「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

                   俵 万智  

 

先日、俵万智本人が話していたのですが、ボーイフレンドが「この味がいいね」と言ったのは、サラダではなくて鶏のから揚げだった。また、月日も7月ではなくて、全く異なる時期だった。

鶏の唐揚げをいつもと違うカレー味の味付けにしたら「美味しい」と褒められたので、「今日は記念日だな」と思ったのがこの歌をつくるきっかけ。ということですから、この歌の肝はボーイフレンドに褒められた。だから記念日。という女心です。

サラダにしたこと、7月6日にしたことは、歌人としての感性でしょう。

 

たしかに、7月上旬とサラダの取り合わせはしっくりきます。

梅雨明け間近。じめじめの雨から、からりとした風を予感させます。

 

 

私の本音。

もともと、好きな歌ではなかったのですが、意識外に、このフィクションが影響していたのでしょうか。

それにしても、ここまで舞台裏を明らかにしてもらいたくなかったです。

 

今日は7月6日。先のコメントとは矛盾しますが、豪雨猛暑、最近のこの時期は以前とは変わってしまった感あります。

 

 

 

 

 

いつまでも去らぬ頭痛や梅雨の蝶

駅頭を跳ねまはりたり梅雨の蝶

駅頭の庇を巡る梅雨の蝶

 

季語梅雨の蝶を使いたいと思っていましたが、本日駅前のアーケードや庇の下で飛び回っているのに遭遇しました。なぜか、狂ったように飛び回っており、この気候は蝶にとっても不快であったか。

一句目は前線が近づくと頭痛がして長引くことがあるのです。気象病というらしい。

 

夏の句です。コメントいただけると嬉しいです。

 

屋上の君の半袖夏來たる

山笑う背伸びしている即身仏 ※

小鯵刺ただ海の青空の青

ブーメランの形となりて小鯵刺

曲り角くるり振り向く夏帽子

振りかぶる第一球や若葉風

柔風に等しく傾ぐポピーかな

カーネーション扉の陰に嫁の顔

紫陽花の色増す朝や雨雫

老鶯の姿あらはに鳴きにけり

退院やいつもの道は薔薇の道

ひかさるる小さき一叢薔薇の庭

薔薇祭大人シックな黒を着る

菜園の鍬を休むる薄暑かな ※※

天竜に追ひすがる雨半夏生

五月闇前線からの呻き声

 

※365俳句ポスト「山笑う」並選

※※ 同上「薄暑」並選

 

世の中は常にもがもな渚漕ぐ  海人の小舟の綱手かなしも

             源 実朝 (新勅撰和歌集 百人一首) 

 

世の中はずっと変わらずにあって欲しいものだ。渚を漕ぐ漁師の小舟が綱手に曳かれるようすにも心が動かされる

もがも=「もがな」の上代語。願望の終助詞。~ってほしい。~があればなあ。~たらいいがなあ

 

 

終助詞「がもな」の使われている歌は百人一首で五種にのぼる。

 

忘れじの行末まではかたければ 今日を限りの命ともがな

                      儀同三司母(高階貴子)

名にし負はば逢坂山のさねかづら  人に知られでくるよしもがな

                   三条右大臣(藤原定方)

君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな

                      藤原義孝

あらざらむこの世のほかの思ひ出に 今ひとたびの逢ふこともがな

                      和泉式部 

今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな                   

                   右京大夫道雅(藤原道雅)

 

とされるが、「もがな」の上代語である「もがも」が使われているのが掲歌です。

 

既出の儀同三司母の歌が、情熱を平易に発しているのに比して、何気ない日常こそを重んじる精神性を、上代からの和歌の研究を踏まえて表現している。

 

源実朝(1192~1219)は、鎌倉幕府3代目の将軍。満7才にて父頼朝を失くし、11才にて兄頼家を北条時政により殺害され、その後北条義時に実権を握られる。

北条政子を母にもちながらのこの状況の反面、後鳥羽上皇や藤原定家との交流を深めて、和歌の研鑽に傾注。朝廷から信頼される。満27才にして暗殺され、鎌倉幕府将軍源氏の血は3代にして絶えるが、不可解な暗殺劇は北条一族のシナリオと思われる。

