長年親しまれる名作を、従来の解釈に捉われず、本来戯曲が語り掛けていることを丁寧に紐解き、現代に蘇らせるショーン・ホームズ。2022年『セールスマンの死』で数々の受賞を得た段田安則と再びタッグを組んでの舞台。
愛を取り繕った甘言
言葉にできぬ真心
真偽の選択を間違えた王は、狂気の中、王国を彷徨い…。
生来の気性の荒さと老いから、娘たちの腹の底を見抜けず、悲嘆と狂乱の内に哀れな最期を遂げる「リア王」に挑みます。
「リア王」は、「ハムレット」「オセロー」「マクベス」と並ぶ、ウィリアム・シェイクスピアによる四大悲劇の1つです。
ごく簡単にあらすじを。
ブリテンを治める高齢のリア王(段田安則)は退位することを決め、3人の娘たちに国を分割して分け与えることにする。そしてリア王は、娘たちの中で自分への愛情が最も深い者から順番に領土を与えていくことを考え、彼女たちを試す。
長女ゴネリル(江口のりこ)と次女リーガン(田畑智子)は、言葉巧みに美辞麗句を並べてリア王を喜ばせるが、末娘のコーディリア(上白石萌歌)は、父への感謝の気持ちを述べたのみで、姉たちのようにお世辞を言わなかった。リア王は実直な物言いをするコーディリアに腹を立てて勘当し、姉2人のみに領土を譲り、コーディリアの素直な心に感心したフランス王(秋元龍太朗)は、王妃としてコーディリアを迎え入れる。
こうして退位したリア王だったが、ゴネリルとリーガンは領土を譲り受けるやいなや本性を現して父を疎んじるようになった。そして、権力を失ったリア王は荒野をさまようことになり果てる。
その後リア王は、フランス王妃となっていた末娘のコーディリアの助けを借りて、ゴネリルとリーガンに戦いを挑むも敗北し、捕らえられたコーディリアは殺されてしまう。リア王はコーディリアの遺体を抱きながら、狂乱。悲嘆のうちにリア王も息を引き取った。
一方、リア王の廷臣グロスター伯爵(浅野和之)の嫡子エドガー(小池徹平)は、グロスター伯爵の私生児&異母弟エドマンド(玉置玲央)の悪だくみによって父から勘当され、追われる身に。
エドモンドは父の財産を受け継ぐ資格を得て
エドガーはトムというキチガイに変装し、荒野に身を隠す。
嫡子のエドガーを追い払ったエドモンドは、もっと高い地位を目指してリア王の娘ゴネリルとリーガンを誘惑して取り入り、
さらには「リア王を助けるために父がフランス軍と通じている」という密告をして、父グロスター伯爵まで陥れる。
グロスター伯爵は、リア王の次女リーガンの娘婿コーンウォール伯爵(入野自由)に捕らえられて両目をえぐられる。
その残虐な行為に怒った召使はコーンウォール伯爵を切りつけ、コーンウォールは落命する。
ゴネリルとリーガンも互いを殺し合う。
きちがいに変装したエドガーは、盲目の父グロスター伯爵の手を引いて荒野をさまよい、フランス軍が上陸したドーヴァーまでの道を歩む。しかし、リア王の悲しい運命を目の当たりにして廷臣グロスター伯爵は嘆きつつ息絶える。
という感じで、登場人物ほとんどが死んでしまい、とてもやり切れない気持ちになります。
ポール・ウィルス氏が手がける美術は極めてシンプルで、舞台中央は大きな白い壁で仕切られ、舞台上手にコピー機とオーバーヘッドプロジェクター、舞台下手にウォーターサーバー、その間にオフィス椅子が置かれています。
照明も蛍光灯。
不穏な状況になると「ジジジジ」と音がして点滅したり。
完全に現代の「オフィス」の様子を呈しています。
衣裳は同じくポールが手がけたもので、段田扮するリア王は青いストライプのスーツ、
江口のりこ、田畑智子、上白石萌歌、扮するリア王の娘たちは鮮やかなピンク色のワンピースに身を包み、高橋克実扮するケント伯爵ら男性のキャラクターたちはシックなスーツを着用しています。
物語の中で重要なポイントとなる手紙は、英文で書かれていますが、全て透明フィルム。オーバーヘッドプロジェクターを用いて、壁に映し出します。
前半は真っ白なイメージですが、後半は白い壁も取り払われて闇のイメージ。
コンクリートむき出しの舞台裏まで全部見えている状態で、セットは何もありません。
小道具として木々や椅子が出てくるぐらい。
キャストは皆さん、実力派でしっかりとした演技。
ストーリーはオリジナルに忠実で、セリフも正統派な言葉が綴られていきます。
テレビドラマではキャピキャピした女の子のイメージな上白石萌歌ちゃんが、初々しく正直で芯の強いコーディリアにピッタリ。きちんと舞台の演技ができていて素晴らしかったです。
リア王の忠臣グロスター伯の私生児で、異母兄エドガーを追放に追い込むエドマンド役を演じた玉置玲央さん。
そう!「光る君へ」でも、かなり癖のある藤原道兼を演じています。
藤原兼家を演じる段田安則さんとは直接の親子役ではありませんが、
権力者(リア王)の段田さん、姑息な手を使って人を陥れるエドモントの玉置さんは、ちょっとキャラが共通しています。
エドガー役 小池徹平君は、最初パリっとスーツを着てクールでいかにも重役の息子、な様相から
顔や体を汚し、半裸での演技!体張ってますね。
家族や権力、忠誠心、裏切り、思惑が渦巻く『リア王』。
最も大きなテーマは「親族の相続争い」。
年老いた王が、領地を分け与えるわけですが、現代では領地ではなく、自分の興した大会社や系列会社を誰に継がせるか、になりますから、オフィスっぽいセットは理に適っていますね。
また、引退した老父が、大勢の家来を連れて娘の屋敷に滞在し、彼女たちが閉口するというのも、親の介護とか同居の問題に繋がるでしょう。
演出は、昨年の夏公演「桜の園」を手掛けたショーン・ホームズ氏。
「時代が変わっても永久不変なテーマ」という意図をもって、セットや衣装、演出を組み立てていると思われます。
どの時代でも、どの国でも起こりうる悲劇。
今更、シェークスピアだからといって、日本人がこういうコスチュームで演じるのも古臭いですしね。
そぎ落とされた空間だからこそ、役者の演技が際立つ、ということもあるかもしれません。
ただやはり「非日常」を体験したくて劇場に足を運んでいる部分もあるので、あまりに殺風景な風景だとちょっと寂しくなります。
そういう意味で、シェークスピアと同年代に発祥した歌舞伎が、若干のマイナーチェンジはありながら、豪華なセットや衣装を400年以上も守り続け、後世に伝承しているのは、非常に稀で貴重な芸術なのだと再認識しました。