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今日の一言  「 みんな先生 」


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 おはようございます。
 今日は、「愛と怖れ」「ゆるすということ」などの著作のある
 ジェラルド・G・ジャンポルスキーの一言。
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  【今日の一言 2013年7月9日】
 「出会う人すべてを、
  忍耐を教えてくれる教師とみなしなさい」
  (ジェラルド・G・ジャンポルスキー 精神医学者、作家・講演家)
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 近頃は、思い通りにならないと、すぐ切れてしまう人が増えて
 きたように感じます。堪忍袋の緒が弱い人が増えたというか、
 堪忍・忍耐の大切さに対する価値観の欠如があるのかも知れ
 ません。
 感情に流されることと、自分に正直に生きていることとの違い
 がわかってない人が増えてきたのでしょう。
 この違いは、しっかり心に刻みつけておくべきです。
 「大偉業を成し遂げさせるものは体力ではなく忍耐力である。
  元気いっぱい一日三時間歩けば、七年後には地球を一周
  できるのだ」(サミュエル・ジョンソン)
 思い通りにならないことに出会うたびに感情を爆発させて
 いたら大偉業なんてできるわけがありません。
 楽したい・怠けたいとばかり考えている人に、他人がついて
 くるわけありません。
 自分の本当にやりたいためには、どう考え・行動するべきか?
 何かにつけて自問自答してみましょう!
 冷静に自問自答する癖をつけましょう。
 これを習慣にできれば、身の回りに起きるすべての出来事が教師に
 なってくれます。
 すべてが感謝すべきことだと感じるようになってきます。



今日の一言 「 双眼の色 」


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 おはようございます。
 今日は、「人間だもの」で有名な書家・詩人
 相田みつをの一言。
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  【今日の一言 2013年7月8日】
 「『 憂い』
 むかしの人の詩にありました
 君看よ双眼のいろ 語らざれば憂い無きに似たり
 憂いがないのではありません
 悲しみがないのでもありません
 語らないだけなんです
 語れないほどふかい憂いだからです
 語れないほど重い悲しみだからです
 人にいくら説明したって
 全くわかってもらえないから
 語ることをやめて
 じっと こらえているんです
 文字にもことばにも
 到底表わせない
 ふかい憂いを
 おもいかなしみを
 こころの底ふかく
 ずっしりしずめて
 じっと黙っているから
 まなこが澄んでくるのです
 澄んだ眼の底にある
 ふかい憂いのわかる人間になろう
 重いかなしみの見える眼を持とう
 君看よ双眼のいろ
 語らざれば憂い無きに似たり
 語らざれば憂い
 無きに似たり」
 (相田 みつを 書家・詩人)
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 昔から「目は心の窓」、「目は心の鏡」といいますね。
 昨日までの石川真理子の祖母も、美人の条件は、目がきれいに
 澄んでキラキラ輝いていること、そして目をきれいに澄ませる方法
 は一つしかない。“心を磨くこと”と言っています。
 深い憂いを、重い悲しみを、心の底深くにずっしり沈めて、表に出さず、
 他人には常に明るく、思いやりを持って温かく接することで、心を
 磨き、魂を大きくして、澄んだ目を持ち、他人の目の底にある深い憂い
 のわかる人間になりましょう。重い悲しみの見える目を持ちましょう!
 精進です。
 「目はからだのあかりである。
 だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。
 しかし、あなたの目が悪ければ(澄んでいなければ)、全身も
 暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その
 暗さは、どんなであろう」(新約聖書マタイによる福音書6:22・23)
 「小さな真実は明晰な言葉をもつが、大きな真実は大きな沈黙を
  もっている」(ラビンドラナート・タゴール 詩人)


