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てくてく撮影日記

投稿内容は写真を主体にしつつ、ブラブラさんぽしていて発見したことも、くまなくチェックしていきますよ。

目黒川に架かる橋。洲崎橋。

南側の路面は片側だけ少し拡張している。
緑の欄干がおしゃれ。





洲崎というとこの辺り昔は、大きな洲でもあったのだろうか。見たところ・・・

明治の頃までは、目黒川が運んだ砂が堆積して、この周辺は細長い岬状になっていたそうで、「洲崎」と呼んでいたことが分かる。

江戸の頃の地図を見ると、岬の形は南側が陸と繋り北へ向かって細長く伸びていた。川はこの橋のあたりで90度北へ進路を変えて東京湾に注いでいた。

そして今の地図を見てみると、この橋の南北一定の範囲だけ、周囲と道の角度が全然違う。区画が独特な曲線を描き南北に伸びている。
どうやらその時の海岸線と洲の名残のようだ。江戸の頃の地図とも形が似ている。

地味な橋も、その名を今に伝えることで、ここに何があったかを教えてくれる。
小さな橋も目が離せない・・・・・

東京都品川区
形式:鋼製板桁橋
橋長:不明

竣工:不明

中央区の朝潮運河にかかる、歩行者専用橋。











小振りな割には水面からの高さがあり、眺望が良く感じられる。

人口が急増する豊海・晴海地区にできた比較的新しい橋。


北側には赤い水門と晴海トリトンスクエア、南側はレインボーブリッジ~芝浦地域が一望できる。

海風が心地よい。

夜になったら眺める夜景も美しそうな予感。


再開発で誕生した、晴海レジデンスとザ・トーキョータワーズのテラスをダイレクトに結んでいて、橋とはほぼ同一面で繋がっている。


周囲ではこの他にもまだまだ高層マンションが建造中。

いったいいくつ建つのかな・・・


東京都中央区

橋長:112.5m

幅員:不明

竣工:1998年(平成10年)

 

30回目は清洲橋。

関東大震災の復興事業として架橋される。

下流の永代橋とは対になるように設計、デザインされたと言われており、「震災復興の華」と呼ばれていたそうだ。




















建設当時、ドイツのケルンにある「ヒンデンブルグ橋」という吊橋をモデルに造られた。しかし、ケルンは第二次世界大戦で激しい戦闘が行われ、このモデルとなった橋も破壊され、これは現存していない。(写真は残っている)


そもそも自碇式吊り橋というこの構造形式は世界的にも少なく、しかも全国で唯一鋼製チェーンケーブルで繋いでいる。

一般的な吊橋は、ケーブルが岸に繋がっていて支える構造だが、自定式は名の通り、橋桁本体がケーブルを支える。

その貴重な存在意義もあってか、2007年に都道府県の道路橋として、初めて国の重要文化財に指定された。(永代橋と共に)

土木学会からも遺産として記されている。


女性を意識した曲線を多く取り入れたデザインとも言われているが、当時の施工方法により、リベットの打ち出しや、支柱のアーチにトラス構造が見られ、力強さも感じる。


名称の由来は、両岸の「中州」と「清澄」からとったもの。

都内で最も「優美」という言葉が似合う橋だと思う。

いつまでも残したい日本の橋である。







東京都中央区・江東区 (隅田川)

形式:自定式鋼鉄製吊り橋 (チェーンケーブル)

橋長:186.3m
幅員:22m

竣工:1928年(昭和3年)3月



芝浦運河に架かるステキな名前の港栄橋。


東京港発展を願って名づけられたとされている。

シンプルな構造と外観に、鮮やかな青。











芝浦側から東へ見ると、レインボーブリッジのアプローチが見える。

この辺り、以前は見渡す限り倉庫、工場だったが、芝浦側は芝浦アイランドと名乗り、高層マンションがいくつもそびえる。


これまでの厳かな物流拠点の雰囲気は薄れ、対岸の海岸三丁目に数件並ぶクレーンや船着場等の設備に倉庫街全盛の面影が残っている。

これらはおそらく今も現役の施設である。


橋脚は少し変わった形をしているが、下町や東京湾周辺ではよく見られるもの。地盤沈下著しい湾岸地域では、橋脚の底部面積を増やしつつ軽量化したいため、このようなかたちになっているのではないかと勝手に推測してみる。


