九学 || 瑞穂 み すぐり -51ページ目

石の精


空から、キラキラ光る珠が落ちてきました。

それは誰が見たって、欲しくなるような美しくて可愛らしい珠。

石の精人 は、これをしっかり胸に抱えて、地上に降りてきました。

それは、硬いガラス球のよう。そう、幼児のぱっちり清らかな瞳に似ています。


石の精人は、こんなに魅力的な珠の中に心を秘めているのですから、

子どもの頃から、どこへ行っても相手からは好感を持たれました。

誰にも好かれる幸運児、石の精人。


そして、もう一つ、この心の容れ物には、個性がありました。

飛ぶのです。

それも鳥のように、どんな遠くの場所へも、ひょいっと飛んでしまいます。


誰からも無条件に好かれ、しかも遠くへも難なく飛べ、いかにも幸運を持って生れた石の精人にも、

大いなる悩みはあるのです。

それは、心が珠の中にしまいこまれていることのために、このままでは信頼を得にくいこと。


どこへ行っても好感を持たれるのであって、信頼を得られるまでにはならない。

この人は感じ良いなあ、良い人だなあ…居ても居なくても。


なぜ、信頼や尊敬の念を受けられないかと言えば、ガラス珠にしまいこまれた心が、

超超頑固だからなのです。


会話をしても、相手の意見は決して心の中に入れません。

相手は、にこにこ感じの良い雰囲気で聞いていたから納得してくれたかと思ったら、

それこそ大きな勘違い。

決して他人の意見に、心からの納得はしませんから、付き合い時間が長くなるほど、

信頼はされなくなっても仕方がないでしょう。



この心の個性は、本人がそれを納得したら、あっけなく変えられるのですから、

大きな仕事をしたかったら、心の容れ物を、勇気を持って壊してしまいなさい。

その時、遠くへ飛べる個性も一緒に失いますが、ナイーブな感性、身体と頭脳の若々しさ、

理解の早さはしっかり残りますから、心配しなくても大丈夫です。

それが辛ければ、チームワークの必要ない仕事のスタイルが向いていましょう。

いつまでも、肉体も雰囲気も幼児の清々しさを保てて、好かれますから。








水の精

水の精

宇宙から水滴が一粒落ちました。

水滴が落ちて行く先に、月の明かりを受けて美しく輝く星があります。

それは火と水の星、地球でした。

地球の中は火が燃えていて、地表は海と砂漠と山に覆われた星でした。

水滴が落ちる前、地球は老化の最中、宇宙から水分を回収され消滅する寸前でしたが、

宇宙が間違えて落とした水滴で、すっかり蘇りました。

水滴は海ではなく砂漠に落ちたのです。

砂漠に落ちた水滴は大雨になって何日も何日降り続け、河や池になりました。

河は幅をどんどん広げて蛇の様に身体をくねらせ海へ向かいました。

そして雨は、地下で眠っていた植物の種を目覚めさせ、葉を茂らせました。

宇宙が落としてしまった水滴、人の心の中にいる情が、地球を生き返らせました。

その後も、宇宙は地球を消滅させようと押しつぶしにかかっています。

それを植物が地下から押し上げ、動物は植物に隠れて幸せな生活をしています。


水は、常に太陽に呼ばれ、空へ向かいますが、隙を見ては落ちてきます。

雨粒となって戻るや地下へ潜り、植物に隠れて呼び戻されるのを逃れている。



ですから、そんな地球の恩人である水の精人 は、上の方や空は苦手です。

理屈や信念、理想、哲学などには、産まれた時から関心を持ったことはない。

水、心の中の「情」の水で地球を蘇らせたのですから。

情は優しさ、下の者へ向かういたわり、可愛がり面倒を見る気遣いです。


水の精人の目線も、上へは行かず、どうしても下へ向かってします…癖ですね。

注意されても上には向けません。

仲間を集めるのは、理論ではなく、気づかい。

人と人を結び合わせるひらめき能力で、リーダー格を持ち続けます。



水の精人の得意分野、それは人間が造った水の流れ、経済の世界。

ですから商売人、経済人になれば成功する確率は高い。

経済の方向を読む能力には大変長けていて、センスも抜群。

常に、身の回りの人の動き、物の移動には神経が良く向かいます。

商売のセンスを生かし、経済力を持つ大店の主人の風格を目指すのが得策。

間違っても、政治家にはなろうとしないことです。



理念、理想、信義、信念など持って何の役に立つと言うんだ、

