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「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

 私のブログにスピリチュアル系の方がファロワーになることがたまにある。そのようなサイトをのぞいてみると、宇宙との通信や、守護霊や何らかの霊との通信ができる方々が想像以上に多く、そして自ら発信して、スピリチュアル・ガイドとしてビジネス化もしている状況が感じられる。誰でも人は幸せになりたい、想い、悩み、誰かに頼りたくなる。その中で、相談・助言のできる多くの救済の道が広がっているようで、頼もしい限りである。

 とはいえ、中山みきや本席様を通じて顕現された元なる神、創造神と、各種の各様に想像された(?)神々との間には、決定的な違いがあると、信じる立場からは言えます。  

 以下、啓示された神様の詞(ことば) の研究からくる幸せの原理について簡単に考察します。

 

  第1の真理:肉体は貸しもの・借り物の理。 この土台の上にたって、あらゆる目に見えるできごと、自然現象、社会現象、宇宙の出来事が成立している。 モネの世界のように、海と山と空があって、風の動きがある。この自然界の恵みの中で誰もが生きている。生かされている。  どの宗教・信条に関わていても、マルクス主義でも中国人でも北欧の人でも、自然環境の恵みなしに生きていけない。  

  ただ、貸しているのは神であり、実は人間の自由にならないのが本来の真理である。 

 政治を動かす、会社を動かす立場がある人でも、神様の守護する中で何事もできている。自分でやっていると思っていると、いつしか足元を必ず掬われる時が来るし、返しが来る。 おごれるもの久からず。立場がある人ほど、己のよって立つあふれる守護、諸関係の恵みを認識すべきなのである。  有形の世界は神が支配しているという真理。 この支配とは人間の支配を超えた、支配という意味で、信じないと見えてこない、神の支配観である。  また信じている人間にとっては、究極の安心感の元である。 人類滅亡は決してない。

 

 第2の真理:人間の心通りに神様が守護されるという真理。 神が形の世界を支配するといっても、人間は神の奴隷ではなく、神の慈悲は無限であり、人間が思うこと、夢にみることを何事も実現させてあげたい。そして神の心は広大無辺であり、これをしろあれをしろとは言わない。人間の主体性に期待が寄せられている。 では人間が思うことは何事も実現しているかというと、そこに一つの巨大な志向性がある。善なる志向性である。一人も残さずに救けたいとの大きな御心である。  スポーツで優勝したい、ビジネスで成功したい、趣味の世界を極めたい、旅行をしたい・・・。各自が各様に心の自由の中で、もろもろのことが希求され、それがビジネス化し、生きる糧が与えられて、人間の相互関係が深まっていく。

  しかし自己利益ばかりだとか、その場限りという狭量な心は、神様は好きではない心である。そのような汚れた心、「我さえよければ、今さえよければ」の心使いだと実現できることが段々狭まってくる。そして必ず行き詰るという真理が天の理であり、各自にかかってくる。  広く大きな神様の心になることが人間にとっての真の幸せの元になるということが、段々と一人一人に仕込まれてきている。  

 神は人間がどんな心を使うか、楽しみにしている。第二の真理は、有形の世界と人間の心がいかに有機的につながっているのかという、天理教の独自の真理観を伝えている。

 心通りに、形が守護されているという真理。これが第二の真理である。  食べたいものが食べられて、思ったように体を動かせ、働けて、遊べる。こうした当たり前のようで、人間の最も根本的なこと自体が、心通りに守護されている姿の原初形態である。

 そして、長く時間をかけて、体験して、経験を積む中で、達人のレベルでの活動が守護される。  これも心通りの守護の頼もしい有形の姿である。  どのような楽しい、愉快で、優しい社会を創るかも、人間の心にかかっているのである。

 

第3の真理:心の自由用の理。 人間の魂には自由の理が与えらている。 神を嫌う自由もある、人を殺す殺意をもつ自由もある。 神は人間に最大の贈り物を与えた。それは神でも自由にできない、人間の心の自由である。 民主主義の自由社会の自由は個人の自由を尊重する方向性からできた政治思想である。他方で、覇権国家が台頭するなかで、個人よりも国家の全体主義がより優先される政治思想も強まっている。 個人主義と全体主義の対立はますます先鋭化する。 真なる自由がいつまでも自由として持続できるには、神様が守護されるような心(広く優しい親心)へと立て替わっていくしかない。

 

 以上のような3つの真理観にたって天理教の教えは広がって今に至る。  スピリチュアル系の人たちもこれらの真理観から何かを拾って、自説を有利に広められると思います。 多くの人が少しでも幸せな気持ちになりますように。 まずは目前の今の出来事が最高の神の与えであると自己変容することが、幸せの第一歩だと思います。  

