<2021.5.22>
 
つい4日前の5月18日に参拝した神社で、「戸隠へ、天岩戸を開いてから参れ」とのご神託を受け取ってから、あれよあれよと状況が整い、気がついたら出発してました。
 
そして、戸隠へGO! と言わんばかりのお役目が舞い込んだと申しましたが、それは新潟県の長岡市にある『長興寺』に立ち寄ることでした。
 
 
①なぜ立ち寄ることになったのか?

 

そしてそれは

②なぜ”戸隠へGO! と言わんばかり”なのか?

 

二つの視点で書きたいと思います。

 

 

 

  なぜ『長興寺』に立ち寄ることになったのか?

 

まずはじめに、

①なぜ『長興寺』に立ち寄ることになったのか? ですが、

 

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一番に考えたのは『戸隠』へ向かうルートでした。

 

 

私たちの住んでいる地域から長野県の『戸隠神社』に向かうには、大きく2つのルートがあり、その分岐点となるのが新潟県の長岡市です。

 

R8の日本海側を南下し、上越市から長野方面へ向かうルートと、もう一つは、R291・117と進み山間部を通り抜けて長野方面へ向かうルートです。

 

 

いつもならば、間違いなく交通の便も良い前者のルートを選択しているのですが、今回は後者のルートを選択することにしたのです。

 

それはなぜかと言うと、日帰りで行って帰るには少し距離があるので、どこかで一泊するとして、後者ルートには丁度いい場所に温泉があったから!

 

今振り返っても、まだこの頃は旅行気分でしたね~

 

 

そしてもう一つ。

 

「R117を通りたかったから」という謎の理由です笑

 

それは前年2020年に行った伊勢神宮からの帰り道、

 

 

長野市の善光寺を後に帰路についたわけですが、

 

 

その時もルートの分岐点に差し掛かり、当然のように交通の便のいいR8へ向かう道を選択しました。と言うか、山道のR117は主人に却下されたのですけどね。。。

 

なぜ私がR117にそんなにもこだわるかと言うと、

 

『117』は数霊で

”イザナミ” なんです!

 

なんとな~く、R117を通ったら、イザナミからメッセージでもくるかな?なんてミーハーな考えなものですから照れ
 

 

まぁ、主人の方が道路事情には明るいので、その時は主人に従ったのですが、今回は二人ともR117を自然に選べたんですね。

 

そんなこんなで、どちらのルートにせよ、長岡市は通過点になるわけです。

 

そこで、思い出したのが、山本五十六のお墓です。

 

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長岡市にある『長興寺』に山本五十六が眠っているのです。せっかく長岡を通るのだから、お墓参りでもしていこうか!と。

 

『戸隠』へ行くことと、その前に『長興寺』に寄ることを、出発前日の5月21日にX氏に連絡しました。

 

 

すると!!

「ぜひそうしてください」というお返事と共に、

 

思いもよらぬ内容が送られてきたのです。

 

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  なぜ”戸隠へGO!と言わんばかり”なのか?

 

②なぜ”戸隠へGO!と言わんばかり”なのか?

 

 

きっかけは、俳優の田村正和さんの訃報を目にしたことでした。2021年5月18日に一斉に報じていましたが、私たちが報道を知ったのは5月19日のことでした。

 

 

報道によれば、お亡くなりになったのは2021年4月3日で、享年77歳でした。

 

『77』というのはここでは詳細を控えますが、簡単に言うと大宇宙のシステムがあり、『81』しかり、『77』も重要な動きの中にあるのです。

 

『2020.4.16 高野山③77がポイント』嘘みたいな本当の話しで、語呂合わせもよく使います。 そしてなぜ『77年』が大事なのか?どこから引っ張り出してきた数なのかと言うと、  1945年(昭和20…リンクameblo.jp

 

とは言え、77歳でお亡くなりになる方は他にも大勢いらっしゃいますので、皆が皆、キーパーソンかと言うとそうではないのですが、

 

田村さんをきっかけにしたのには訳があります。

 

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それは、田村正和さんが4月3日にお亡くなりになり、その四十九日というのが、2021年5月21日になるわけなのですが、

 

 

『5月21日』という日付が私たちに教えてくれるのは、『1943年5月21日』のこと。

 

 

この日がどんな日かと言うと、大本営が山本五十六の戦死を発表した日です。

 

山本五十六は、第26代、27代連合艦隊司令長官を務め、ソロモン諸島のブーゲンビル島上空で、1943年4月18日に戦死しています。

 

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私たちは縁あって、山本五十六をきっかけに動いておりましたので、

 

 

田村正和さんから派生したこのメッセージと、その他にも私たちが関わる複数の事象が同じ日付を指していたことから、『5月21日』に動くよう段取りを進めたわけです。

 

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ここで一旦、時系列を整理しますね!

 

<2021年5月18日>

*黒川・春日神社参拝後、

「天の岩戸を開いてから参れ」

「戸隠」とのメッセージを受け取る。

 

*5月23日(日)が戸隠神社の式年大祭

「還御の儀」だと知り、

行くことを決めた。

 

*X氏に週末(22、23日)に

戸隠へ行くと連絡。

 

<2021年5月19日>

*田村正和さんの訃報を知る。

 

<2021年5月21日>

*改めてX氏に、翌22日に

戸隠へ向けて出発するとともに、

長岡の長興寺、及び山本五十六記念館にも

立ち寄る旨を連絡。

 

*X氏より、

「そうしてください」と返事あり、

と同時に、田村さんの訃報から、

「5月21日」が重要な日だと知る。

 

<2021年5月22日>

*長興寺へ向けて出発!

 

今ココ笑

 

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これはもう、5月21日に長興寺に行くしかない!!じゃないですか!!

 

そしてその延長線上にあるのが『戸隠神社』とくれば!お役目も相まって、戸隠への道が開けたものと受け取りますよね~

 

 

ただ、そう簡単にぴったりの日付では動けないこともありますから、その辺は柔軟に^^曖昧さや遊びを持たせてくれるのが宇宙なんですよね~

 

というわけで、まずは1日遅れにはなりますが、5月22日に長岡の長興寺にて山本五十六のお墓参りをすることができました。

 

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残念ながら、山本五十六記念館は、新型コロナウィルス感染者急増の「特別警報」発令を受け、臨時休館でしたので、中に入ることはできませんでした。

 

が、

これは後で知ることになるのですが、これでよかったのです。

 

覚えていたら後のブログに書きますが、行けなかったということにも意味があったのでした~

 

 

こちらはおまけ!

 

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長興寺から記念館への道すがら見かけたナンバー

 

「1025」は10月25日として、

 

1944年(昭和19年)10月25日

神風特攻隊初出撃です。

 

 

歴史に学びます。

 

 『【まとめ】神社仏閣のまとめ』2020年より始めました”お役目”に関する、神社仏閣への参拝記事もたまってきましたので、こちらに纏めました。 よろしければご覧くださいませ。 『【まとめ】高…リンクameblo.jp


 

 

 

 

 

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