社会を循環させている血液、それは経済力なのだから、絵空事はいい加減にして眼を覚ませ。

そんな言葉に頷くのは、植物の精人

お互い共通の倫理観を持っていますから。



菅さん、日本が行くべき方向をしっかり見てください


参議院選挙で負けたのは、管さんの消費税発言ではありません。

鳩山さんが犯したお子ちゃま総理大臣の失政のお陰でしょう。

アメリカからまともに相手にされなくなり、世界から冷笑され、アジアから呆れられ、

沖縄の人たちを怒り心頭にさせて、その自覚が本人に全くない。


消費税は、国民の多くは上げなければ仕方がないと思っているはずです。

菅さんはじめ、民主党内でも、消費税発言のせいで選挙に負けたと思うのはとんでもないお門違い、

というか、問題のすり替えでしょう。




民主党政権になって、日本国民は危険に晒されていると思いませんか。

自民党が良かったなんて言っていません。

民主党に代わって、良かったとしか思えませんから。

でも、今の様に日本の政府も国民もメディアも、単細胞的被害者意識でいては、

日本は危なくなるばかりだと、心配で堪りません。



①中国が尖閣諸島を領土と言い始めています。

②沖縄の米軍基地問題が宙に浮いたままです。

③アメリカが持っていた日本への関心が、薄れ始めています。

④北朝鮮政府は、国民の飢えを、日本への攻撃で紛らすのかもしれません。

⑤中国は、アメリカ、ロシアとも近づいて、力を持つシナリオを書いています。

⑥検察庁がメロメロです。

⑦民主党内が小沢さんの問題に引きずり回されています。



いくら書いても、日本がどこへ行こうとしているのかが見えてきません。

つまり、相手の出方を見てか、どっちへ行くか決めようとしているから、

行くべき道が、今でもないのです。


日本ほど単細胞でおめでたい国は、世界中捜してもないのではないですか。

こちらが出方を待っている間に、中国は着々と世界の理解を得ようと

シナリオを書き、手を打っているではありませんか。

早く、日本政府も、国民を危険に晒さないために、勝つための筋書きを

造って対抗しなければ、間に合いませんでしょう。

国内の問題に逃げている場合ではありません。

日本は被害者だなんて国中で思っていたら、交渉自体が始まる前に、侵略される。

それくらいの危機意識をもって、国の政治を行って下さいませんか。

世界大戦時、中国、韓国、アジア諸国に対して日本は加害者だったのですから。

裸の心で産まれちゃった、動物の精人


形がない心なのですが、大方の人の場合は、居場所が見えるように、

着物を着て生まれてくるんです。

それで、濡れた様に見えたり、土に見えたり、石の様に見えたり、葦の葉っぱに見えたり、

ガラスの様に光ったりしています。



ところが、ある種 の人たちの心は、なんと裸のまま生まれてきました。

ちょっと気が散る個性のせいで、新しい世界へ出るときに、

うっかり上着を持つのを忘れて出てしまったのです。

でも、もう出てしまいましたから、後戻りはできません。


おっとっと、裸で出ちゃった。

でも、もう後戻りは出来ないから、仕方ない、

重さを着て皆の眼を眩ませて生きて行くことにしよう。

新しい世界は、重さの世界でしたから、重さならいくらでも

手に取ることが出来るのです。



ですから、裸の心で生まれた人たちは、普段から重さを着て、

裸が見られないように生きています。

そして、そのお陰で力持ちになれました。


だって、そうでしょう。

重さって着物を急いで羽織ってしまったら、毎日重さを運んでいるのですもの。

力持ちにはなりますよ。


彼等の心の正体は、生まれっぱなしのお人好し、善人、でも落ち着きがない。

頭の中の整理整頓、つまりファイリングが下手。

しかし、うっかりのお陰で身に付けた力は、電気ですから、生命力は強く、

しかも頭脳力も強い・・・記憶力に優れているのです。

その上、心の眼力も優れていますから、明日か明後日に見えるはずの珍しいモノも見えてしまう、

素晴らしい能力をも持っているのです。


そこに、特捜検事局の人たちの様な、筋書きを描く人がいて、それをサポートしたら、

こんなに有能な人材は中々見当たりません。

でも、困った事には、ずるい怠け者根性があるんですね。

仕事時間なのに姿が見えなかったら、川原の土手か公園を探してご覧なさい。

サボって昼寝を決め込んでますでしょうから。