 

 数多くの宗教や信条がある中で、天保9年(1838年)に大和の寒村における農家の主婦から始まった天啓の言葉が人類で最初の神による発言だという独立した信仰の伝統ができて、今年で184年。教祖(おやさま)、本席と神の詞、天啓が70年間継続した。その後、教会本部からは啓示者はいなくなったとしても、神の詞は連綿として続いて今に至る。神様には伝えたいことがあり、神様のあることを知ってほしい。これが全人類に掛けられた思いであるが、受け取る側の人間には心の自由があり、直ちに天啓の言葉を信じる人は皆無である。 目に見ない神様を誰も信じない。 幻想・空想としての神、宗教はアヘンだという有名な言葉もある。 神様はそのことも良くご存知であり、分かったもの少数の人間たちにその声を発信し続ける。

 今あるコロナ感染の世界的な苦境も神様による巨大な仕込みで、掃除の理がかかっている。神様が望む新しい世界へと切り替えるための巨大な仕込みである。目に見える世界は苦境に溢れている。身近な感染者の拡大、変異種の増加、オリンピック開催の中止論の高まり。海外ではパレスチナ問題の悪化、ミャンマーの弾圧、アフリカ・中近東での紛争と飢餓、温暖化などの環境問題、米中対立の深刻化など日々のニュースでは明るい話は少ない。 各宗教団体でもソーシャル・ディスタンスをとるため、蜜を避けるため、ミサも行事も中止、教会にくることが禁止されたりと。 自殺者は増えており、格差も拡大している。セーフティ・ネットから漏れ堕ちている人への救いが社会問題化している。

 このような中でも日々に私たちは生きている。生かされている。貸しもの・借り物の肉体を結構に使わせて頂ているという根源的事実に目がいかないといけない。困難であるときと程、真実とは何かが啓示の言葉から照らし出される。

 

「みかぐら歌」二下り目に

 

「九ツ こゝろをさだめゐやうなら

十デ ところのをさまりや」

 

 どこの天理教の教会でも毎日勤めている「おつとめ」の地歌の一節である。

 

 こころとは、人間の自由な心のことである。喜ぶ心、悲しむ心、焦る心、不安になる心・・・・人間の数だけ心の習慣も違う。親子でも、文化の違いでも心の在り方は幾千と違う。 その中で、心を神様の心に合わせる。神様の心に定める。 これが信仰心の核心的なところで、神様を知った心とそうでない心の分水嶺となる。  自由な人間の心が、ある方向に決断する、決定する。 

 神様の心は、万人の陽気暮らしの実現であり、そのために人間世界を創造し続けている。肉体は神の貸しもの、借り物であることを根本的に諭されている。 すなわち有形の世界、形の世界はすべて神が支配しているという真理が最初に来る。  形の世界を神様が見せている。その形の世界は「これでよいか」と神様は常に人間に問うている。 この形の世界は神様が一方向的に支配しているのではない。

 心通りに守護されている。 これが根源的な第二の真理である。  人間の心に合わせて、現実の世界が起きている。人と人が出会い、結婚し、子供を作ってと人間が望むように神様は守護されている。 しかし人間が望む形がすべて与えられているのではない。それが、貸しものの真理である。形の世界は神様の支配下にあり、神様が治めている。

 そこで人間はもっとよりよい形を望む。そこに神様の心に自らの心を定める必然性が出てくる。 人間の心が神様の心に沿ったなら、即、その形が与えられる。これが「ところの治まり」である。過去の形も、今の形も、未来の形も神様が与える。それが「ところのおさまり」だという。 最新の神様の御啓示からの私なりのつたない解釈である。  

 コロナ禍はなおもやみそうにない。これは神様からの大きな仕込みであり、神様がされることに不足はいらない。なってくる形の世界に心を合わせ、大きく深く形の世界の奥にある神様の心を信じていきたい。  

  人間は生きている。生かされている。このことを信じて、絶対的自由の道へ。人間に与えられた自由の心を存分に使っていきたいと思います。     合掌  

 

 

  

 多くの知人から、この知らせを聞かせてもらい、感慨無量です。 2021年(令和3年)4月13日に逝去。 

1936年 奈良県天理市生まれ。 教会長の長男だったが、弟が教会を後継し、本人は京都大学、バンダービルト大学と世界最高の研究を進める。遺伝子のレニンのDNAの解読に世界で最初に成功し、高血圧対策の患者への有効な治療薬の開発に貢献。牛の脳を何十万頭集めた、ものすごい研究で世界から称賛された。 筑波大学の10周年が、教祖100年祭と一致して、世界が喜ぶ研究を指導した。