湾岸地域は再開発で架替える橋が多いが、ここは耐震工事も行われているようで、まだしばらくは現役でいられそう。


東京都港区

形式:3径間カンチレバーガーダー橋

竣工:1960年(昭和35年)

橋長:54.1m

橋幅:18.7m (幅員は18.5m)

埼玉県寄居町にある東武東上線を通す荒川橋梁。

都心から70km、郊外と山地の狭間にあるこの地域は個人的にはかなり楽しいポイントが目白押し。












グレーの色と、大きなコンクリート橋脚が大自然の中で構造物として堂々と主張し、「橋」をより大きく機能的に感じさせる。

写真では撮れなかったが、トラスの両岸にはガーダー橋があって、全部で5径間の橋梁である。


埼玉県内最古の上路式トラス橋であり、まもなく架橋90年を迎える。

自然災害の多い日本の山間部でこのような建造物が長年現役であることは、日本のインフラ技術とメンテナンスがいかにレベル高いかを感じさせる。


そして走る東上線は100周年。

リバイバルカラーの8000系電車が渡る。


荒川はこの橋を境に上流は渓谷の様相になっていく。

一方、ひとつ下流にある玉淀大橋を境に川幅を広げ、関東平野を堂々と流れる大河川となっていく。


山を切り開いてきた川が平野へ顔を出すこのポイントは、関東山地と平野の接点であり地理的にも重要な地点。

その地形により、寄居町は東武東上線、JR八高線、秩父鉄道線、国道140号線、254号線の合流地点で交通の要衝となっていて、秩父地方と関東平野各都市を結んでいる。


景観も良く地理的にも地形のポイントとしても興味深いものばかり。

今回は初夏に訪れたものだが、違う季節もぜひ見てみたい。



形式:3径間上路式平行弦プラットトラス橋+上路式プレートガーダー×2

橋長:162.4m

トラス支間:47.6m

竣工:1925年(大正14年)

橋の名称はどうやって決めているのか。


この橋の「旅所」とは、神社の祭礼で神輿が巡幸の途中で休憩または宿泊する場所を言うんだとか。この辺りに神社は?と思ったら、どうやら亀戸天神のことみたい。






この橋の架かる横十間川は、江東デルタ地帯を南北に貫く開削水路。

と言っても南半分は、前回登場の尾高橋の所でも紹介したように、周辺地域の地盤沈下で親水公園として整備されている。


ここで紹介してきた橋も江東区に架かる橋が多いのは、家から比較的近いのもあるが、本当に橋が多く見栄えのあるものばかり。


旅所橋は、そんな橋の中ではあまり個性的な方とは言えないが、

隣の水管橋がワーレントラスで川を一跨ぎして良い味を出している。


これを見てもしそう思った方は「トラス」が気になり始めているのでは・・・


読み方は「たびどころばし」。橋の管理は墨田区が行っている。


東京都墨田区・江東区(横十間川)

形式:3径間桁橋

橋長:42.1m

幅員:12m

竣工:1976年(昭和51年)

江東区は仙台掘川親水公園に架かる尾高橋。

仙台掘川は、人工河川で運河として機能していた。






この公園は仙台掘川があった場所を公園にしたもの。


昭和初期から江東区東部は急速な地盤沈下が起こり、水害が頻発したたため、川の水を抜いて埋めなおし、周囲の土地の高さにあわせて公園として整備している。


尾高橋が通すのは幹線道路ではない、ごくありふれた片側一車線の道路。優美なデザインと立派な橋脚を持っているなと思ったら、どうやらこれは親水公園になってから架け替えられたもの。


中央の径間は、鋼製の上路アーチのようにも見え年代物のような雰囲気が漂うが、江東区によれば一派的な桁(ガーダー)橋だそうだ。





公園と水路の景観を考慮して、このようなきれいな橋に生まれ変わったとしたなら、江東区の掲げる「水彩都市」事業には「橋」の存在が欠かせないということを表しているのでは。


素晴らしい♪


東京都江東区(仙台掘川親水公園)

