「異世界はスマートフォンとともに」はちょっと気になったので書いたが、web小説というものが今もの凄い勢いで増えていることは確かで、そこから書籍化したものもよく売れているようだ。
 これは本屋での売り場面積の増加具合から感じることだが。
 ここで思うのは所謂文学的な作品では無く、とにかく面白いと作者自身が思う作品が大量に作られているということだ。
 「文学」というか小説というものが新たな時代を迎えている。
 私にはそう思える。
 従来の文学観、小説観からは全く評価出来ないような作品であっても、その中から次の時代の名作、傑作が生まれてくる可能性を感じている。
 「異世界はスマートフォンとともに」はアニメ化作品なので、アニメを見て小説も評価する人間もいるようだが、アニメは全体の6分の1、ほんのプロローグだけで終わってしまっている。
 プロローグだけを見てああだこうだ評価するというのも間抜けな話だ。
 10巻まで読んだ上でこき下ろしている人もいるようだが、本当に読んだのか疑問に思う。
 こき下ろすような小説を10巻まで読むというのが私には信じがたい話だ。
 有名な小説とかなら、気にいらずとも頑張って読むということもあり得るが、そういうわけでもないしね。
 まあ毎度おなじみの悪口を言いたい輩の戯言と考えるべきなのかもしれないな。
 「異世界はスマートフォンとともに」。
 ネットを見ると自称評論家連中が、これでもかと言わんばかりにおとしめているが、一方で単行本が本屋に入ったと思ったらすぐに無くなる現象が見られる。
 私もようやく8冊まで買ったが、後2冊どうしても見つからないので、できるだけ本屋で買う主義を曲げて、アマゾンに頼ってしまった。
 明日には残り2冊も手に入るはず。
 そして、12月22日には11巻が発売される。
 楽しみである。
 もちろんweb版で読んでいるが、書き足しが楽しい。
 「評論家」の評価と、世間の人気がここまで食い違っている例も珍しい。
 1億pv越えは伊達じゃあ無いと言うことかな。
 web小説にはまってしまった。
 元々は「GATE」が始まりだったと思う。
 それから「幼女戦記」にはまった。
 と、そこまではまだ良い。
 「GATE」は自衛隊小説、「幼女戦記」はミリタリーとはまった理由が分かるものだったからだ。
 しかし、今回はまったのは「異世界はスマートフォンとともに」。
 正直言って最初はさほどでも無かった。
 しかし、気がつけばネット上の小説を全部読み、それでも飽き足らずに単行本版を既発の10巻中7巻買ってしまうほどになっていた。
 なんでそこまで?と自分でも思う。
 文章が軽妙で読みやすいなどいくつか理由は思いつくが、どれもこれだ!と言うものでは無い。
 何故だろうか。
 実写版映画「鋼の錬金術師」を見た。
 妻が見たがったのでそのお供でだが、思ったより出来は良かった。
 特に後半次々と話がすすむのは見ていて気持ちよかった。
 しかしロイ・マスタング君のかっこいいこと、どちらが主人公かわからなくなるくらいだった。
 それとラストの色っぽいことこれだけで見る価値はあったかなと思えるほどだった。
 特撮も見事だった。
 アルフォンス君は見事に生ける鎧だったしね。
 総じて払った金だけの価値はあったと思えた。
 マジンガーZはいわゆる搭乗型巨大ロボットの元祖だ。
 その元祖にしてすでにその後「巨大ロボットもの」につきものの批判をうまくかわしている。
 まず陸上用兵器としては巨大な人型というのは非実用的だというもっともな批判。
 これに対しては、兜十蔵博士が巨大ロボットを作りたかったから作ったのだという設定でクリア出来る。
 非実用的な設計の巨大ロボットが無敵の力を持っているのは光子力エネルギーという動力源と超合金Zという無限の耐久性を備えた材料で作られているからだという設定でクリアしてしまっている。
 そしてそんなとてつもないものを作りだした兜十蔵博士はいかにもなマッドサイエンティスト。
 彼が「神にも悪魔にもなれる」と言い、さらに「世界はおまえのものだ!」と叫ぶ。
 そこにはものすごい説得力があった。
 そしてマジンガーZの4つの武器。
 光子力ビーム:長距離狙撃用兵器。
 ブレストファイア:近距離殲滅兵器
 ルストハリケーン:武装解除用兵器
 ロケットパンチ:誘導兵器
 これらの兵器は補給を必要としない。
 無限に戦い続けることが出来るのだ。
 ここまでうまく作られているのが、アニメではほとんど生かされていないのが当時は残念でならなかった。
 マジンガーZの魅力は一言で言えば永井豪による基本設定の良さと、渡辺宙明による音楽の魅力に集約される。
 それ以外はスカなアニメだったと思う。
 アニメとしての作画レベルはどうしようも無く、(同時期に作られたガッチャマンと比較すると天と地の開きがある)ストーリーはと言うと設定の良さをぶちこわすようなものばかりだった。
 当時ぶつくさ文句言いながらそれでも見ていたのはそれだけ設定と音楽が良かったと言うことだろうなあ。
 当時、最後のマジンガーシリーズである「グレンダイザー」がフランスで大ヒットしていると聞いたときも、あんなものよりも良いアニメはいくらでもあるのにと思ったものだった。
 で、今度の劇場版マジンガーZはというと作画レベルはさすがに今の時代にふさわしくなっているようだ。
 それでストーリーはと言うと永井豪の原点に戻った作劇がなされているんでは無いかなあ。
 期待だけしていようかなあ。
 がっくりこないことを祈る。
 まあ、とは言っても子供向けのヒーローアニメとしてはアレで良かったと言えるだろうが。
 大人向けのSF小説なんかを読みまくって変にマニアックになった子供などが見るとは考えてなかったのだろうけれど。
 永井豪のデビルマンに代表される強烈なマンガ作品を期待する方が間違っているのだろうが。
 そういうひねこびたガキの期待感は、その後富野喜幸(由悠季)作品によって満たされることになるのだけれどね。
 ウィキによると1972年12月3日にスタートして1974年9月1日まで全92話とのこと。
 で、その前の番組は「ミラーマン」だった。
 で、私はそのミラーマンの最終回から見ているんだなあ。
 (見たのは第1回と最終回だけだったが)
 ミラーマンの最終回に予告編でマジンガーZが紹介され、まあ次も第1回だけ見てみるかなと思い見始めたのが「マジンガーZ」だった。
 なんて言うと歳がばれるなあ。
 まあ今更だが。
 当時SFファンだった私は、TVのSFものは結構見ている。
 内容的には不満だらけのものが多かったが、それしか無いから見ていたわけだ。
 おかげで特撮ものアニメものは結構見ている。
 いささか斜に構えた見方ではあったが。
 永井豪ももう71歳なんだ。
 長生きしている方だなあ。
 マンガ家としては。
 調べてみたら、フランスとイタリアでは今年もう公開されているんだそうだ。
 全然知らなかった。
 どういう評判だったのか知りたいなあ。