1996年には日本学士院賞を授与され、研究業績は高く評価され、後進の指導も熱心だったと思います。 筑波大学の副学長として、同大学の世界的地位高めたことでしょう。

http://www.owaki.info/shiryo/murakami/tsuito.html

私の父の世代で、天理の国際シンポなどにも良く来られ、天理教外では「サムシング・グレート」という親神様の暗喩をつかって、生命の世界、遺伝子をオンにできるかというテーマで世間を魅了してこられました。 最後の講演は2012年の経営者向けの講演会でした。

 

人間の肉体、生命はすべて遺伝子の命令で新しい細胞が生まれ、古い細胞がどんどん死んでいく。人間の遺伝子は2003年にすべて解読され、英米の大統領、首相が共同会見して栄誉を讃えた。借り物の肉体の設計図はDNAで、微細のDNAに生命のカギがあるわけで、活動している遺伝子もあれば、眠っている遺伝子もある。人間の細胞は60兆個あるが、誰も数えた人はいない。遺伝子がどのように協働して働いて、生命活動が維持されているのか? ある遺伝子の働きで心臓ができ、肝臓ができ、目ができ・・・。 人間は大腸菌すら作ることはできない。  ゲノムの解析が進み、生命の神秘が解明されているようでも、実は何もわかっていないことが多い。誰が、設計図を書き込んだのか? 子供は両親の遺伝子を受けついで生まれる。人間の遺伝子はどこから来たのか、両親、祖父母を永遠にたどると、親なる神にたどり着くしかない。それをサムシング・グレートと呼んだ。

 信仰者の信じる真理からは、肉体は借り物であり、神様から肉体をお借りしている。日々生かされいてる。有難い。ありえないことが起きている、生かされいる尊い肉体である。 この単純ながら深遠な真理を目に見える科学者の立場から追求され、一般の人にも分かりやすく伝えた晩年でした。  ご冥福をお祈りします。

 

心と遺伝子研究会がその活動の舞台として発信されていました。「笑いが遺伝子を活性化させる」ことが吉本興業との共同研究で分かってきたらしい。心と肉体の関係について、さらなる研究が望まれます。

 

 

前回の本席様の御啓示である刻限のさしづに続いて、同じ夜に引き続き、以下のようなおさしづがありました。どちらも刻限話なので、神様の方から、積極的に理の仕込みがあったことがわかります。

 長い、ご啓示ですが、全文を以下に引用しました。

 

明治二十四年一月二十八日 夜九時
 刻限
さあ/\口説き掛ける/\。残念口説き/\、残念々々の中から道が付く。樂しんで聞いてくれ。口説き掛けたら、どういう事口説くやら分からん。さあ/\苦労の中でかくれたものを連れて出るで。細かに書き取れ。中にも話を聞いた者少ないから、一寸皆聞いてくれ。口説き掛けたら分かる。一寸聞いてくれ。
さあ/\残念で/\/\ならなんだ。神様が出さしゃった。苦労艱難で、退くに退かれん。何處へ出ようとて出られんから、放って置いてもと思うて、道の間はあちらへ出歩き、身代も無くし、どうしようにもこうしようにも、その時の残念、その理が残ってある。何處へどうしても頼み甲斐も無し。そこで先祖より傳わってある道具を賣り拂うた。それだけの事情今日だけ些かなもので。些かのものもならん日があった。その時そんな残念悔し、それ/\聞いてくれ。残念であった。これは一つ。今しんばしら、鍛冶屋々々々、七八年というはいつも/\厄介になった。その嬉しさは、どうでもこうでも忘れられん/\。よう/\の處、一寸隠れて居る。一つ残念々々、一つの品も植えを持って行かねばいかなんだ。その残念というは、残念々々々々々々々々、ウワ/\/\/\。年限経つは早いもの。程無うあちらへ隠れ、一代も過ぎ又一代、今は我が代、これだけ十分に成った。一つには切るに切られん残念の中、残念々々々々の理があった。残念の理程怖わいものは無いで。残念の理一代で行かにゃ二代、二代で行かにゃ三代、切るに切られんいんねん付けてある。これは退くに退かれん理によって。なれど神に切る神は無い。なれど切られる心はどうもならん。仇言にも捨言葉神は大嫌い。いんねん付き、身の處なってこそ。澄んで/\/\澄み切った理が世上の理、當然の理。仇言はすっきり嫌い。すっきり立て替え。神の事情年取れたもの、暑い寒いの事情要らん。よう/\の事情出しただけや。たゞ一人いんねんの事情から理を引いて生まれ出したる。それからようよう聞き取って貰いたい。すっきり誰どうしたと言うでない。めん/\も覚え無く、大患いしたというではない。不足重々、疑いたら/\、あれは心にしとるのやと言うて尋ねんから諭されん。なれど一人のいんねんを以て、大切の事情あるなれど、どうもならん。残念話、口説き話、今日はどうなりと出来る、どうなりと成る。又又の事情、それ/\の事情、そこまでは届こまい。よう事情聞き取って諭してくれるよう。

