直感的に
「あ、この人なんか合わないな」
「ちょっと苦手かも」と思った違和感は
どれだけ時間が経っても消えることはない。と
今でも私はそう思っています。
でも、社会に出て働く上で、その感情のまま接していては仕事が円滑に進まない。
何より「嫌いだから」というプライベートな感情を仕事に持ち込むのは、自分のプロ意識としてどうなんだろう、と思うタイプでもあるんです。
だからこそある種自分を納得させるためにも
「相手に歩み寄る」ことを大切にしてきました。
それに前の会社で採用の仕事に携わっていたときに
人にはそれぞれ異なる良さがあって
仕事をする上ではもしかしたらそこまで考えなくてもいいのかもしれないけれど、その人の適性を見極めて仕事を切り分けた方が、結果としてチーム全体がずっとスムーズに動くということ。を実感しました。
だからこそ私は今まで相手の表面を見るのだけではなくできる限り相手を知り、
歩み寄ることには意味があると思ってきました。
最近、オーストラリアのカフェで働く中で
「確かに相手に歩み寄ることは大切だけど、
歩み寄りすぎて自分を見失うのは違うんじゃない?」
と強く考える出来事がありました。
私には一緒に働いているタイ人の同僚がいます。
彼女は仕事に対して私に強く当たってくることがあり、最初は戸惑うこともは?なにこいつムカつく、、と思うことも多々ありました。
(いや今でも時々そう思ってます😂)
それでも彼女の言っていることも一理あるな
と思える部分については
相手を理解しスムーズに仕事を進めるために
素直にその通りに動くようにしています。
それでも一方で「いや、それは違うな」
と感じることについては
私はただ頷いて流すようなことはしないです。
もともと私は、周囲から反論と受け取られるようなことであっても自分が納得できるまで質問したいタイプですし
「自分の意見を伝える」ということに特別
抵抗感や違和感を持っている性格ではないです。
だから
「私はそうは思わない」
「こういう見方もあると思う」
と、自分の考えをどの国にいる自分でも
ちゃんとできる限り言葉にして伝えてきたつもりです。
そんな彼女はよく、お客さんに対してイライラしながら私にこう愚痴をこぼしてきます。
「そんなのコモンセンス(常識)でしょ? なんでそんな当たり前のことをわざわざ私に聞いてくるの?」
「お客さんは私をよくイライラさせる」
その言葉を聞くたび、私の心の中には静かな引っかかりが生まれるんです。
ここはこの世の中の多様な人々が集まる場所で、アジア圏でもない、オセアニアの白人が大半を占める国
そこで同じアジア圏出身である彼女と私の間でさえ、「常識」の感覚はまったく違う。
それなのに、自分の思う「当たり前」が全世界の共通認識であるかのように言い切れるその精神は
すごいなと半ば呆れに近い感覚を覚えてしまいます。
「あ、やっぱりこの感覚は合わないんだな」
そう実感したとき、自分の中の優先順位がすっと整理された気がしたんです。
仕事を進めるために
相手の適性を知り
一度歩み寄って良いところを探す姿勢
はもちろん間違っていなかったし、これからも大切にしていきたい。
(そう信じたいだけの可能性もあります。)
でも、だからといって友達であっても同僚であっても、相手の価値観や意見にまで安易に同意したり、
自分の違和感を押し殺してまで合わせる必要はない。
相手を尊重して歩み寄ることと、
自分の軸を折り曲げて自分を見失うことは全く別物。
直感の違和感は消えなくてもプロとして歩み寄りつつ、違うものは「違う」と自分の軸を守ること。
その心地よい境界線を持つことが、多様な世界で自分自身を見失わずに生きていくために、今の私に必要なことなのだと思いました。
っていう最近の出来事でした🌙
メルボルンは30度を超える夏が始まったと思ったら
また春?に逆戻りして20度くらいの温度を行き来している毎日です。
日本は急激に寒くなったと聞きました👂
季節の変わり目は風邪をひきやすいので
体調には気をつけて、美味しい秋のものをたっくさん食べてたっくさん寝てくださいね💤
では〜🌈
