が
私はその意味をすぐに理解できなかった
「福祉と私」を読んでいたので
三宅雪子さんが弟を虐待するはずもなく
1回しか会っていないとはどうゆうことか
毎日あっているではないか
この言葉の意味を理解できるようになったのは
彼女の死後である
これは
アメリカ精神医学会の新診断基準と関りがあるので
公けにしたいと思う
彼女の言葉の意味は
「姉の私が親代わりになって弟の面倒をみているのに
一回しか私と弟が一緒にいる場面に遭遇したことのない人に
私が弟を虐待していると非難されて困っている」という意味だ
三宅雪子さんからうちあけられた悩みは
間違いなくそうゆうものだった
彼女は母親が身体障害者となる前から
弟の保護者兼姉であり
母親である役割を期待されていたらしい
「きょうだいはそれぞれの道を」とゆうのが
親が主体となっている
全国手をつなぐ育成会連合会の方針でもあるが
彼女は親代わりの役割を引き受けていたらしい。
実際にアメリカのような制度がないために
親代わりを強いられているきょうだいは多いだろう。
しかし
それは家族としても本来あるべき姿ではない。(続く)