前々回から続いております
国立日帝強制動員歴史館のことについても
今回が最後ですチーンチーンチーン






みなさん読んでください!もはや!
頼みます!!!🙇🏻‍♀️🙇🏻‍♀️🙏←



さあ最後は慰安婦についてです









日本軍'慰安婦'とは?

日帝が1931年満洲侵略以降1945年まで戦争を効率的に遂行するという名目で、日本軍が設置した
'慰安所'で性奴隷生活を余儀なくされた、女性たちをいいます



'慰安婦'という用語は問題の本質を表現するのに適切ではなく、当時の日帝が公式的に使用していたという点から歴史的な用語に定着されました
英語では本質的な意味を反映して、
'日本軍性奴隷(sex slaves)'と言います








日本軍'慰安所'の運営



日本軍が主導して'慰安所'の設置と運営、'慰安婦'の動員又は輸送、性奴隷生活の強要を行なっていました
しかし日本政府機関(外務省、内務省)と朝鮮総督府、台湾総督府が積極的に協力し、'慰安所'制度の全課程に関与しました











この日本政府機関が全課程関与したという点が、日本軍'慰安婦'では1番問題視されています

慰安所は実際様々な国にもありましたが、
政府機関が大々的に'慰安所'というものに関わったのは、日本が初めてだからです








日本軍'慰安婦'被害者の生活



日本軍'慰安婦'は軍人の性病感染の防止をするために、定期的に性病検査をうけました
さらに軍人にはコンドームを使用するように規定されていましたが、これを守らない軍人が多く、被害女性の相当数が性病にかかりました

梅毒治療薬である606号の注射を打ったり、中毒の危険性が高い水銀で治療を受けたりしました












全てのまとめ










日本から帰還



敗北した日本政府は、朝鮮人の帰還に気を使う暇がありませんでした
船に乗るために多くの朝鮮人が港に押し寄せますが、船がほとんどなく何ヶ月も野宿をしながら港で船を待ち続けました

しかし

急ぐ気持ちから無許可の船や小型漁船に乗って、台風で多くの人が亡くなりました





1945年10月から連合軍の最高総司令部が
朝鮮人送還についての指令を下しましたが





持っていける貨物の重さは

一人当たり250ポンド(約113.4キロ)
お金は一人当たり1000円以下

に制限しました

※当時1000円は韓国の場合、米2俵が買えるお金でした💰


これにより帰還を遅らせたり、
そもそも帰還を諦める人が多かったのです











今日本にいる在日の方々が、こういう理由で滞在している。ということを
今回しっかりと知ることができました


私は正直在日の方々は日本が好きで
今も日本に住んでいるのだろう

もう解放されて韓国に帰れるはずなのに、
なぜ未だに残っているのだろうと

在日の方々をあまりにも軽視しすぎていたなと思い反省しました



北海道炭鉱に強制動員され、タコ部屋で虐待されたという写真が実は日本人だった!
朝鮮は歴史を歪曲していた!
みたいなことで一時期騒がれましたが


朝鮮人だったか、日本人だったかなんて
関係ないんじゃないですか?
だって日本人だったとしても
被害者は実際にいるじゃないですか…
同じ民族、それ以前に同じ人間として日帝が酷いことをしたことに変わりはないんです



正直私は日本史も朝鮮史も何にも知らなくて、徴用工問題についても、慰安婦問題についても分からないことだらけです
今回の記事も歴史館の資料だけでなく、自ら何日もかけて調べましたが、正直まだ全然わかっていません
被害者の方々からしても、そんな数日だけで分かられてたまるかって感じですよね
そりゃそうです
私には味わったことない苦痛を、この方達は味わったんです


もっともっと突き詰めてきちんとまとめて
日本の方にも分かりやすく説明できるように
そして私のブログを見て、日本の方々にも少しずつ理解してもらえるように頑張りたいです







今回は語りすぎました
よければ日本の方にも
足を運んでみて欲しい博物館でした





ちなみに鳩山由紀夫さんが行った博物館が
ここでした👇🏻

ツイート貼っておきます🕊




🐰