仕事を辞めて、
以前よりあきらかに時間ができたのですが‥
よく眠ったり、
自転車で氏神様巡りしたり、
農作業の猫の手になったり、
家族と久々にNHKを見たり、
(テレビは2020年に壊れて以降、ほぼ見ていなかった)
大好きな曲を口ずんでみたり‥
そんなことやっては、のんびり。
ブログにいたっては、
“まぁ書けるときに”
って、放置してました。
夏至を越えて、
わたしにとって(もしかしたら、みんなにとっても)
境目と転換点
を感じ、もっと表現していこうと思ったわたし。
できるだけ、インスピレーションを鮮魚だと思って
やっていけたらと思ったのです。
Instagramとの連携を模索中してるのは、情報を拡散したいわけじゃなくて、
伝えたいことを伝わるテーマとツールで、もっと瞬発的に伝えたい
と思ったから。
ブログもまだまだ読みづらいところもあるかと思いますが、
これからも、よろしくお願いいたします。
さて、関東を去るひと月前の春のとある日。
長南華香先生の
「神様リーディングセッション」にて、
ふたつのミッションをいただきました。
ひとつめは、関東を去る前に東京大神宮へ参ること。
これは、無事完了。
そして、ふたつめは、
夏至の日に、籠神社・眞名井神社(元伊勢)へ参ること
これまで、何度か華香先生のセッションを受けてきたわたしですが、こんなにピンポイントな内容を伝えられるとは、ちょっとびっくりでした。
「京ちゃんは、今、人生の転換期だから」
自分でも納得。
超安定の公務員を辞めて、超フリーになろうとしていたんだから。
そして、なんと見事、夏至の日は仕事も(自分で調整したわけじゃないのに)かぶらないスケジュールで。
さらに、夏至の前日も本来は仕事のはずが、するりとなくなって。こちらも、なんの意図もなく。
これによって、わたしは夏至の前日から元伊勢に向かえることになり、準備は万端でした。
“これは、お導きやもしれない”
そう感じていたわたし。
そして、出発の3日前。
予期せぬ出来事が起こりました。
突然、関東で共に職務に励んだ親友の訃報が届きました。
わたしは、
現実なのか、なんなのか、よくわからないまま、
親族の方と連絡を取り‥
そして、
家族の前で大泣きして、
しばらく、ぼーっとしていました。
ゴールデンウィークに遊びに行ったときも、美味しいものを食べながら、夜遅くまでおしゃべりをして。
仕事のこと、恋愛のこと、家族のこと、
近況報告はなんでも話せる彼女で。
彼女しか知らないひみつもあったくらい。
彼女とはよく甘いものを食べながら、おしゃべりをして。
仕事帰りに、女子高生か!ってくらい長々とミスドでおしゃべりしていることもあった。
仕事に追われてお茶できないときは、駅まで一緒に歩きながらおしゃべりして、違う方面だから改札前で立ち話をしたり‥
そして彼女は、わたしが一大決心をしたUターンを、さみしく思いつつも、応援して見送ってくれた。
「ずっと友達でいてね」
いい大人が言うにはちょっと恥ずかしい台詞だって、素直に言える間柄だった。
最後には、卒業式かのように記念写真を写真立てに入れて、プレゼントしてくれた。
計画していた京都への一人旅は、彼女の訃報が届いたときにはすでに、諸々のキャンセル料は発生してしまう日付となっていた。
どうしたものか‥
と、思った。
でも、わたしは、行くことにした。
わたしが一人旅をするときには、写真を送ったり、連絡を取ったり、わたしの一人旅に付き合ってくれる彼女だったから。
空にいる彼女に、わたしの一時停止していた気持ちが伝わってしまっていたのか、
“行くのをやめるなんて、しないでね”
と、ふわっと言われた気がした。
一人旅が好きなわたしの帰りとお土産話を、いつも楽しみに待っていてくれた彼女。
行こう。
もしかしたら、彼女の魂と共に、旅をすることができるかもしれないから。
もちろんこれは、ただの自己解釈・自己完結かもしれない。
そんなの、わかってる。
でも、今は本当にそう感じたから、行こう。
たまたま、葬儀の日は、旅程の最終日だった。
“なんでここまで、日取りが揃っているんだろう‥”
とさえ、思ってしまった。
わたしは、最終日に京都から東京へ新幹線で向かい、彼女の葬儀に(ご家族のご意向で収骨までも)参加させていただくこととなった。
喪服をスーツケースにつめるのは、正直前向きにはなれなかったけれど、
わたしのミッションを、彼女はわかっていてくれるような、
そんな自分勝手かもしれない想いもいっしょにつめこんで、
京都へ旅立つ決心をした。
わたしのミッションと、彼女を弔う旅。
そのふたつは、重なり合っているようだった。
偶然、だった。
昨年のいつの日か、
二人でよく行った喫茶店でパンケーキを頬張りながら、
“わたしたち、人生のターニングポイントがきてるんだね!”
と、これからの未来の抱負にときめきながら、お互いのここまでの頑張りを労った。
去年、わたしたちは、ちょうどうさぎ年の年女だった。
七の倍数の転換期の年齢でもあり、東洋医学からみても、チャクラからみても、次の段階へと移行するときだった。
まさに、わたしたちの、“過渡期”だった。
そんな彼女とは、出会った当初も意気投合するのは簡単だったし、ピュアで聡明、聞き上手な彼女に、わたしはすぐに素直になれた。
仕事はこまやかで真面目。心から信頼していた。
そんな彼女を、
“失った”
と言葉にするのは、どうなのか。
だって、きっと、心で、魂で、
もっともっと深くて広い宇宙みたいところで、
わたしたちは繋がっているって、わかってる。
そう、わかってるのに。
悲しくて、さみしくて、つらかった。
でも、彼女に語りかければ、ふっと返事がくるような、そんな不思議な数日間を、わたしは過ごした。
京都の旅行中も、どこかで、同じ景色を見ているような気さえした。
“どうして‥”
が、なかったわけじゃない。
でも、今は、そんなことよりも、
わたしが、“今を、生きている”という実感で、
人と接したり、一歩一歩着実に踏み出すことのほうが、
ずっとずっと大事に感じた。
彼女には‥
過去のどこかで、出会ってた。
それは、もうずっとわかっていたと思う。
でも、いつ出会ってたかは、わからない。
でも、わからなくてもいいよなって思った。
100年前でも、1000年前でも‥
“また、絶対、会おうね”
祈るように伝えた、別れの日。
もしもわたしに翼があれば
願う度に悲しみに暮れた
さよなら 100年先でまた会いましょう
心配しないで
彼女を弔う想いを込めて、わたしは祈り続ける。