👇🏻前回の記事の続きです✏️
よければ前回のも見てくださると
泣いて喜びます
特別志願兵
前回の記事で少し紹介しましたが
特別志願兵は、元の意味とは違う個人の自由意志によるものではなく、有力者の煽りや警察などの脅迫を受けて特別志願兵として志願した人が多かったです
志願を拒否した人は、強制に収容され軍事訓練と思想教育を受け、"膺懲学徒、学徒膺懲"という名前で朝鮮半島内の様々な作業場で過酷な労役を強要されました
自殺特攻隊
自殺特攻隊は救命装置なしに連合軍側の軍事施設や装備に突進して、攻撃する部隊です
1944年10月
初めて登場した海軍神風特攻隊が代表的です
特攻隊が韓国では'自殺特攻隊'と呼ばれていることは、全く知らなかったです
私は特攻隊についても詳しく知らなかったのですが、今回たまたま動画で
不死身の特攻兵 佐々木友次伍長
という日本の方を見つけました
動画では見たのですが、この方について書いた本も出ているみたいなのでいつか読んでみたいです📚
ちなみにこの本です👇🏻📖
徴兵
徴兵は一定の年齢の青年を対象に、軍隊に強制で徴集することです
朝鮮人の徴兵は1942年5月に日本の閣議で決定され、1944年4月から本格的に実施されました
徴兵制の施行のために、日本人だけを対象にしていた兵役法を改定したり、
徴兵の忌避者は3年以下の懲役に処するように規定するなど、朝鮮人の青年を死の戦場へと追いやりました
敗戦まで軍人として動員された朝鮮人は
25万人から最大でも40万人に達すると推定されています
非戦闘部隊
軍人として動員された朝鮮人の半数が後方である朝鮮半島と日本に配置されました
理由は日帝が、朝鮮人に武器を持たせることを警戒したためです
朝鮮人は銃を持たない軍人であったため、普段は食料調達、軍内の労務と労働に利用され、実際に戦闘が行われる現場では、銃弾として使われました
戦犯になった人たち
戦後、連合軍は東京と日本軍の占領地域などに設置された国際戦犯裁判を通して、日本軍の戦争犯罪を断罪しました
国際戦犯裁判では
朝鮮人148人が実刑に処されています
そのうちの129人は日本軍の命令を受けて、連合軍の捕虜を強制労役に動員する仕事をしていました
日本は過酷行為の責任を捕虜監視員に転化し、朝鮮人を戦争犯罪者に仕立て上げました
処罰された朝鮮人の中で死刑を受けた朝鮮人は、全部で23人でその中の捕虜監視員は14人でした
次の記事では慰安婦について
書きたいと思います
長くなってしまって申し訳ないです🙇🏻♀️
よければ見てください👀
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