大津館ローズガーデンから、

     甲賀市「油日(あぶらひ)神社」へ向かいました。

 

 

油日岳の山頂に、油の火のような光とともに、、油日神が

  降臨したことから「油日」という由来になったとか・・・。

 

  (駐車場から見える山が、油日岳だと思います。

 

        間違っているかもしれません・・・スイマセン)

 

 

道路沿いに、石塔が並んでいました。

 

 

創祇年代は不明ですが、6~7世紀だと言われています。

 

降臨した油日神から名前が付き、

  聖徳太子が「油日神」を祀るために社殿を建立したという

    言い伝えがあるそうです。

 

  878年には、油日神社があったことは、

      古文書に記述が残っています。

 

 

重文・楼門は、1566年(永禄9)の建立です。

 

     (松平家康が、徳川家康に改名し、

       豊臣秀吉が、織田信長の美濃攻め時に

        一晩?で墨俣城を作った年でした)

 

 

重文・拝殿は、桃山時代の再建です。

 

 

拝殿内には、江戸時代の三女六歌仙の額が掛かっていました。

 

 

拝殿の奥にあるのが、重文・本殿です。

 

 

本殿は、1493年(明応2)の建立です。

 

 

明応2年は、明応大地震が起こり、

  浜名湖が津波で外界とつながり

    毛利元就、斎藤道三が生まれた年です。

 

 

娘の良縁を祈願しました。

 

  (油日神社の油日大神は、勝軍神として

     武士の信仰を集めていたのですが・・・)

 

 

このツアーでは、地元のボランティアガイドが

     油日神社の故事来歴を話してくれました。

 

 

楼門を取り巻くように、東西に重文・回廊がります。

 

  楼門と同じ、永禄9年の創建です。

 

 

この回廊に座って、お話を聞きました。

 

ガイド 「今、皆さんが座っている回廊に

       甲賀忍者と言われる地侍・甲賀五十三家が

          座って、様々な談合を決めていました。

 

      回廊は、その当時のままですので、

        みなさんは、甲賀忍者が座っていた場所に

          座っているのです。

 

      この地を支配していた六角氏が織田信長に

       敗れた時、織田につくののか、抵抗するのかを

        この油日神社で甲賀衆は相談しました。

 

      結果は、織田信長に従い、伊賀攻めに

        参加することに決定しました。

 

      伊賀と甲賀は婚姻もあり、仲が良かったのですが

        伊賀攻めでは、敵対しました」

 

     (甲賀と伊賀は、ひと山越えたお隣です)

 

お話を聞いている内に、お尻がむず痒くなってきたのは、

  歴史の重みかもしれません・・・嗚呼。

 

なお、本能寺の変では、森蘭丸の弟・森忠正と母親を

  甲賀衆が匿ったり、家康の「伊賀越え」では、

    甲賀衆が警護をしたそうです。

 

ゆえに、「伊賀越え」ではなく、「甲賀越え」だった

  というだったという説があります。

 

 

油日神社は、戦国時代の創建時の姿を

     そのまま、手付かずに、美しく残っています。

 

そのため、「ブギウギ」「碁盤斬り」などの

    数多くの映画ドラマのロケ地として有名な神社です。

 

観光地化されていない、素朴な素敵な神社です。

 

良い神社です。

 

超お勧めしますが、人気が出て

  観光客が押し欠けるのも、如何なものかと・・・。

 

今が、一番の神社かもしれません。

 

 

妻は、滋賀名物「飛び出しトビ太くん」に嵌まっています。

 

それぞれの地域で、その地、独特の「トビ太くん」があるのも

  滋賀県観光の魅力だと思います。

 

油日神社の次は、

   近江八幡のロープ―ウェーへ向かいました。