


ここのところ、ずっと忙しい毎日に追われていて、自分ではその事に自覚がないんだけど、ふとした時に何気ない言葉が妙に苛立っている自分に『はっ』とする。
その時には多分、その嵐は既に過ぎ去っていて、巨大な罪悪感という壁に潰されそうな自分を、歯を食いしばって必死に支えているもの。
それは誰でもなく一番近くで僕を見ている人たちなのでしょう。
それもそれでわかっているはずなのにね。
客観性と主体性がいつも、バチバチと自分の中で格闘しています。
結局どちらも自分自身だから、勝敗などつくわけもなく、1人で反省会…。
やっとピークを過ぎて、はるか向こうにあるはずのスタートラインはまだまだ足元にあって、そしてその先にあるゴールラインの遠さに呆然と立ち尽くすの でしょう。
少しだけ疲れたな…。
この言葉に尽きる。
こんな時は、いつものルーティンから敢えて逸脱してみることも大切なこと。
外は静けさに満ちていて、こんな夜がいつまでも続いてくれることを望んでは、またこの夜がいつまでも続くことに怯えてみたり。
そんな12月。
もう少しだけ頑張れるかな…
小倉智昭さん77歳、闘病の末死去。
今までこういうニュースって、当たり前のように『まだ若いのに気の毒だなぁ』って見ていたけど…
自分も同じ病気を患って、程度は違えど自分の行く末を考えてしまう。
そんな小倉さんのコラムに、『年老いてから何かしようと思っても出来ない。もっと大好きなワインを沢山飲んでおけば良かった』という記事を見つけた。
実際、病気云々は別として、今だから出来ること、今しか出来ない事ってたくさんある気がするのです。
でも、今すぐにそれを考えようと思っても見えないんだよね…
時間って無限にあるものではないから…
この一瞬一瞬を大事にして行きたいものです。
性格もあると思うけど…
自分は、いつも人の顔色を伺って過ごしている。
ライブをしても、メンバーの表情やオーディエンスの表情。
実家にいた頃は家族の表情。
職場にいても、周りの表情。
なんか、誰かに望まれる自分でありたい…
誰かに常に認められていたい。
それだけでがむしゃらに生きてきた気がする。
でも、自分の命って自分だけのもので…
最後のひと時に、果たして満足できるのだろうか?って。
年末になるとこういうニュースが増えるのもまた不思議だよね。
来年も、こんな事を思っていられますように。
実は昨年の6月に、ハワイアンズへ行ったのですが、前使っていたスマホがまさかの水没…結局復旧出来なくて、機種変しました。
それまで、スマホはスマホ。
カメラはカメラ。
と、割り切っていたのでスマホは格安のものを使っていたのですが…
具体的に言ってしまえば、AQUOSのWISH2。
スマホはせいぜい、LINEとSNS、ドラクエウォークができれば良いや…って感じだったんですが、まぁストレスは高いながらも不都合は感じていませんでした。
しかし、耐久性などを考えると、もう少し良いものを…とも思いまして。
DOCOMOの店員さんと相談。
緊急だったので、あまり高くなく、それでも使用性が良いものを…と。
それまではもう15年くらい、AQUOSユーザーだったのですが、様々なコスパを考えるとGooglepixelが良いのでは?ということで、当時からわりと安価だったpixel8aに変更したわけです。
とは言いながら、ほぼほぼネットと電話機能以外は使っていなかったのですが…。
入院の時かな?ご飯とか、外の景色とか暇だから撮ったりするじゃない?
いや、画質が良いのよ…。
で、先月県外に行くことがあったので、景色とか撮るじゃない?
いや、望遠も良いのよ。
そこから、ちょっと写真とか撮ってみようかな?って。
元々一眼使ってたから、まぁ補助的な立ち位置かな?って思ってたんだけど…
先日。


用事があって千葉と秋田へ行ってきたのですが…。
あんまり地方空港って行ったことなかったんだけど、これがまた、地方空港ならではの良さがあって。
もうずいぶん昔ですがハワイ島へ行ったことを思い出すような距離感で、思わずパシャリ。
ここで、このカメラの性能に改めて気付いたのが、まずは画像の解像度。
それから望遠の性能ですね。
まぁ、あくまでスマホという前提なので、マニュアルというよか、オートで手振れや画像修正などの補正があることと、Google本来の画像編集のお利口さんなこと。
写真の良さは、撮ったままの臨場感だ!
とずっと思ってきて、だからこそ大事な写真は一眼…と思っていたのですが。
スマホでここまでいくと、正直一眼の出番はよほど、拡大したい、動く被写体をはっきり捉えたいとか、そういうのでもない限り、特に僕のような素人レベルの写真好きにはちょっと、大きなバッグを持ち歩いて重たいカメラを忍ばせるメリットが薄れたような…。
まぁ、撮れば撮ったでまた違いはわかるのだろうけどね。

水戸孝幸ピアノチャンネル
先日に続き、ハウルの動く城【人生のメリーゴーランド】にチャレンジ中。
時間にゆとりがあったのでレコーディングしてみました。
ミスタッチがまだまだ多いですがアレンジはこれで決まりそうです。
これ、元々の生まれ持った性格というか、育った環境での性格というか。
いつもさ、人の顔色伺ってビクビク過ごしてるの。本当にいやだ。
自分のやりたいこと、生きたい人生。
全部誰かの顔色でダメにしてきたと思ってる。
それがさ。若いうちならまだしもね。
この年になってまで引きずるとは思わなかった…。
そんなこんなで、なんかここのところイライラばっかりのような気がして…
何にこんなに苛ついてるんだろう。
ちょっと車線変更で割り込まれたり…
ちょっと行列で自分の後ろにいる子供がこっちに向かって席ゴホゴホしていたり。
仕事でも、自分の思うように動いてくれないことがものすごいストレスで…
そのままプライベートに戻るんだけど、人と一緒にいる勇気がないんだね。
誰も知らないところに行きたいな。
深呼吸、深呼吸。
もしも神様が居るのならば…
そんな事を一瞬思いながら、いやいや…と慌てて首を振る。
僕らが生きるい【今】というのは、偶然と必然の繰り返し。そしてきっと、繰り返される偶然と必然を総評して僕らはそれを【運命】という言葉で片付ける。
もし、これが神様の道標だとするならば…
僕は思う。
神様は理不尽だ…と。
偶然にしても必然にしても、僕らの思い通りに事が進むなんておそらく人生の1割にも満たないことで、その1割を確定するのは決して運命などではなく、経過と過程。そしてその経過と過程を確定するのは誰でもない、僕自身なのだ…と。
1つ強いて言うのであれば、僕らは生まれてくることもえらべなければ、命を落とすことも決して自分の選択で決められるものではなく、決めることが出来るとすればそれは唯一、その『生き方』というものなのだ。
良い生き方。
良くない生き方。
その良し悪しも結局は自分の感じ方で、その決定権を僕らが毎年のように繰り返す元朝参りだったり、厄払いだったり、そういうもので神様へ委ねようとしているのだろうな。
人の人生をどんなに羨んだとしても、実際その人はとんでもない孤独感や拒絶感と戦っていたり。
最近、宗教の話を聞くことが多かった。決してそれを否定するのではないってのが前提ではあるのだけど…
なんとなく、自分に思い込ませるためのツールのような気がして、そんな時になんか孤独感と虚無感が拭えなかったものだから、そんな事をぼんやりと考えてしまったという今日の話。