 

将軍実朝。実権を握る叔父(母政子の弟)北条義時。母である政子は弟の義時と親密。一体となって北条の権力基盤の確立に尽力していく。鎌倉における実朝は孤独と葛藤のなか、和歌を極める日々ではなかったか。

この構造というのは、一条天皇における、実権を握る叔父(母詮子の弟)藤原道長。母である詮子は道長と極めて親密。と全く同じ構図といえる。一条天皇は満31才にて没するが、葛藤を内包しながらの日々だったのではなかったか。

 

 

実朝の歌としては、武人としての雄大勇壮清冽を感じさせる歌が有名である。

 

箱根路を我が越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよる見ゆ

大海の磯もとどろによする浪われてくだけて裂けて散るかも

もののふの矢並つくろふ籠手のうへに霰たばしる那須の篠原

 

それとは異なり、掲題の歌については、平穏な普通の日常を至高のものとして希求した実朝の深い精神性が窺われる。

 

実朝には、幾多の和歌があるが、例えば次の歌にはこれといった本歌もないがゆえに、実朝の心の底を露にしたような感慨を覚える。

 

ほのほのみ虚空にみてる阿鼻地獄ゆくへもなしといふもはかなし

 

いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母をたづぬる

 

 

参考

 

 

 

(注)

例歌5首の作家と光る君への登場人物(予含む)

 

 儀同三司母(高階貴子)=藤原道隆妻、伊周、定子母

 藤原義孝=行成の父

 和泉式部=中宮藤原彰子に女房として出仕

 右京大夫道雅(藤原道雅)=伊周の長男、高階貴子の孫

 

 

 

 

 

 

 

 

                    キタテハ

 

キタテハは、全国広く分布し普通に見られるポピュラーな蝶で、年2化~。秋型は晩秋まで見られ成虫で越冬する。冬でも暖かい無風の日には現れることもある。早春最も早く姿をあらわす種の一でもある。なので、他の蝶が活動しない晩秋と早春には目立つ蝶である。

特に早春には地表近くを行動することが多く土塊にとまることも珍しくない。

 

前記事の三句にある蝶は、キタテハとみてもおかしくはない。

 

冬の蝶カリエスの腰日浴びをり 波郷

黄立羽蝶をとめし土塊傲るなり  波郷

枯葎蝶のむくろのかかりたる  風生

 

3句目は、葎は夏の季語。蝶は春の季語。枯葎ゆえ冬の句と思われる。

 

 

関連して既掲載の和歌を再掲します。

 

八重むぐらしげれる里に人なきも 秋の蝶こそ訪ね来るらめ

 

本歌

八重むぐらしげれる宿のさびしきに 人こそ見えね秋は来にけり 

             恵慶法師 (拾遺集  百人一首)

 

意味

むぐらの生い茂っている里には、訪ねる人もないが、秋の蝶こそは訪ねて来ているだろう。

 

本歌

むぐらの生い茂っている家はさびしく、訪ねてくる人はいないが、秋はやって来ていたのだなあ

 

八重むぐら(葎)=多くのむぐら。多種多様の蔓草。家の荒れた形容に用いる

葎(むぐら)とはカナムグラ・ヤエムグラなど、蔓でからむ雑草の総称

葎が生い茂っていることを表す歌語。

 

掲歌の「秋の蝶」はキタテハを詠んだものです。

キタテハは晩秋にも多くみられ、この蝶の食草はカナムグラです。

 

カナムグラは空き地や道端に群生し、強靭にからみあっているので厄介者ですが、公園や、空き地空き家、農地の際、河川敷、など方々に見られます。

このような、つる草の群生する草むらは人は立ち寄りませんが、こうした蝶には絶好の住み家であるわけです。