生きる意義

人は他人の存在を、そして心を感じるために生きています。

人が感じなければならないのは、人の心だけではありません。

動物を感じ、植物を感じ、景色を感じ、宇宙を感じて生きることが、

どれほど意義深いことかに気づいて下さい。

いくらでも、たくさん感じれば感じるだけ、生きている意義は大きいのです。




誰にも感じられない苦しさから逃れたくて、何人も殺した人がいました。

誰にも相手にされていないと感じることがどれ程苦しいか、

本人になってみなければ解りませんでしょう。

しかし、彼は心の苦しさを、社会への恨みに置き換えたのだと思います。

人を刺し、血を観て、苦しむ姿を見て「ああ、自分は生きている」と感じた。




心のこの苦しさは、着ている服が、どんどん締まって来ているのに

脱ぎ方がわからない様な辛さ、恐ろしさではないでしょうか。

苦しいよう、助けてくれ~、誰か俺の苦しみを感じてくれ。

その苦しさを助けるのは、彼の存在を感じる他人の心だったのです。




「あらま、そのまま行ったら危ないでしょ、早く、こっちの道へ来なさい!」

「おい、お前、顔色悪いぞ、あ、この前の情報ありがとな、助かったよ。」


身近に彼の存在を気にするたった一人の心があったら、

あんな惨い殺人は起きなかったかもしれません。




衣食住が足りた現代人は皆して、「自分はここにいるよ」って叫んでいます。

誰か、自分を当てにしてくれないかな。

助けてくれって頼んでくれないかな。

そっぽばかり向いていていないで、こっちを見てよ、お願いだから。




現代社会では、多くの物を感じて、暖かい心を寄せ、そこに自分なりの好みを見つけられる人は、

どんな偉い宗教家より、慈悲深く、偉い人です。


誰も、そう評価してくれなくても、感じることで、心を寄せることで、好きだとか嫌いだとか思うことで、

愛せたことで自分が幸せな心になれればOKなはず。



幸せになる権利も、責任もばっちり果たせて、ああ、意義深い良い人生だ。


占星術の根拠

地球に生まれた者たちは、宇宙のスピードである光速の世界に生まれ、

その物自体のスピードによって、それぞれの違いを個性として生きる宿命を持たされました。

動物も植物も鉱石も土も水も空気も、何もかも宇宙のスタッフは光速で生まれ、

成長し、光速以下のスピードで消滅して行く決まりになっています。

そして、それぞれ違うスピードに乗って存在し、消滅して行きます。



スピードが遅いモノ程、消滅の変化は早く、泡のように消えてしまい、

反対にスピードが速いモノは、消滅までの寿命が長い、これが個性です。



たとえば、動物は植物より寿命が長いでしょう。

いや、樹は動物より寿命が長いでしょうって、そうではありません。

樹木は、地球の一部、そこでは毎年成長が起きていて、植物の寿命は1年です。

ですから、植物より、動物は早いスピードに乗って生きています。




生物は宇宙の吐く息で生まれ、成長し、吸う息で、破壊され消滅させられる。

宇宙は、生物を成長させた倍の時間をかけて老化させ、消滅させています。

20年間かけて成長した人間は、その倍の40年後に消滅する運命のものでした。

人が肉体の能力だけで生きれば、寿命は60歳が最終終着駅ということです。




しかし、人間は、光速以上の速さを発信できますから、簡単に消滅はしません。

成長の4倍から5倍を生き、トータル120年以上の寿命を生きる人もいます。

光速以上の速さで、破滅させに迫る宇宙から逃げられるある種の人たち。


そんなスピードを発信して生きているのは、いったいどんな人たちなのでしょう。

いくら筋肉を鍛えて発電しても、電気ですから光速以上の早さにはなれません。



では、人間の持ち物のうちのいったい何が、光速以上の速さなのか。

答えは、心です。



心は光速以上のスピードのモノたちを発します。

心は愛します・・・愛し、感動して涙(水)を流します。

心は想像力を持っています・・・10光年先の景色を一瞬の間に見ます。

心には創造力があります・・・「心」の世界に見えるモノを形に創造します。


宇宙の一部の地球に生まれた人間が、宇宙より早いスピードを内在しているということは、

人間は、生命体でありながら、それ以上のものだと言うことです。



つまり、宇宙の速さ、光速をも超えるハイスピードの「心」を持ち。

