メガネを忘れて朝早く、
見えぬと、タクシーも止められない。
「空車」か「実車」か、分からぬゆえ。
しかたなく、中目黒を沿線沿いにお散歩。
歩かないと、見つからないであろう神社に寄れたからよかったけど。
なになに。
かの有名な、十握剣(とつかのつるぎ)が奉納されてる神社なのか。
まじっすか。
そういえば、先月。
ここじゃない神社の絵馬に。
「言い訳をしないことが、今年の目標」
って書いてた人が居たけど。
じゃあ、今年は一言もしゃべれないんだね。
全てのコトバは、言い訳だから。
今年の目標が「言い訳しない」なら、
今年は一言もしゃべれないよ?
どんな言葉であれ、
言葉なら、それは全てが「言い訳」。
「俺は、平和主義者だ」という言葉を、
本当の平和主義者が言う必要はあるだろうか。
「君の事が好きだ」は、
好きが伝わっていない可能性を察知した時に、
出る言葉じゃないだろうか。
全ての言葉は、言い訳。
文だけじゃなく、単語だって、そう。
「リンゴ」
も、言い訳。
リンゴなら、「リンゴ」と言われずとも、リンゴなのに、
言い訳がましく、「あれは、リンゴだ」、と。
呼ばれずとも、リンゴはリンゴなのだ。
そもそも僕らは、
「言う」事で空間からその物質を「切り分け」ている。
言い分けている。
名を呼ぶことで、「全一」からソレを分離させる、観測者「わたし」。
聖書に、「初めに、言葉ありき」と載ってるように。
=呼ぶ前は、全てと一体だった。
そこへ、コトバで呼ぶことで、
呼ばれた「ソレ」が空間からその「カタチ」として、切り抜かれる。
リンゴと呼ぶから、リンゴは、「リンゴ」として切り取られた。
メガネなくとも、見えずとも。
どうにか、五反田?の駅に辿り着いて、
思えば楽しかった朝のお散歩、約1時間。
散歩中に思ったけど。
東京は、空が助けている。
右にも、左にもビルで、
前にも、後ろにも人だけど。
上には、青空が「抜けている」。
沖縄も、福井も、札幌も、新潟も。
冬は、だいたい「曇り空」で、フタがされている。
抜けていない。
だけど。
東京は、いつでも「雲一つない」青空。
ビルだらけ、人だらけ、悩みだらけ。
こんなにゴミゴミした街じゃ、
うっぷんも、苦しみも悩みも、前後左右に、袋小路だけど。
東京は、空が、抜けている。
青空が、東京を助けている。
東京バナナ人へ。
その素敵な街で、何かに耐えられなくなったら、
どうぞ上に吐いてね。
てことで、東京、朝の散歩で気づいた3点セット。
メガネが無くても、神社は見つかる。
東京は、空が助けている。
全ての言葉は、言い訳。
↓あ、5年前に同じこと書いてある。
「愛しているよ」は、むしろ愛が伝わっていない時に言う言葉では?
東京は、今朝も天晴れ(あっぱれ)。
皆さま、いい土曜日を。