2022年7月19日羽生結弦決意表明会見:思い出は一生分 | 覚え書きあれこれ

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記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...

時差も手伝って、ライブ配信で羽生結弦さんの記者会見を観ることが出来ました。

 

思えばそもそも、フィギュアスケート界において「記者会見をライブで配信する」ということは羽生結弦というスケーターがきっかけで始まったことなんだよね、と思いながら。

 

彼の言葉を生で聞きたい、話しているところを見たい、メディアにレポートされるものだけではなく、彼の口から発される全ての言葉を。

 

そんな世界中のファンの思いが結集して、今日の配信に繋がったのだと思うと実に感慨深いです。

 

私がカナダでのグランプリ大会を手伝い始めたのが2013年の10月でした。それから数年は記者会見など実にテキトーなもので、通訳もいれば儲けもの、いなければチームリーダーだとか、現場に居合わせたボランティアだとかジャーナリストだとかに急遽、頼んで、間に合っていたのです。

 

しかし羽生結弦の台頭によって、彼の人気が倍々ゲームのように広がって行くにつれ、それでは物足らないと感じる人たちも増えて行きました。

 

日本のメディアは北米のそれに比べて選手の発言を勝手に端折ることが多く、一言一句、伝えることは珍しかった。フィギュアスケートマガジンがそのようなレポート形式を始めると圧倒的に支持が集まり、多くのスポーツ紙が真似をする様になりました。

 

フィギュアスケートの試合を撮りに来るカメラマンたちの間でも革命は起こりました。ファンの需要に煽られて羽生結弦の競技中の写真を撮っていたフォトグラファー達が、いつしか自身も憑りつかれたようにこの稀有のスケーターの姿をレンズで追い求めるようになった。年々、会場が彼・彼女たちにとってもしのぎを削り合う戦いの場になって行ったのを、私はこの目で見ることが出来ました。

 

 

このブログでもこれからもまだまだ、羽生結弦さんが出場した大会での名場面を振り返っていくに違いありませんが、本当に一生分の思い出を頂きました。

 

2013年からGPスケートカナダ4回、そしてオータムクラシック3回、さいたまワールド1回、舞台裏で彼の闘う姿を見る機会に恵まれましたが、中でも印象深いのは2018年の平昌後のオータムクラシック、そして2019年のGPスケートカナダ(ケロウナ大会)でした。

 

後者については、2020年のパンデミック中に(今となってはあの頃が初期だったんだと思うと怖い)「振り返りついでシリーズ」の記事でも書いてるんですが

 

 

 

 

 

私にとってこのケロウナ大会は、羽生さんを競技者として現場で観る最後の大会となってしまいました。

 

でもこの記事を書いた2年まえの時点ですでに「たとえそうであっても悔いはない」と思えていたほど、あの試合での彼の輝くような笑顔を見れたことは大きな喜びでした。

 

演技後にプーさんのシャワーを一身に浴びて、他の勝者たちとエキシビションに出て、「パリの散歩道」を目の前で舞ってくれたのを忘れません。

 

 

そして2018年のオータム・クラシックでは、全身の力を振り絞るように演技した後、本当にしんどそうだった姿が思い出されます。

 

そのシーズンはGPファイナルがバンクーバーで開催される予定であったのに、「あと何度、カナダでの大会に出られるか分からないから」というちょっと心細くなるような言葉を残して会場を去って行ったのも、後から考えると予言的でした。(GP第二戦で負傷したため、ファイナルは欠場)

 

この時の大会では羽生さんがあまりにも力尽きているような印象だったので、私はレポート記事の中で

 

いつまで全力疾走しながら現役生活を続けられるのか、昨年の負傷の経験からしても予想はできない。

 

とすると彼自身も、観ている我々も、これからの一戦一戦がどれだけ貴重なのか、意識せざるを得ません。史上最高の男子スケーターの演技をリアルタイムで見られること、彼が私たちに与えてくれる宝物のような時間を少しも逃さず、目に、心に焼き付けなければならない。

 

 

 

 

と書いています。

 

しかしあの大会から実に4シーズンも、彼は戦ってくれました。当時はまさかそんなに長く、我々の前で競技を続けてくれるとは思っていなかったのですが、パンデミックのせいで変則的なシーズンをどの選手も送らざるを得なかった、ということも影響したのではないかと思います。

 

もしもパンデミックが訪れていなかったら、モントリオール・ワールドは行われ、色々なことが色んな選手にとって違っていたのではないかと考えてしまいます。(こういうことを考えるのは無意味だと分かっていますが)

 

いずれにしても、まだまだ感慨に浸っていたい私ですが、最後に母のコメントをシェアさせて頂きます。

 

羽生結弦さんの記者会見を見た、と言うので感想を求めると、まず最初に

 

「綺麗だったね。綺麗な顔、綺麗な姿」

 

という言葉が返って来ました。

 

このブログを以前から呼んでくださっている皆様ならご存知の通り、母は芸術家の娘だけあってものごとを「美しいか・美しくないか」でバッサリと判断してしまうところがあります。

 

それが良いか悪いかは別として、彼女にとって会見での羽生さんは「驚くほど綺麗だった」そうです。

 

あくまでも爽やかで、穏やかな表情だった、とも。

 

涙はなかった。多分、泣きつくして、辿り着いた境地だったから。

 

微笑みは自分が悲しかった分、内面からにじみ出て私たちを明るくしてくれる。

 

そんな彼を見ることが出来て、母も私も泣かずに済みました。

 

 

今はただただ、ありがとうと言いたいですね。そして今後の活躍が待ちきれません。

 

 

ひとまず、「羽生結弦決意表明会見」を見ての感想記事でした。

 

 

今日は飲むぞ。