「私が弟を虐待しているって一回しか会ったことがないのに」三宅雪子さんからうちあけられた悩みである | 知的障害者と親ときょうだい児約3千万人とそれを知らない人のために

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私はその意味をすぐに理解できなかった

「福祉と私」を読んでいたので

三宅雪子さんが弟を虐待するはずもなく

1回しか会っていないとはどうゆうことか

毎日あっているではないか

 

この言葉の意味を理解できるようになったのは

彼女の死後である

 

これは

アメリカ精神医学会の新診断基準と関りがあるので

公けにしたいと思う

 

彼女の言葉の意味は

「姉の私が親代わりになって弟の面倒をみているのに

一回しか私と弟が一緒にいる場面に遭遇したことのない人に

私が弟を虐待していると非難されて困っている」という意味だ

 

 

三宅雪子さんからうちあけられた悩みは

間違いなくそうゆうものだった

 

彼女は母親が身体障害者となる前から

弟の保護者兼姉であり

母親である役割を期待されていたらしい

 

「きょうだいはそれぞれの道を」とゆうのが

親が主体となっている

全国手をつなぐ育成会連合会の方針でもあるが

 

彼女は親代わりの役割を引き受けていたらしい。

 

実際にアメリカのような制度がないために

親代わりを強いられているきょうだいは多いだろう。

しかし

それは家族としても本来あるべき姿ではない。(続く)