 

【釈義】 この「おさしづ」は初代真柱である中山新治郎(中山真之亮)の実家である梶本家を台にして、神様が見込んだ魂の因縁に関する普遍的な教示となっている。 梶本家は鍛冶屋をされていて、梶本惣治郎は教祖の娘である「おはる」さんと結婚され、その子供が中山家の跡を継ぐことになった。 惣治郎は仏の惣治郎と呼ばれて、心のきれいな人で、その魂の見込まれて、教祖は娘と惣治郎との縁談を許したといわれる(1853年、22歳で結婚)。 その惣治郎さんが、妻の「おはる」さんに何かのことで、切り口上、捨て言葉的な発言(仇言葉にも捨て言葉)をされた。そして、その言葉が災いして、なんと「おはる」さんは、夫の心通りに、明治5(1872)年に出直してしまう。

 そのあと添えとして、教祖の末女のこかんさんが、梶本家へ子供の面倒で行ってしまわれた。こかんさんは3年だけだと言われたが、長くいてしまい、妊娠もする中で、出直す。

 なお、妻に先立たれた惣治郎さんは、教祖が亡くなってまもない、明治20年5月には出直した。 

 

 初代真柱の実家の梶本家は、中山家の親族でその貧乏の中を支えたことは大きな功績である。「おはる」様の魂の洗い替えの事情が、上記のさしづの中にリアルに浮かびあがっている。それでも魂を洗い替えて、次にまた引き寄せて、神様の仕込みが続く。苦労の中で亡くなっても、それで終わりではない。また神様のもとに引き連れて、魂の掃除、魂の錬磨を続ける。すべてつとめの人衆を育ているための神様の遠大の計画の中になる。世界救済の道具として、魂の洗い替えは続くのである。 

 

  教祖が生きていた時代、周囲の方々のちょっとして埃の心使いが、とんでもないことになる現象が多発した。捨て言葉で人が死んだり、夫に不足して目が見えなくなるなどである。 地場屋敷が神屋敷へと変わり、人間心が許されない不思議な場所になっていたと思われる。これも生身の教祖がなす不思議な世界がそこにはあった。   

 

 村上道昭先生は、魂の生まれ変わりに関する解説をしながら、この苦労の中で隠れた者は秀司さんだと解釈している。以下を参照

 

 

またお春様の出直し、このおさしづを引用された研究として、以下を参照した。中田善亮表統領の馬鹿さ加減について最後のブログを残してから、投稿がなくっており、さらなる教理の学びに期待します。  

 

 

本席様の御啓示からの引用をします。

 

明治二十四年一月二十八日 夜八時半


 刻限(前おさしづに基づき中山會長へ御願い致しました處、會長は前川方は中山のある限りは粗末にはせんと仰せ下されました、前川方へ行き御話傳えました。)


  さあよく/\聞き分けるなら、一つの話をしよう。分かりてあるやろう。分かりてあるだけでは運ばん。前々以て一つ尋ね出る處、中山家のある間、一つも粗末にはせんというは、どういう處より出るか。この理を聞こう。神の方より聞こう。


 押して願
さあ/\洗い替えて速やか。日々の處からどういう理が出るとも分からん。 さあさあ直ぐと/\話して、親族の理を以て放って置けんというは、どれから出たか。このやしきでは親族の理では、世上救ける事が出来ん。苦労艱難の道を通り来て理を聞くなら、一つの道も通そう。限り無き處まで盡そうというは、どういう理であるか。中山家の續くまで救けるというは、親族の理であろう。三十年以前の理を聞き分けるなら、何も分からんやない。残念の道も通りて来たわい。何でも彼でも足場が無くば付けられん。 ・・・・」

 

 当時の真柱(中山会長)が、「前川家は中山家がある限り、助けていく」というお話を申し上げたところ、逆に神様から中山家とか「親族の理」そのものを否定する問いかけがありました。 「神より聞こう」というように、神様がかなり厳しく、問い返している珍しい言葉です。 

 

