私のブログにスピリチュアル系の方がファロワーになることがたまにある。そのようなサイトをのぞいてみると、宇宙との通信や、守護霊や何らかの霊との通信ができる方々が想像以上に多く、そして自ら発信して、スピリチュアル・ガイドとしてビジネス化もしている状況が感じられる。誰でも人は幸せになりたい、想い、悩み、誰かに頼りたくなる。その中で、相談・助言のできる多くの救済の道が広がっているようで、頼もしい限りである。
とはいえ、中山みきや本席様を通じて顕現された元なる神、創造神と、各種の各様に想像された(?)神々との間には、決定的な違いがあると、信じる立場からは言えます。
以下、啓示された神様の詞(ことば) の研究からくる幸せの原理について簡単に考察します。
第1の真理:肉体は貸しもの・借り物の理。 この土台の上にたって、あらゆる目に見えるできごと、自然現象、社会現象、宇宙の出来事が成立している。 モネの世界のように、海と山と空があって、風の動きがある。この自然界の恵みの中で誰もが生きている。生かされている。 どの宗教・信条に関わていても、マルクス主義でも中国人でも北欧の人でも、自然環境の恵みなしに生きていけない。
ただ、貸しているのは神であり、実は人間の自由にならないのが本来の真理である。
政治を動かす、会社を動かす立場がある人でも、神様の守護する中で何事もできている。自分でやっていると思っていると、いつしか足元を必ず掬われる時が来るし、返しが来る。 おごれるもの久からず。立場がある人ほど、己のよって立つあふれる守護、諸関係の恵みを認識すべきなのである。 有形の世界は神が支配しているという真理。 この支配とは人間の支配を超えた、支配という意味で、信じないと見えてこない、神の支配観である。 また信じている人間にとっては、究極の安心感の元である。 人類滅亡は決してない。
第2の真理:人間の心通りに神様が守護されるという真理。 神が形の世界を支配するといっても、人間は神の奴隷ではなく、神の慈悲は無限であり、人間が思うこと、夢にみることを何事も実現させてあげたい。そして神の心は広大無辺であり、これをしろあれをしろとは言わない。人間の主体性に期待が寄せられている。 では人間が思うことは何事も実現しているかというと、そこに一つの巨大な志向性がある。善なる志向性である。一人も残さずに救けたいとの大きな御心である。 スポーツで優勝したい、ビジネスで成功したい、趣味の世界を極めたい、旅行をしたい・・・。各自が各様に心の自由の中で、もろもろのことが希求され、それがビジネス化し、生きる糧が与えられて、人間の相互関係が深まっていく。
しかし自己利益ばかりだとか、その場限りという狭量な心は、神様は好きではない心である。そのような汚れた心、「我さえよければ、今さえよければ」の心使いだと実現できることが段々狭まってくる。そして必ず行き詰るという真理が天の理であり、各自にかかってくる。 広く大きな神様の心になることが人間にとっての真の幸せの元になるということが、段々と一人一人に仕込まれてきている。
神は人間がどんな心を使うか、楽しみにしている。第二の真理は、有形の世界と人間の心がいかに有機的につながっているのかという、天理教の独自の真理観を伝えている。
心通りに、形が守護されているという真理。これが第二の真理である。 食べたいものが食べられて、思ったように体を動かせ、働けて、遊べる。こうした当たり前のようで、人間の最も根本的なこと自体が、心通りに守護されている姿の原初形態である。
そして、長く時間をかけて、体験して、経験を積む中で、達人のレベルでの活動が守護される。 これも心通りの守護の頼もしい有形の姿である。 どのような楽しい、愉快で、優しい社会を創るかも、人間の心にかかっているのである。
第3の真理:心の自由用の理。 人間の魂には自由の理が与えらている。 神を嫌う自由もある、人を殺す殺意をもつ自由もある。 神は人間に最大の贈り物を与えた。それは神でも自由にできない、人間の心の自由である。 民主主義の自由社会の自由は個人の自由を尊重する方向性からできた政治思想である。他方で、覇権国家が台頭するなかで、個人よりも国家の全体主義がより優先される政治思想も強まっている。 個人主義と全体主義の対立はますます先鋭化する。 真なる自由がいつまでも自由として持続できるには、神様が守護されるような心(広く優しい親心)へと立て替わっていくしかない。
以上のような3つの真理観にたって天理教の教えは広がって今に至る。 スピリチュアル系の人たちもこれらの真理観から何かを拾って、自説を有利に広められると思います。 多くの人が少しでも幸せな気持ちになりますように。 まずは目前の今の出来事が最高の神の与えであると自己変容することが、幸せの第一歩だと思います。


