世の中は常にもがもな渚漕ぐ  海人の小舟の綱手かなしも

             源 実朝 (新勅撰和歌集 百人一首) 

 

世の中はずっと変わらずにあって欲しいものだ。渚を漕ぐ漁師の小舟が綱手に曳かれるようすにも心が動かされる

もがも=「もがな」の上代語。願望の終助詞。~ってほしい。~があればなあ。~たらいいがなあ

 

 

終助詞「がもな」の使われている歌は百人一首で五種にのぼる。

 

忘れじの行末まではかたければ 今日を限りの命ともがな

                      儀同三司母(高階貴子)

名にし負はば逢坂山のさねかづら  人に知られでくるよしもがな

                   三条右大臣(藤原定方)

君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな

                      藤原義孝

あらざらむこの世のほかの思ひ出に 今ひとたびの逢ふこともがな

                      和泉式部 

今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな                   

                   右京大夫道雅(藤原道雅)

 

とされるが、「もがな」の上代語である「もがも」が使われているのが掲歌です。

 

既出の儀同三司母の歌が、情熱を平易に発しているのに比して、何気ない日常こそを重んじる精神性を、上代からの和歌の研究を踏まえて表現している。

 

源実朝(1192~1219)は、鎌倉幕府3代目の将軍。満7才にて父頼朝を失くし、11才にて兄頼家を北条時政により殺害され、その後北条義時に実権を握られる。

北条政子を母にもちながらのこの状況の反面、後鳥羽上皇や藤原定家との交流を深めて、和歌の研鑽に傾注。朝廷から信頼される。満27才にして暗殺され、鎌倉幕府将軍源氏の血は3代にして絶えるが、不可解な暗殺劇は北条一族のシナリオと思われる。

 

将軍実朝。実権を握る叔父(母政子の弟)北条義時。母である政子は弟の義時と親密。一体となって北条の権力基盤の確立に尽力していく。鎌倉における実朝は孤独と葛藤のなか、和歌を極める日々ではなかったか。

この構造というのは、一条天皇における、実権を握る叔父(母詮子の弟)藤原道長。母である詮子は道長と極めて親密。と全く同じ構図といえる。一条天皇は満31才にて没するが、葛藤を内包しながらの日々だったのではなかったか。

 

 

実朝の歌としては、武人としての雄大勇壮清冽を感じさせる歌が有名である。

 

箱根路を我が越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよる見ゆ

大海の磯もとどろによする浪われてくだけて裂けて散るかも

もののふの矢並つくろふ籠手のうへに霰たばしる那須の篠原

 

それとは異なり、掲題の歌については、平穏な普通の日常を至高のものとして希求した実朝の深い精神性が窺われる。

 

実朝には、幾多の和歌があるが、例えば次の歌にはこれといった本歌もないがゆえに、実朝の心の底を露にしたような感慨を覚える。

 

ほのほのみ虚空にみてる阿鼻地獄ゆくへもなしといふもはかなし

 

いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母をたづぬる

 

 

参考

 

 

 

(注)

例歌5首の作家と光る君への登場人物(予含む)

 

 儀同三司母(高階貴子)=藤原道隆妻、伊周、定子母

 藤原義孝=行成の父

 和泉式部=中宮藤原彰子に女房として出仕

 右京大夫道雅(藤原道雅)=伊周の長男、高階貴子の孫