  神様は一列に人間の魂を守っていて、特定の家に依怙贔屓することはないです。 ただ、救済の道具として、その土台に引き寄せる人たちが最初にいることも事実です。   

  教祖は中山家の人であり、教祖のご実家は前川家である。 その教祖は家という集まりをどのように考えておられたのか? 中山家には家柄として、一家断絶の悪因縁があり、信仰をしないといずれ、中山家は子孫が続かないという末路を迎えることが教えられた。

 夫の善兵衛さんも庄屋の名主であり、財産も地位もあったが、中山家はいずれ滅びると妻から言われて、何をバカなことをと思っただろう。  

 その中山家を救うというより、己の足元を掃除するために、中山家のためだけではなく、人類が続くモデルの家柄つくりを実践した。 それが、逆説としての貧のどん底へ道であり、中山家の先祖伝来の財産が売却されていった。  

  中山家を神の屋敷として建て替えることが、教祖の目的であり、人間心の掃除が是非とも必要であった。  どうしても仕込まねばならない魂の人たちがいて、神様の元に呼び寄せられ、魂の錬磨がかかってくる。 苦労としての身上・事情の仕込みが幾重にもかかる。そうして魂を磨いた人間を集めて、つとめをする。そのつとめが世界を助けるつとめとなる。  

 当時の真柱も元々は梶本家の人であり、婿養子の形で、中山家の人となった。 真柱の妻は、教祖の唯一の孫である「たまへ」様であり、つとめの急き込みと関係の深い魂であった。 教祖が期待したこかんさん、秀司さん、その妻のまつえさんも教祖より先に出直す。教祖のもとには、直系の親族は、たまへさんだけであった。

  中山家が大切であっても、中山家中心の親族体制でこの道を広げるという理はどこにもない。 あくまでも、つとめの人衆となる魂に縁のある人間を寄せて、仕込みたいというところに焦点がある。 そこには中山家だけではなく、飯降家、山澤家、山中家、増野家、清水家、・・・などいろいろな人たち、魂が見込まれた人たちに期待がかかるのである。  「洗い替えて」という言葉の中に魂をきれいにさせて、道具として使いたい神様の思惑がにじみでています。    

 

  数多くの宗教や信条、思想がある中で、なぜ天理教という1つの独自な教えが生まれたのか。それはすべて、天理教とよばれる宗教の教祖である中山みき様における天啓・啓示があり、神様の教えを自ら宗教者として実践した50年間の歩みが残されたことに由来する。その人生は人類が生きるべき大きな指針を50年間のモデルとして残されたことである。その教えは人類の救済を求めたものであり、一戸の中山家の繁栄を求めたものではなかった。

 救済の真理は、端的に「かしもの・かりものの理」という第一の教理である。人間は自分の力で生きていると思い込んでいるが、そうなのではなく、人間の肉体は神様が与えて下さっている。その肉体を人間はお借りしているという根源的な教示である。死んだ人のこと、病気になった時のこと、今のコロナ禍でもそうだが、何か身体の不自由を感じること、これらすべて、肉体は自分の思い通りにはならないことを明かしている。健康で、衣食住に満ち足りて、頭がよくて、明るく、健康でいられるなら、別に神様など知らなくても、無神論でも生きていけるのが世の常である。しかし、そのような人間でも、いついかなることがあるか知れない。一夜の間にも事態が急変することは、世の中によくあることで、津波や巨大地震などの激甚災害が頻発する日本の大地は安定したものではないことは誰でも知っている。

  かしもの・かりもの理を治めることが信仰の第一である。 これは人の強要できない教えであり、自覚して自分でそうだと思った時に神様とその人との間に信頼関係が生まれる。  いずれ全人類がしらねばならない究極の真理である。  

 

  まずは、生きていること、生かされていることの尊さ、神恩感謝の念が信仰心の根源に来る。 仏教や神道でも同じことを教えている。

 健康な生きていることがどれほど、ありがたく、もったいないことか。かしもの・かりもの理を土台として日々の心使い中で治めることが第一であることを、教祖(おやさま)が教えられた。

 「かしもの・かりもの理」を教えるために、教祖は自ら体験して、神様からの直接啓示を受けて、当初の前半生を生きた。かしもの・かりものの理のありがたさを自ら体験し、実践した。貧のドン底の中で、財産や地位などの外見に幸福の元があるのではなく、最低限の資源の中でも健康で生きていけること自体が、神様からの与えてであり、ありがたいことだと自ら実践して生きた。