「心」と一緒に生きる人間は、生き物でありながら、地球とは違う星でもあります。



人間の「心」を星として考える占星術の根拠はここにあるのでした。



8の中の10


八卦は、宇宙全ての仕組みを8段階で解いています。

8段階は成長、変化を語りますが、進歩するとは語っていません。

宇宙は成長はしても、進歩はしない、それが輪廻転生の理念「8」です。


自然界は、誕生から、成長して、生活があって、老化して死、姿の消滅、

その繰り返しであって、それが変わることはないのだと。

変化することは真理、仕組みは不変、それを「8」の字が表わしています。

二つの次元の上を行く、あのベルトです。


どこが終わりでも、どこが始まりでもない、つまり、輪廻転生なのです。



人は、誰もが死を恐れていますが、本当に恐ろしいのは死ねないことでしょう。

死ぬことで、自分の全てが消えるのは悲しいけれど、リセットされると考えられれば・・・。

でも八卦の「8」は常にリセットが知らぬ間に起きていることを伝えます。

進化と進歩は違います。

「8」には、進化はあっても進歩はない。

シャトルバスの様に、決まった循環路線を走る決まりなのですから。


しかし人間は、意欲があり意志があり進歩します。

それは繰り返しの「8」ではなく、0で次にスッテップアップする

「10」でしか語れない独立した頭脳と欲を持った生き物、

輪廻転生とは違うスケールの数学を持つ生き物でした。

しかし、八進法のスケールの中に、生命体としては含まれている人間です。


八進法の輪廻転生の中で生きる地球の生き物でいながら、

十進法で進歩をし、地球を変えて行く人間。

「8」の中から「10」が鎌首を持ち上げています。

この「10」と描いてある蛇の鎌首は、頭脳と欲。

一見利口そうに見えて本当はあまり利口ではないから、

故郷の「8」を壊してしまうバカ破壊者です。


乱暴な分け方をすれば「8」はアジア人的観念「10」は欧米人的観念。

最近では、アジア人も10の観念で生きる姿勢に変身しつつある様子ですが・・・。

しかし、心は絶対に「8」、決して進歩はしないことを忘れてはいけません。




男の中に女がいる、女の中に男がいる

火(3)(離)のお話をしましょう。

物は、みんな半分になります。

物は、みんな自分から燃えます。

では物の中に火が入っているのでしょうか。

そうではなくて、物の中には、火を熾すモノが必ず含まれているのです。



それは、物をまっぷたつ分けた時に、その真中にいた、どちらにも属さないモノ、

それを八卦では冲と呼びます。



女の身体を背骨の真中から、縦に切ったとしましょう。

切られた女の死体の、右半分も左半分も当然一人の女のものでした。

この死体を何回半分づつに切り刻んでも、その全ては女でした。


でも、どの断片にも、男が入っているでしょう。

そう、男性ホルモンです。

女の切られた肉片と肉片の間の空間から、男性ホルモンが顔を出しました。

これは男性の身体を切っても、同じこと、女性ホルモンが出てきます。

女性の身体を横線としたら、男性ホルモンは縦線、90度の角度で存在している。

だから、女を縦に切ると、男性が出てくるのです。


女性の中の男性ホルモン、男性の中の女性ホルモン、これが冲、火の元です。

火は、二者がいて、欲しいものに同時に突進したから起きた火花。

両方からぶつかって起きたエネルギー、それが火になるのです。


物には自家発火するエネルギーが潜んでいるのだと、八卦は伝えています。

全ての物には、90度方向違いのモノがいて、それが火の元になる。



つまり、形に対して、形を動かす形がないモノが自家発火の原因。

生き物の熱に対して、熱がないモノが生命の原因。

生き物は熱ではないモノによって生命は続いているのです。

真中の火(3)(離)から、自分は、電気(4)風(5)そして水(6)に

なって山(7)土(8)になれました。



八卦の教えは実に面白くて納得させられますでしょう。

当然です、宇宙語で真理を伝えてくれているのですから。

だから・・・お金が欲しかったら、お金がないっ!という自分であること。




高齢者の「気」が表彰される日


老化とは、肉体から生命力が少なくなり、ついにはなくなっていく移行過程のこと。

