂、外堀通りと昌平橋通りの交差点直上を一跨ぎする大きなアーチ橋で、秋葉原のランドマークにもなっている。


このタイプは、『プレースドリブ・タイドアーチ』と呼ばれ、アーチ部分をトラス構造で組んだ部材で支える構造。各地にあるのも比較的大型のものが多い。


この辺りは、本郷台地端部の複雑な地形に鉄道、道路、河川が集まり、独特な風景が広がる。


周辺は橋の密集地帯。交通の要衝というのはいつ見ても楽しい。


東京都千代田区

形式:下路式鋼ブレーストリーブ・タイドアーチ
橋長:72m (支間:71.96m)
竣工:1932年7月(昭和7年)

都心のど真ん中。

東京メトロ千代田線の駅名にもなっている二重橋。


皇居の正門には二つの橋が架かっており、二重橋は奥に架かる鉄製の橋。



二重橋の名前の由来は諸説あるそうだが、明治時代にまだ木造だった頃、濠の高い位置に橋を架けるにあたり、二重に桁を架けて組んでいたのが謂れなのだとか。

現在の鉄橋は昭和になって架け替えたもの。











欄干や桁の装飾のデザインが美しく丁寧に描かれている。さすが皇居に架かる橋。


最後は少し引いた角度で。

モノクロも使ってみました


この橋は別名を『正門鉄橋』ともいい、普段は渡ることができない。
皇居外側から見て手前にある二連アーチ型の石橋が二重橋と言う資料があるがこれは間違い。

橋の近くに案内は一切無いため、公式な二重橋の案内は千代田区観光協会で確認できる。


竣工:1964(昭和39)年

構造:鉄製アーチ型桁橋

橋長:非公開

丹沢湖に架かる斜張橋。
かながわの橋100選のひとつ。







この橋はおもしろい実験材料の宝庫。
飛行機の翼のように橋の高欄の外側にフラップを取り付けたり、橋桁の下面にスタビライザーを取り付けたりして、風による耐性を強化させている。

でも知ったのは訪れた後だったので、いったいどこにそんなものがあったのやら。

もう一度行って確かめるか・・・


丹沢湖は三保ダムの建設に伴ってできた人造湖。神奈川県内への上水道供給と水力発電を行っている。




神奈川県足柄上郡山北町
竣工:1977年(昭和52年)
構造:2径間連続鋼斜張橋
橋長:235m
主塔高:49m

霞橋は、横浜の繁華街元町からちょっと外れた、新山下運河に架かる橋。



とても立派なトラス橋ですが、長さと高さがアンバランスな雰囲気。
それもそのはず、もともと今の3倍以上の長さがあったもので、他から再利用したものなのです。






少し紹介しますと、最初は旧日本鉄道の隅田川橋梁として、1896年(明治29年)に建設され、その後神奈川に渡り、新鶴見操車場の「江ヶ崎跨線橋」として1929年(昭和4年)に移転竣工。
2007年にこれも架替え工事が始まる。

貴重な明治時代の建造物なだけに、再利用の提案が持ち上がり、同じ時期に架替えを行う「霞橋」の地にこのトラス桁がやってきたのでした。
(ヨコハマ経済新聞などに詳しく載っています。)

全国に再利用される橋はたくさんありますが、二度となるとそれ程多くないかも。足掛け120年近くも現役で利用されるているとは驚きです。




 


訪問した日は曇り。少し温かみを出してみましたが、最後の写真が実際の色感覚に近いかもしれません。

長年たくさんの人を通した、近代日本の生き証人のようなもの。
横浜の港町で末永く愛されることを願っています。


神奈川県横浜市中区

竣工:2013年(平成25年)竣工 (もとは1896年(明治29年)製)

構造:鋼製下路式プラットトラス橋

橋長:32.8m

幅員:6m

巽橋は江東区の大島川の支流に架かる橋。



江東区の佐賀と永代の最も南側を結んでいて、先に登場した永代橋からも、徒歩で5分くらいの場所にあります。
大通りから引っ込んだ古くからの住宅が立ち並ぶ地区ですが、周辺にはオフィスビルも立ち並んでいます。


屋形船が休む光景は、隅田川沿いの川では日常的な風景ですが、江戸を感じさせるということで、外国人環境客には「日本の風景」として認識されているそうです。






古い橋ですが、とてもメンテナンスが行き届いておりとても綺麗な印象を受けます。

もともとは上の写真の車道部分のみで、車道と植込みの間にある鋼性プレートが橋の本体だと思います。歩道やその欄干は後からつけて改修された、と思うのですが真相はいかに・・・





