「デブ!」というコトバがある。
実はこのコトバ、
一番、本人に会えない。
なぜなら、本人が居ない所で、裏で、こっそりと、
あいつって、「デブ」だよな!
って言われるから。
コトバが、本人に会えない現象!
「やなやつ」もそう。
もちろん、本人を目の前にして使う人も居るが、
ほんどのケースにおいて、
「やなやつ」ってコトバは、その本人に会えない!
「みつろう」って言葉がある。
これは、本人にめっちゃ合える。
それどころか、ほとんどが、本人にぶつけるために使われる言葉。
言葉が本人に会えるケースと、
コトバが、本人に会えないケース。
「ブス」もそうかもしれない。
「あいつくせー」もそうかもしれない。
「死ねばいいのに」もそうかもしれない。
「雑巾のしぼり汁」もそうかもしれない。
さて、コトバが本人に会えないケース。
なるほど!って思ったかもしれない。
でも・・・、実は・・・、
そもそも本来、
言葉は本人に会わない
って聴いたらびっくりする?
言葉はどうやって作られたか?
「いま、目の前で起きている事」以外を他者と共有するため。
いま、この瞬間に目の前で起きている事は、
一緒にこの場に居る人なら、同じく共有されている。
「目の前の花は黄色い」
「良い香りがただよってる」
「少し暑い日だ」
その「場」は全て、他者と共有されている。
目から、皮膚から、耳から入って来る情報で。
なので、
「言葉」がいったい何のために発明されたかというと
「いま、目の前で起きている事」以外を他者と共有するため。
なのだ。
だから、「ここで起きていない事」を、目の前に居る人に伝えるために、
「さむいひ」だったな。
「あかいはな」だったな。
「あかるく」なってほしいな。
「すずしい」日が来て欲しいな。
「いま、目の前で起きている事」以外を他者と共有するため。
のツールだったので、
むしろ、「いま、この場で両者が納得している事」は、
言語音声に直して、鼓膜から再インプットする必要なんて無かった。
本当に愛しているカップルなら、
「ねぇ、愛している?」って聞く必要はないのだ。
聴くという事は、まだ伝わっていないという事だ。
あ。
良い過去記事がいっぱい見つかったので、さようなら。
とにかく、
本人(対象物)に会えないコトバは、
汚いコトバや、陰口のコトバが多いんだけど、
どっちかと言えば、本来はそのために作られたのが「言葉」です。
上の過去記事、絶対に読んでね。ばいばい。
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