生命力とは、身体の中の発電所で発電される電気の「気」。

成長期の若者の「気」はとても強くて、見るからに生命力に溢れているけれど、

普通の老化は、成長が終った時点で既にスタートを切っていた。

成長期にかかった時間の約5倍をかけて、ゆっくり老化し生命が収束して行く。




生命力の「気」の発電所は身体のどこにあるかと言えば、それは筋肉の中。

筋肉で発電された「気」は体中を廻り、外へも放出されて輝き魅力となる。

お相撲さんの身体がピンク色に輝いているのは、ほとばしる「気」の量のすさまじさ。

心は、生命力に憧れているから、この「気」の魅力には無条件に惹かれてしまう。


しかし、老化は、その「気」が減って行くことなのだから、悲しいんだな。



老化が進むほど、誰の心からも無条件に魅力を感じられなくなってしまった。

心の深さ、優しさ、思慮の深さ、正義感、愛の大きさ、または経済力から出るゆとり感や

落ち着き感などが漂わないことには、老人は魅力的とは感じられない。




では、仕方がない、自分で筋肉を造ろう。

そうです、それが出来たら、あなたは絶対に偉い人です。

高齢になっても若々しく行動している人は、表彰されるべき偉業の人。

筋肉は、自分で造るしかないのだから、いつまでも筋肉を保つ人は絶対に偉い。

年齢だけの敬老も良いけれど、高齢者の若々しい行動力に敬意を払う思想があれば、

社会が変わるかもしれない。



「気」で輝く高齢者を尊敬する思想は、これから必要ではないだろうか。


「気」を測定することは、難しくはないはずだから、並んで測定してもらおう。



そこで、注意したいのは、腸からも「気」が発電されているのを忘れないこと。

腸の筋肉はとても多いのに、その鍛え方が難しい。

身体を前に曲げ、後ろに反り返り、横に倒し、腕で上に引っ張る。

そして、腸の中を常に満杯の状態にしておかない。

食事は唾液の助けを借りて、若い頃よりもよくよく噛んでから喉を通す。


ここで、腸を刺激する煙草の効用が見えてくるけれど、それは内緒、内緒。

ともかく、魅力的高齢者を目指して、筋肉を鍛えたら、いつか表彰されるかな。






自由は自分で護る


人の社会で、自由ほど大切なものはありません。

人は自由を持たされて生まれたはずなのに、いつの間にか取られてしまいました。

自由を失った心は、不幸な心。

個人から、自由を奪おうとする心は、悪い心と言わざるを得ません。


しかし、この悪い心のほとんどが、自分は良い心の人間だと信じているのです。



自由を取られる危機にみまわれる可哀想な被害者を、

悪い心は自分に苦労をかける加害者、

自分は加害者を許している優しい心だと思い込もうとしています。



ダメダメ。

そこで自分の自由を護らなければ。

被害者なのに、加害者のレッテルを貼られて檻に入れられ、

そこから出られなくなってしまいますよ。




自由とは、好き嫌いが思えること。

好き嫌いを言えること。

好きになるか、嫌うかこそが、全くの心の自由です。

個人の心から、自由が取り去られた世の中、心に自由のない世の中は、暗闇。

人々は、好きな方へは行けなくて、同じ方へ行くことしか許されません。

トッ、トッ、カッ、カッ勇ましい行軍の様に「皆あっちだ!」「イエス・サー!」


自由は、生まれながらに持った権利、他人の自由を守るのは生まれながらの責任。

しかし文化社会では、個人が自分の自由を護り続けるのも責任とされています。

自由を奪われる被害者になったら、責任放棄の罪人、弱い心の者と見下される。




「あ~ん、自由を取られた~」

「自由を取られたのは、人間として責任放棄だから、お前には罰を与えよう」

「やだ、やだ、自分は自由を取られた被害者なんだ」

「簡単に自由を取られるようなバカ心には、自由は高価過ぎるから、エイッ」

「あ~、少しだけ残っていた自由も取られた~,返してよう~」




「息子は、いつまでも真面目すぎて、女友達もいないから、もう心配で心配で」

(よく言うよ、ガールフレンドを連れて来るたびに仮病で大騒ぎする癖に)

「息子が結婚してくれたら、どんなにか安心でしょう」

(そうしたら、あなたは死にそうになるんでしょう、解ってますよ)



自由が取られ続けている自覚があったら、そこから勇気を持って逃げること。

いつまでも我慢しているのは、自由を取られた弱虫心と見下げられるだけですよ。