こちらは越中島連絡橋と一緒に。
越中島連絡橋の架かっている側が大島川本流で、ここが合流地点になります。
連絡橋の名のとおり、私の撮影をしている側が越中島になります。


東京都江東区(大島川西支川)
竣工:1931年(昭和4年)
構造:鋼製ガーター橋
橋長:21.5m
橋幅:17.8m

今回は新金(しんかね)橋です。



現在の橋の下は首都高速都心環状線。
とはいっても昔は川でした・・・

橋の名はあまり知られていないと思いますが、この下を通過したことのある人は多いのではないでしょうか。でも高速に乗りながらこの橋を確認することは難儀ですね・・・





橋のど真ん中に都心環状線外回りの「首都高速京橋入口」があります。橋の袂というのは他にあれど、真ん中にある入口は他に見たことがありません。
袂にある白い建物は旧京橋会館。


橋の構造自体は一般的な鋼製の桁です。
橋の素性らしき資料がほとんどなく、データは分かる範囲のみ。

東京都中央区
竣工:1962年(昭和37年)
構造:鋼製桁橋

都内でも屈指の知名度。

隅田川に架かる永代橋。



永代通り(都道10号線)を通します。

夜はライトアップをしており、アーチ部分が青白い光で装飾されます。

橋の地下には平行して東京メトロ東西線が通っています。


2007年に都道府県の道路橋としては、初めて国の重要文化財に指定されています。(清洲橋と勝鬨橋も同時指定)










骨太で重量感があるもののアーチ曲線の美しさ、軽快な水色塗装で都市化した現代の建物と比較しても違和感無く、街に溶け込んでいるように思います。


江戸時代から続く歴史の長い橋です。

現在の橋は大正15年の竣工で、隅田川に架かる橋として、「タイドアーチ」構造の橋として、最古の現役の橋。


関東大震災の第一号復興橋として再建されました。当時の復興局のプレートも現役で残っています。帝都東京の門とも言われた橋。それもそのはず、当時は隅田川で最も河口側に位置する橋でした。

 
都内でも大型で古い橋なのですが、今後も都市の大動脈を支え続けていきます。


東京都中央区・江東区(隅田川)

竣工:1923年(大正15年)

構造:下路鋼製3径間カンチレバーソリッドリブタイドアーチ橋

橋長:184.7m

橋幅:25.6m

江東区の仙台掘川に架かる木更木橋。





真ん中の桁は2本の橋脚の上にある梁からそれぞれ「ヒンジ」と呼ばれる接合部分を介して乗っかっている構造です。橋の桁と桁がネジのようなもので繋がっているのが見えます。


この構造は「片持ち梁」と呼び、同様の橋は全国に多数存在します。

このような橋を「カンチレバー橋」といい、考案者の名前を採って「ゲルバー橋」とも呼ぶこともあります。

この構造を用いることで、場所によって橋の軽量化、橋脚削減、コストカット等の効果があるそうです。


単に橋と言っても奥が深い・・・






この橋の架かる仙台掘川は、桜並木が約1キロ程続きます。

訪れたとき、桜はご覧のとおり満開でしたが人影はまばら。ほとんど城東地区地元の人だと思います。

余計な露店や看板、音楽も無いのでゆっくりと楽しめます。


桜を純粋にじっくりと満喫したいという方にとっては、23区内でも屈指のおススメポイントだと思います。ご覧の皆様来年はぜひどうぞ。


東京都江東区

竣工:1969年(昭和44年)大改修 (もとは1930年(昭和5年))

構造:3径間鋼製カンチレバーガーター橋

橋長:34.7m

品川橋は目黒川に架かる橋。

旧東海道を通す。



東海道五十三次では、江戸方から最初の宿場町として登場する品川。

宿場はこの橋の周辺にあったと言われています。

江戸時代当時で見ると、日本橋の次に渡るのがこの品川橋であったと言われています。

江戸時代は木橋で明治以降は石橋へと変わりその後も架け替えをしています。













橋の上に庭園風の休憩場があり、親柱や欄干も作りが込んでいてユニークですね。

構造はあまり調べられなかったので詳しくは不明ですが、おそらく剛製の板桁で、ごく一般的な構造のひとつだと思います。

旧東海道は戦後の区画整理などで幹線道路からは外れましたが、道沿いは昔の名残から、商店や行政施設も多く、終始人が行き交う賑やかな情景が見られます。


竣工:1993(平成3)年