メトーデは「自由でありたい」と言う。
 それは生物としての当然の本能だ。
 人権のかけらも認められず、いつ壊されても文句の言えない立場に対する当然の異議申し立てだろう。
 つまり、hIEには感情がある。
 少なくともレイシア級の5体には感情があることが示される。
 レイシア達をモノだと主張するリョウ達の言葉には説得力はない。
 アラトはそれを感じ取っているからこそ反発するのだろう。
 しかし、レイシア達に感情があることを認めることは、レイシア達が人間と同等な存在である、というよりも人間よりも優れた存在であることを認めることだ。
 それはリョウには絶対に認められないことなのだろう。
 どうなるのだろうね、この物語は。
 原作通りに進むのか、それとも違うのか、どうなんだろうか。
 池上彰の番組で、アメリカ製とおぼしき両腕だけのロボットとバク転出来るロボットが出てきた。
 どちらも凄い。
 日本のロボットは世界の52%のシェアをとっているそうだが、うかうかしてられないと思った。
 エリカ・バロウズが20世紀からの冷凍睡眠者だと紹介があった。
 え!?21世紀じゃあなかったけ。
 しかし、他に100年近く前という台詞があった。
 22世紀から100年近く前ならどうしたって21世紀だ。
 これはミスなんだろうなあ。
 つまらないミスだ。
 さてと、おいつめられるレイシア。
 来週はメトーデ、紅霞とのバトルになるのだろうか。
 レイシアは現在の力ではメトーデに勝てない。
 さあどうなる。
 パラリンピックが開幕した。
 名にし負う障害者差別国家、韓国で無事に終わるかどうか。
 せめて無事に終わって欲しいものだ。
 フォーブス誌によると、長年、このジャンルの常連だったマイクロソフトのビル・ゲイツがついに落ちて、アマゾンのCEO、ジェフ・ベゾスに取って代わられたとのこと。
 時代が変わっていることを象徴するような出来事だな。
 幾原邦彦2019年の新作、「さらざんまい」。
 その「手放すな、欲望は君の命だ。」というキャッチフレーズ。
 よく判る、というか判りすぎるぐらい判る。
 詳しくは、私が昔書いた「生きる意味」というボードを読んでほしい。
 幾原邦彦は、やっぱり凄いのではないだろうか。
 BEATLESS7話で人間のモデルが、hIEモデルレイシアに対して「猿まねしか出来ないくせに」と言ったわけですが、これなんか典型的なディープラーニング以前のAI観だと思いますね。
 今のAIを「猿まねしか出来ない」とか言ったら、それに勝てない人間の棋士は猿以下だと言っているに等しい訳です。
 実際は何度も言うように、AIは猿まねどころか人間の棋士より独創性が高いわけです。
 今のところは将棋などの限られたジャンルでしかその独創性を発揮してませんが、これが他のジャンルに及ぶのも時間の問題というか、もう及ぼしているだろうと思います。
 これから先の10年間が、疾風怒濤の時代になるだろうと考える由縁な訳です。
 ビデオレコーダーを買った。
 使っているビデオが突然動かなくなってしまったのだ。
 いろいろやって元に戻ったが、妻が怖いから買い直してと言うので買った。
 うちはTV番組はほとんど録画したのを見ているので、漫然と今やっている番組を見るということはないのである。
 他の家は知らないが、どうしているのかな。
 BEATLESSは時代設定を22世紀初頭にしているけれど、2040年代ぐらいの気がするな。
 今から2~30年先というか。
 この小説は2011年に書かれた物なのだけど、ここで疑問に思うのは、作者はこの時点でディープ・ラーニングについて知っていたのだろうかということだな。
 なんとなくだけど、BEATLESSのAI観がディープラーニング以前の物のように感じられるのだよね。
 BEATLESSでは繰り返しhIEには心がないというのだけど、それはディープラーニング以前のAIなら正しいと思うけれど、以後だと間違いだと思う。
 以前ならAIと言えどプログラムの集大成でしかなかったわけで、どんなに複雑でもね。
 しかしディープラーニング以後はそうではないように思う。
 AIには心がないと強弁すれば、じゃあ人間には心があるのかというやぶ蛇な疑問を出されかねないと思います。