  「水を飲めば水の味がする」と。  

 不思議な助け、奇跡、目覚ましい対外的な救済活動やそれに伴う迫害弾圧が後半の人生で起きるが、前半生は貧のどん底に向かい、ただただ生きていくことの有難さを実践した日々であった。それは内面的、魂の次元では、魂の磨き、魂の錬磨の時代である。中山家に伝わる悪因縁(一家断絶の因縁)の掃除をされた。まずは足元の掃除、屋敷の掃除をされたのである。 救済の土台つくりの時代であり、外からは見たら貧乏神に取りつかれたとか、気違いの行いに見えた時代である。 親戚一同からも見離された時代である。   

 夫の善兵衛さんは、その貧のどん底の中で嘉永6年(1953)年に亡くなった。また貧しい家計を何とか工面した息子の秀司さんも、明治14年(1881)に出直す。

 教祖の心は、低い優しい素直な心、誠の心。いかなる困難の中でもくじけない強い心。もともと人類の母親の魂の持ち主であり、人類救済の強い信仰信念で生きられたことは確かである。

 

 信徒ができるようになった時のお話は以下である。 我さえよければ、今さえよけれの心使いを戒められた。 かりものの理をわきまえず、あらゆる人間心を使う癖の心を直すことを信仰の眼目としていつも教えられた。 癖の心が人を苦しめ、己の罪つくりを生む。  時間に間に合わないと、人の自由を縛るとして、時間を守ることを教えられた。 コミュニケーションでも、人から問われたすぐに「ハイ」と答えなさいと。人にいやな印象を与えてはいけないと。 自分を立てずに、人を立てなさいと。  これらかんたんなようで、実践することは大変難しい。そこで、日々の信心の錬磨が必要となる。   

 

  そして、人類が目的とすべき甘露台世界の在り方が理想として示された。これについては、また次回に。   

 

  

 

 

天理教の歴史は、教祖の50年の天啓、そして本席様の20年間にわたる合計70年の天啓による指導精神によって、発展してきたことは周知の史実である。明治40年に本席様が出直された時の、天理教内の失望感は今では想像することもできないものであった。

 その中から天啓の再来の期待が他宗教との比較の中から、盛んに意識の高い信徒たちによって、考察されたことも事実である。  今では地場に天啓は無いのが当たり前で常識となっている。そして、あったとしたら、それは即異端だという断定のもとに、教会中心の天理教として人間一条も多分に加味されて展開してきました。

 

 『奈良糸様がいただかれたるおさしづ解釈』(昭和2年)には、天啓の再来を期待して、天啓に対する態度を以下のように3つの区分している。 以下の、それぞれについて、及ばすながら、私の解釈から解説してみたい。 

 

1.天啓断絶説

2.天啓中絶説

3.天啓継続説

 

 それぞれについて論じたうえで、3の継続説に期待を込めている記述であった。  

1は、現在の天理教団の立場を維持する説で、教祖・本席の天啓で十分であり、それを研究することで新し理の思案ができるという立場だ。

とはいっても、本席様の『おさしづ』すら軽く受け取られて、十分研究されていない。一般の教会長で『おさしづ』を根ほり葉ほり研究されている方は少数派であろう。教える体制自体もなく、教会の本棚でほこりをかぶっているのが落ちだろう。

 

2は、一次的に天啓が消えても、再度その火が再点火するという立場である。本席様の遺言の『百日さしづ』は10年先のことを見据えてくだされたものだ。10年間天啓がなくとも、それを埋め合わせるために、神様が本席様を使い切って、刻限話が続いた。2日間本席様が飲まず、食わずだった時もあった。本席様の命を燃やした遺言である。 今後10年間は途絶えるが、その先のは次なる天啓者の成長してくることが期待されていたのである。  この問題は、天理教では全く議論されていないのが不思議である。  

 

3は、継続するか否か、教祖や本席様は自ら何と語っているのか。 教祖は自分が亡くなった後のために、本席様が自らの最大の後継者として天啓を継承されることを期待したことは明らかである。 秀司さんも、こかんさんも先に出直された。 同じ中山家の子供たちは期待に応えられなかったひな形を残された。 中山家ではない、飯降家がなかったら、本当にこの道は途切れていただろう。 それほど、伊蔵さんが天啓を継がれたことは、偉大な史実であった。  

 

 その本席様は、理の継承について、明治40年3月22日の刻限話で、明らかにつなぎが必要なことを明かしている。 しかし、特定の人物を明言せず、「一本の木」として、ある特定の人物が予告されていた。 しかし、神殿普請の材木だと受け取られたことに、誤解が生じた。  

 いずにしても、つなぎに関する、刻限話を教会本部が隠ぺいしなかったことは、希望が持てます。 公刊されたからこそ、私にも読めるのはありがたいことです。  

 