形式:ラーメン橋台付上路式ガーダー橋

橋長:不明

竣工:1992年(平成4年)(架替)

白が都心に映える豊海橋の登場。

中央区は日本橋川の河口、隅田川の合流地点に架かる。

周囲は証券会社をはじめ大企業の本社も多い。









この橋の構造は、フィーレンディール橋と呼ばれる形式で、広くはラーメン橋という種類に分類される。

この構造の橋としては、日本で最初に架けられたもので、側にある永代橋と景観のバランスを考慮して設計されたもの。


これも関東大震災の復興事業で架けられたもの。このコーナーで復興橋はだいぶ見てきたけれど、どれも趣のあるものばかり。

当時の復興局は橋のデザイン、構造には相当な思い入れがあったのではないか、とさえ思う。


平成に入るまでは全国でも両手で数えられるくらいだったこの形式だが、近年は周囲との景観を考慮して、使われることがあるそうだ。


夜はライトアップされ、撮影にもよく使われる。

ドラマでも度々目にしたことがある人がいるのでは?






東京都中央区(日本橋川)

形式:下路式フィーレンディール橋
橋長:46.13m
幅員:8m
竣工:1927年(昭和2年)

全国所々、鉄道と道路が仲良く並んで架かる橋がある。

ここは堀切橋と京成本線荒川橋梁。





昭和初期に放水路として開削された荒川下流域(足立・葛飾区以南)は、戦後も木橋が多かったようで、この堀切橋もそのひとつ。

戦後の急速な経済発展を背景に、1967年(昭和42年)に単純な箱桁構造の橋となったが、隣の荒川橋梁の景観を考慮してあえて単純なスタイルにしたそう。








その京成本線の橋梁を見ると、真ん中3連はトラス、両端は6連のガーダー橋となってる。トラスは山なりに弦を結ぶ構造で、最近は少なくなりつつある。


地盤沈下の影響で両岸が沈降し、後からできたコンクリートの堤防は京成線の線路のところだけ低くなっている。


これでは堤防の意味が無いため、治水対策として架け替えが検討されており、この優美なトラス鉄橋が見られるのもあと数年かもしれない。




写真に写るは、引退が近い京成3300形。1968年誕生で堀切橋とほぼ同じ年齢。都内を走る鉄道車輌としてはかなり古い。


最後は土手を挟んでかかる綾瀬川橋梁も。


堀切は葛飾区側の地名だが、東武線の堀切駅は足立区側。この駅のすぐ脇を堀切橋は跨いでいる。

近辺には高層マンションもあり、スカイツリーもよく見える。

橋のすぐ下流は首都高速6号線が巨大な橋梁で荒川を渡っており、開放感のある荒川土手も、都心であることを実感する風景が広がる。

東京都足立区・葛飾区

堀切橋

形式:12径間鋼製箱桁橋

橋長:514m(隣の綾瀬川の架橋部分も含む)

幅員:17m

竣工:1967(昭和42)年


荒川橋梁

(15径間)

形式:単線上路プレートガーダー(6連×2)+複線下路曲弦ワーレントラス3連

橋長:446m

竣工:1931(昭和6)年


綾瀬川橋梁

(3径間)

橋長:不明

形式:単線上路プレートガーダー(単×2)+複線下路平行弦ワーレントラス

竣工:荒川橋梁と同じ

多摩川に架かる立日橋。

多摩都市モノレールと都道149号線を通す。


まっすぐ北へ向かうとモノレールと共に立川駅に辿り着く。








この辺り、日野市側から対岸を見ると、立川崖線の様子が観察できる。

堤防も低めで、付近は細かい用水路、緩やかな傾斜の道路面が多数。


地形を自然なままに市街地化してきた様子は、甲州街道や日野駅が近いだけに、古くから人が住んでいたのだろうか。と思いを巡らせる・・・


モノレールと橋脚を共有する道路橋は、全国的に見ても珍しい存在。

モノレールでここを通ると冬は富士山をはじめ山々がよく見える。

冬の散歩には多摩都市モノレールが良いと思う。


ちなみにモノレールの開通は2000年。


形式:鋼製連続箱桁橋

橋長:417m

竣工:1989年