今日の一言 「 するが堪忍 」


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おはようございます。
今日も、「いまも生きる『武士道』」よりフリーライター
石川真理子の祖母の一言。
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  【今日の一言 2013年7月5日】
「堪忍せずにいると、おのれの心をどんどん狭くしてしまうものです。
つまらないことでいちいち怒るような、心の狭い人間になりたく
なければ、どんなに腹が立っても、最後は勘忍するのが肝心です」
(フリーライター石川真理子の祖母 「いまも生きる「武士道」」より)
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「ならぬ堪忍するが堪忍」といいます。
堪忍できたということは、自分の感情の激流に流されなかった
ということです。精神力の強さの証明でもあります。
堪忍袋の緒をなかなか切れないように強くしていく鍛錬が、
自分を磨き、そして、人生で成功していく大きな原動力になる
のでしょう。
 かの徳川家康も、自らの経験を踏まえて
「堪忍は無事長久の基(もとい)。怒りは敵と思え」
「堪忍は身を守るの第一なり。 堪忍のなる事は、十全
(100%)に至らねば家をも国をも起す事はならぬ
ものなり」と堪忍の大切さを強調しています。
 感情が爆発しそうになったときは、深呼吸して自分の感情とじっくり
対話してみましょう。
冷静に考えれば、感情を爆発させなければならないことは、全くと
言ってよいほどないはずです。
「自分の気分や感情で周囲を振りまわしてはいけないよ。それは
礼儀にかなうことではありません。とても失礼なことだとよく
おぼえておおき」(石川真理子の祖母)
「あなたが、怒りっぽいのは、あなたのせいではない。
子どもに対する怒りは、親から受けた怒りを子どもに伝えてしまう…。
その子は、また孫に対して同じ怒りと叱り方をして伝えてしまう。
父母の怒りは子に伝わり、子は孫に…
同じ理不尽な怒りをそれぞれ正当化しながら伝えてしまう。
気が付いて、そこで怒りを捨て、
思い遣いと愛しさと優しさが救いになる
それを伝えよ…」(北川 八郎)

(以下、江戸時代初期の言葉で難しいですが、古典に興味のある方
はどうぞ。
 駿府隠居した徳川家康が秀忠に送った訓戒の書です。
家康72歳頃の書状だとされています)
「堪忍の事、身を守るの第一に候。
何事の芸術も堪忍なくては致し覚え候事もならぬ者にて候。
天道に叶ふ身の我儘致さぬ堪忍、地の理に叶ふは先祖よりの一郡
一城を失はぬ堪忍、人和を得るも、我儘気随致さぬ堪忍、その外
身體尽く堪忍を用ふる事に候。
仁は我れ召仕ふ者并民(へいみん)百姓の賞罰を正しく致し、
疎きをめぐみ、親しきをも罰す、是れ仁の堪忍なり。
君に仕へて身命を顧みず、一度も約をたがへず、是れ義の堪忍なり。
人の事を先にして身の事を後にし、起るより寝るまで行儀正しくする、
是れ禮の堪忍なり。
我に慢にして人をないがしろにする事をせず、是れ智の堪忍なり。
君父につかふるより始め、假所にも表裏軽薄をなさず、
是れ信の堪忍なり。
古法を守り、我物好をせず、美器美服美色に心を動かさず、
是れ目の堪忍なり。
美香を好まず、穢(けが)らはしき匂ひにもおかされず、
是れ鼻の堪忍なり。
雷又は戦場にて弓鉄砲の音にも恐れず、先陣に進み、高名を遂ぐる、
是れ耳の堪忍なり。
酒を過さず、美味を食せず、是れ口の堪忍なり。
其の外手足にも堪忍あるなり。
右の堪忍を一生の間全く守る人は大身は家を起し、国を治め、
小身は身上を起し、家を修む。
堪忍のなる事は、十全に至らねば家をも国をも起す事はならぬ
ものなり。
假令(たとへ)ば十の内を八つ九つ守り一つ二つ破り候へば、
其の破れし所より夫れ迄の堪忍、徒に成行ものにて候。
大方の堪忍強き者の是れまでは堪へしがもはや堪忍ならぬと
申す事、まま申す事に候へ共、夫も義によつて破るは破ると
云ふといふも行はるるものにて候得ども、多くは我が智恵短き
より我儘に落入りて、身を果たし家を破り、国郡を失ふ。
たとへば弓を射る者の手前を能き引渡しはなれにてゆるみ、
または持ち出し抔(など)して初めの能き手前も徒らになる
様なる者にて候、兎角堪忍の十全ならぬは堪忍の詮はなきこと
にて候、日本にては楠正成一人にて候。
初めより一向堪忍の気なしと言葉にも出し行ひしは近世武田勝頼
にて候。
夫れ故一生の行ひ道に叶はず先祖より数代の家を失ひ身を果し候。
織田殿は近世の名将にて人をよく仕ひ大気にて智勇もすぐれし人
にて候へども、堪忍七つ八つにて破れ候故、光秀が事も起り候、
太閤様には古今の大気智勇至つて堪忍強かりけるゆえ卑賤より
二十年の内に天下の主にもなられ候程の事に候へ共、余り大気故、
分限の堪忍破れ候、大気程よき事はかく候得共、夫も身の程を
知らず、万事花麗に過分の知行、行ひ其外、人に施すは大気にて
はなく、奢と申すものにて候、知行其外、施す品も其の分に
あたつてこそよく候へ」