 「大工の人(にん)」という比喩も、歴史上の本席様だけの意味ではないでしょう。  

 みかぐら歌の12下り目は、実は天啓継承を明々白々に語っていて、道の将来のビジョンを歌っていると思われます。 これについてはいつか別項で述べます。  

  

 10年間の間に次なる天啓者が生まれたのか否か。 ここに旧長(きゅうちょう)さんこと、北分教会の旧会長であった、本部員にもなった茨木基敬さんが本格的な理の継承者であったのか否か。その史実を研究しなければなりません。  

 

 本席様があと5年長生きされ、教祖の115歳と一致して、すんなり次の本格的な天啓者にバトンタッチできかもしれません。 ピンチヒッター的だった本席様の御用はそれでも尊いものです。その理の研究が俟たれます。  

 

参考文献

 『奈良糸様のいただかれたるおさしづ解釈』(昭和2年)の「第7章 天啓継続の有無について」(254頁)

 

 

 

  

『天理教資料研究』(宇野晴義、昭和48年)によれば、以下のような記述がある。

 

本席様は「神が入り込めば、神や、神が去れば人間である」とお聞かせ頂ているが、真柱(本部長)も同じ理であると拝する。

現在真柱様がおさづけ並に教会事情のお運びをお勤めくだされるについては、取次人衆(言上)は常に真柱様の代理として、

神なる真柱様にお願いして、願人(満席者、教会事情人)におさしづ下されるのである。

 

これは昭和47年頃に宇野本部員が『おさしづ』改修版の増補の筆跡鑑定をされている頃に書かれたもので、当時の真柱は、中山善衛様である。今の真柱様である中山善司様の御尊父である。

 教会本部の中枢で、救済の技法である「おさづけ」を真柱様が渡されている原事実を上記のように理解しているが、「神なる真柱」という表現には、無理があることは否めない。

 

 本席様の御在世の時は、真柱様(本部長)から本席様にあらゆることがお願いされて、真柱様が願人である。その願人の代理として、代願する方がいて、書き取りの方がいて、付き人がいて、合計3名が神と願人の間を取次人衆となっていた。

 

 本席様亡きあと、上田奈良糸様がおさづけの理を渡す神意を継承されていたことは間違いない。しかし、大正7年に上田奈良糸様に事情が起きて、渡せなくなった時、本部員会議で、御母堂(中山たまへ)様が「おさづけの理」を渡すことが決められた。

 そして、中山正善(二代)ー中山善衛(三代)ー中山善司(四代)と代々の真柱が、神なる真柱として「おさづけの理」を渡すことが続いてきた。 今の青年会長、中山大亮氏は時期真柱後継者とされる。  

 

 

 では、果たして、真柱は本当に「神なる真柱」と言えるのか。これは本部員会議で決められことで、世俗化の根源はここに由来しているとしか判断できないと思われます。

 

 

 二代真柱様は、そのお出直し(1967年11月14日)まで、「おさづけの理」を渡し続けただろう。三代真柱は、途中で引退して、「おさづけの理」は四代真柱となった善司様が後継された。真柱の理の重みが次第に軽くなり、「おさづけの理」の後継が世俗リーダーが渡すことが常態化して100年たった。今の真柱様は、数年前に倒られ、半身不随と聞かせていただく。 

 

 

 真柱様が「神なる真柱」の役割を担っていることに、大いなる自己矛盾があり、世俗教団の世俗化が維持され、この道が発展しない構造的矛盾を孕んでいます。 

 

 

 天理教という巨大な新宗教の教団トップである真柱様は、教団内ではもちろん尊敬され、誰もがその声を頼りに、指導を仰いできた。

 四代目は三代目から真柱の理を継承してこられたが、それは本当に喜びの仕事としてこられたなら、倒れることもおありにならなかっただろう。ご自分の前生が何かを知り、今の立場にたてたことを真から喜べたら、事情は解決するに違いないが・・・。  そうしたことを諭せるのは、存命の教祖だけである。 

      

 

  諭達には東大出身の頭のいい方によって教義の面で立派がことが書かれています。しかし、それは刻限話とは違うことは理の上から明確です。  おさづけやおたすけの前に、理の仕込みが全く欠けてしまっていることに誰もが自覚しはじめているでしょう。 片だよりの中、迷走が続き、教義の教条化、時代遅れの体制維持に堕してしまっているかも知れません。 

 

真柱様に諭せるのは神様だけです。善兵衛さんが月日の社を受入れ、真之亮さんが本席様から諭されたように。この道の根本構造は、「裏は鍛冶屋に表は大工」。この2本柱の構造が神人一体の天の組織づくりを構成します。おさしづ役を失った地場の悲劇が一日も早く終わりますように。人類に責任ある地場の復興を目指します。

