ブッダ先輩の彼女
わたしは名古屋の大学を出ていますが入学してすぐに目に付いた目立っている先輩集団ラーメンマンさんや、伊賀忍者さん、めんちょさん、小人さんなど個性が豊かでオリジナルで生きているような人たちでしたオーラや佇まいが彼らだけは違っていてその中の一人に「ブッダ先輩」がいたんですえっと、勝手にそう呼んでいるだけです当時の私は毎日が不安の渦の中にいてブッダ先輩が助けてくれていました何をどうしていいのか何が不安なのかも分からなくて人生こんなんでもなんとかなる?と私が聞くと「なんとかしかならんから大丈夫だわぁ〜どんだけ考えても結局なんとかしかならんの」と言ってくれて救われました毎日に生きる意味もないまま時が無情に過ぎていくことが怖かった時には「今が人生で一番ヒマだで(三河弁)存分に寝ときゃ〜そのうち忙しくなるんだで」と言ってくれて恋心なのか分からないままそれを伝えた時には「お前のこと大事だで付き合わん恋には終わりが見えとるやろ〜」と言ってくれたおかげで今も友人として関係が続いております私がヨガに出会ったことを自分ごとのように喜んでくれて「ヨガはお前を救ってくれるよ」と言ってくれたけれど後で聞いたらやったことがなかったらしいのです理由を聞くと、私にはなにかひとつ、「信じるものが必要だと思ったから」ということでした今なら、自分を信じているからおのずとすべてを信頼することができているけれど18歳の時には、何かを信じることはできなくてむしろ何かを信じたことはなかったからただ、この世は「信」で成り立っているんだという哲学のゼミの先生の言葉が救いでした自動販売機のジュースに毒が入っていないと信じているから飲むことができるし交差点はみんなが信号を守ると信じているから安心して渡れるし何十年前に誰が建てたか分からない建物に安心していられるのは壊れないと信じているからだし街を歩けるのはミサイルが飛んでこないと信じているからだと「智」から「信じる」ということを学んでいったのです学校を卒業して大阪に帰り、数年が経った頃の名古屋へ遊びに行った時の話その時にブッダ先輩の彼女の家へ泊めてもらうことになった手料理の中に、バーニャカウダがあって今でもあの味が忘れられない夜に到着して、すぐにリビングに通され初めて交わした会話が「これなに、美味しい、、、」だったから生クリームとにんにくに、あれとこれと、「あれっ、ガーニャパウダだっけ?パウダーガーニャだっけ?」覚えられないわたしに彼女は何度も復唱してくれてなんだか分からないけど笑い合った彼女は妖精のような人だったそれを伝えると「妖精見たことある?私はあるよ〜」とそんなことを堂々という大人に初めて出会ったから驚いたんだけれど彼女の音霊には信憑性があった世間で言われるようなスピ女子の嘘っぽさとは違う本当にいるんだなと思わされたんーん、いることを許可していいんだって思わせてくれた一瞬で彼女に魅了されそして一瞬で親友のように笑い転げたブッダ先輩は自宅に帰ったので、彼女とお布団を隣に並べて眠りにつくまで語り合ったその話は何もかもが新鮮で等身大の自然体で生きている姿が眠っていたわたしの何かをどんどん開けて入ってくれた彼女は7つくらい歳上で人生経験と悟り具合が金メダル級だった彼女はタバコを吸っていてタバコが嫌いなわたしなのに吐く煙は嫌な匂いがしなかった煙と共に踊るように舞い上がっていく仕草は同じ女性でもうっとりと見つめてしまうほどでお酒を飲めば一升瓶をケロリと開けてしまうヨガを語れば彼女は私以上にヨガを愛していたそれは深刻さや真剣さとは違うスピリットがヨガというものに同調をしていた彼女以上でも以下でもない人にはきっともう出会えないと思うのはスピリットが生きている人間があまりにもいないからなんだと思うそこからしばらくして彼女の訃報を聞いた大病を誰にも言わずに逝ったらしいだけど、彼女のことだから死期を悟っていたのだと思う生きることを選択しなかっただけ受け入れられなくて釈然としないけれど分かってしまっている彼女のこと自然界に帰れたことを喜んでいるわたしが信頼しているヒーラーの一人にタバコを吸い大酒を飲む人がいるガンを一瞬で消してしまうくらい純度が高いエネルギーで生きているような人タバコは鎮静効果と、煙は浄化でありお酒は体内を清めてくれているのだと言っていただから、彼女は妖精のようだった木を見ると彼女を思い出す精霊や妖精たちがたくさんいる中に彼女のなにかも生きている気がするから大切なことを教えてくれて残してくれたそれはスピリットを大切に生きるということ大阪は昨日から梅雨入りをしましたね写真は雨上がりの束の間の公園職員室や神社で一礼するようにお店や公園にだって一礼してから入るそこの精霊たちがいるからね侵害しないように傷つけないように優しく木とお話しできることがすごいのではなくてお話しすることによってメッセージがあるなら聞きたい自然は脅威にもなりうるなら同じくらい守ってもくれているならば、言い分は聞いてあげたい小さい頃は叶えられなくて悔しかったけど大人になった今ならできることがあるわたしやあなたにしか見えない世界があるように木にしか見えない世界がある私たち人間、一人一人も自然物木とお話しできない=自分の体の声が聞けないのと同じ木に優しくできない=自分に優しくできないのと同じ祈りは足音から、そして、愛は自らの肉体から教育がなくなった時にようやく人は自然の一部に戻れるのだと思う古事記や宗教が分けてしまった失われたなにかが蘇る日が来る善悪がない、つまり正義がない哲学の授業が原っぱで繰り広げられていくそこから数学者やあらゆる学者が生まれる30年後そんなヴィジョンしか見えなかったのが日経新聞に同じような記事を見つけた時ちょっとリアリティーが増したのですあなたはどんな未来を創造していきますか?どうしてこの文章を書こうと思ったのかは彼女の命日が近づいていたからブッダ先輩は一人で死んだ彼女に対して「あいつらしいよな」と静かに笑っていました言葉に違和感があったのは、人は冷静になると、標準語になるみたいです今は、海外で出会った女性と国際結婚をし小さな雑貨屋をしながら幸せな生活を過ごしていますそんな生き方もまた、彼らしいのです