 

 

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 教祖の直弟子である桝井伊三郎(1850-1910)さんは、教理に明るい人で、本席様の刻限の御用に側でも務めた人で有名です。明治43年6月に61歳で出直されています。 この方の四男?に桝井孝四郎(1894-1968)さんがいて、「おさしづ」の編集に関わった方がいます。「おさしづ」の研究家でもあります。この方の父母の時代が教祖の肉声にふれた世代で、教祖と対面された方々の話をたくさん集めていました。

 

 その桝井孝四郎著『みちの秋』(道友社、1937年)でおさしづの編集出版に関わる思い出を書いている。この書籍の中で、教祖のことも実は書かれていて、あまり知られていない史実も記載されているので、紹介します。

 

 桝井孝四郎 著『みちの秋』,天理教道友社,1937.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1873645 (参照 2026-02-17)

 

 教祖の肉体を利用して、神様が話をされる現象があり、これは刻限と言われている。天保9年から、亡くなるまで何度も繰り返しあった神秘的な現象である。神がかりの時は、普通に話しているときとは明らかに異なる音量、音質で、中山みきとは別の人格の者が語っていることを周囲に納得させるための現象であった。  

 本席様の時代は、筆取りの制度があり、筆記されたものが「おさしづ」と呼ばれて膨大に残された啓示録であり、分量的には、教祖時代よりはるかに多い。 教祖の音声による刻限話は、ほとんど筆記もされず、周囲の人たちの記憶に残されるだけで、どこまで正確に記憶されれているかは実は曖昧であり、口伝とかで言い伝えられている。 

 

 孝四郎が母から聞いた話として、以下のものを紹介する。

 

 「御教祖様は上段の間で御休みになって居られる。皆の者はその下の方で、寝まして貰ってゐる。

  静かにしてゐないといけないと云ふので、恐れ言ったことであるが、中には寝てゐながら、聴かして貰ってゐるものもあった」(p.38-39)

 

このように聞き流しのままで勿体ないことだが、教祖が寝ている最中に刻限話があったということである。熱心な信徒たちは、教祖の近くで寝ていたこともリアルに伝わってくる話である。

 

 また天啓があったのは教祖や本席様だけでなく、教祖の末女の小寒様も同様な状態だったという。古い高弟たちの間では、「若い神様」「若神様」と呼ばれていたという(p.39)。

 

 また長男の秀司が亡くった通夜の晩に、教祖の肉体を通じて、秀司先生とさらにそれ以前に亡くなった三女のお春様が、語ったこともあったという(p.40-41)。 これは教祖の肉体を神様が借りて、秀司さんや、お春さんが話したという霊媒的な現象である。  お二人の語った内容は以下である。

 

 お春さん「子供がみな帰ってゐるよって、ちょっと私も帰って来ました。」

 

 秀司さん「私は今でも上を思ひ、世界を思ひ村方を思ひして神様の仰る事を止めて来た。どうぞこれから、之を雛型として神様の云う事を守ってくれ。私はこんなになりました。」
 

 秀司さんは、教祖の云うことをもっとも一番聞いて従わねばならなかった人だが、その神様に素直になれず、出直されたことを教訓として欲しいと。秀司さんはまさに真柱的な役割を担った方です。 これは、今の真柱様にも同様に相当する教訓ではないでしょうか。教祖のの周りには多くのマイナスの雛型もあり、それは教訓的に今にも生きる史実です。これらも神様の周到な運びの中から生まれた教訓です。

 

 ご参考までに書いておきます。  

 

今ではデジタルでも見れます。

 

 

 

 

 


 

 

 

鹿野政直(かのう・まさなお)著の『明治維新につくした人』(昭和41年)で、中山みきを取り上げています。明治維新は政治上の一大激変期で、通常は政治家や政治指導者が取り上げられますが、

吉田松陰 ・ 高杉晋作 ・ 坂本竜馬 ・ 中山みき ・ 大久保利通 の5人の中に一人だけ宗教者として取り上げられていました。 早稲田大学で明治期の思想の研究者のようです。参考までに、サイトを掲載します。

 

 

 

政治体制という外形上の大変革期は歴史的にも表面化するので、誰にでもわかりやすいですが、目に見えない精神世界の大激変が、中山みきとう宗教者を通じて世界の歴史が大変革されたという視点が本当は必要です。

 明治維新どころから、グローバル・ヒストリー、宇宙の歴史の大分岐点としての教祖による天啓の開始という視点が、将来歴史家によって記述されねばなりません。