渡辺惣樹さんと宮崎正弘さんとの対談本『激動の日本近現代史』で渡辺さんがこう語っている部分があります。

 

「これは私の読者から指摘されたことですが、南北戦争との類似といえば、1870年の普仏戦争もやはり関税をめぐる戦いでした。普仏戦争は、プロシアを中心としてドイツという国家ができあがっていく過程に起きたわけですが、……したがってこの3つの戦争は世界史的には同一の中央集権国家誕生の一過程という現象だということは指摘しておいていいと思います。」

 

私の勘違いかもしれませんが、もしかしたら渡辺惣樹さんがこのブログを読んでくださった可能性があります。なぜなら以前にこのブログで渡辺さんが指摘されたアメリカの南北戦争と日本の西南戦争との共通点において普仏戦争も同じじゃないかと指摘したことがあるからです。

 

https://ameblo.jp/mintelligence/entry-11985071199.html

 

これらのことは何の意味を持つのでしょうか?

 

実は1870年代においてイタリアも統一を果たしています。そしてカナダにおいてもウィキペディアでは次のように書いています。

 

1865年、英国議会はコモン・ローに対する植民地法の優位を立法により認めた。1867年英領北アメリカ法を制定し、両カナダ・ノバスコシア・ニューブランズウィックなどを併せた自治領カナダ政府を成立させた。この立法によってカナダは英連邦の下で自治権を有する連邦となり、オタワに連邦首都が置かれた。」

 

G7という今ではあまり存在が重視されていない枠組みがあります。イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、イタリア、カナダ、日本で構成されています。

 

これらの国々には誰も指摘していない共通点があったのです。

 

それは、全て1870年代までに中央集権国家を作る大事業に成功できた国々で、一応「先進国」と呼ばれている理由なのです。

 

では中国が本当の意味で日本やアメリカを超えた先進国となる日はやってくるのでしょうか?

 

私の定義では不可能と回答できます。なぜなら中国は1870年までに中央集権国家を作ることができなかったからです。

 

エマニュエル・トッドも科学や文化といった分野でリーダシップをとれる国はこれからも日・米・欧に変わりはないとどこかで書いていましたが、その理由はこの点にあるのではないかと私は考えています。

歴史家の渡辺惣樹さんが最新刊『激動の日本近現代史』という本の中で興味深いことを書かれています。

 

「人間が素直に育つには母親の愛情が欠かせないのではないか。言い方はちょっと微妙なのですが、その人間にとって人を見る目、あるいは物事の良し悪しを判断する基準を作ってくれるのは、やはり母親の愛情ではないかと」

 

歴史家が母親の愛情を語るのは少し変と思われるかもしれないですが、私も同じことを考えたことがあるので、この問題について少し書いてみたいと思います。

 

アメリカにジョージ・ケナンというソビエト『封じ込め』という戦略を作った優れたリアリストがいました。

 

一方日本においても異論はあると思われますが、近衛文麿というリアリストがいました。

 

渡辺さんはこの本の中で「日本の歴史書を見るとドイツ一国に戦争責任を押し付けたベルサイユ体制の不条理さに対しての同情心が全くない」と語っていますが、近衛文麿が第一次大戦終了直後に書いた「英米本位の平和主義を排す」においてはその批判はあたりません。

 

私は近衛が若い時代に書いた「英米本位の平和主義を排す」は日本を代表するリアリズムの文書だと思っています。

 

ところで、近衛文麿とジョージ・ケナンには稀有な共通点がありました。それが両者とも生まれた早々に母親をなくしているのです。

 

母親からの愛情を受けられなかったケナンと近衛には似たような傾向がありました。彼らは共に少年時代から優秀だったのですが、全く「自己肯定感」が持てなかったのです。

 

この「自己肯定感」を持てないということが彼らの思考にはいつもつきまとい、どのような「理想」を語る時もいつも「現実」とのバランスを取ろうとする「リアリズム」的思考が発達したように思います。

 

ジョージ・ケナンの父親はミルウォーキーの弁護士で、アメリカのエスタブリッシュメントに属することのない人物でした。

 

ところがケナンは庶民的なものに対して一切の憧れを抱くことはなく終生貴族的なものに憧れ続けました。

 

一方近衛は、自身が天皇に最も近い貴族であるのにもかかわらず、庶民的なものに憧れ続けるのです。彼が大好きだった小説にトルストイの『アンナ・カレニーナ』がありますが、

この本は貴族である主人公が全てを捨てて駆け落ちをするという話なのです。

 

母親の不在がこんなところにも影響を及ぼしているのです。

 

「人間が素直に育つには母親の愛情が欠かせない」という渡辺さんの話は多分正しいのでしょうが、ケナンや近衛はそれが与えられなかったために徹底した「リアリズム」を体現できたのかもしれません。

久しぶりの更新です。

 

ところで私自身は改憲派なのですが、安倍首相の憲法改正が成功するとは全く思っていません。

 

なぜなら国内でのコンセンサスが全く取れていないからです。

 

ではそれはいつ改憲が可能かと問われれば、おそらくはアメリカが安保条約を破棄してきた場合ではないかと考えてきました。

 

そう思い立った経緯を書いたのがこの記事です。http://ameblo.jp/mintelligence/entry-12147408038.html

 

つい最近私と似たような論考をアメリカ人のジョージ・フリードマンが「日本の例外主義」というタイトルで書いています。http://www.realclearworld.com/articles/2017/06/28/japanese_exceptionalism.html

 

そこでこのフリードマンの記事を全て訳してみました。少し意味の取れにくい部分もありましたが頑張って訳してみたので読んでみてください。

 

ジョージ・フリードマンの「日本の例外主義」

 

日本は少なくとも地政学上の観点からすれば静かなところである。他国に対してはほとんど何も要求しないし、軍事的な要求は全くしない。憲法9条はどのような軍隊を持つことも禁止している。憲法9条は再解釈され自衛のためにかなりの軍隊を維持している。その原則は、自衛の権利は自然権の一部であり、攻撃的に行動することは許されないー実際、単独で攻撃することはできないーというものである。

 

1980年代の後半から1990年代の初頭にかけて起こった銀行の危機から国際金融筋は日本が金融危機に直面し国内で大変動が起きることを期待していたが、そのようなことは全く起こらなかった。その代わり日本はゆっくりと成長し、時には全然成長しなかった。しかし他の国に比べて日本は自分自身に対して平和的であった。

 

しかし、日本はいつも平和的であったというわけではなかった。20世紀の前半日本は西太平洋と中国を支配しようとしていた。1905年にはロシアの艦隊を撃破したし、太平洋におけるアメリカとヨーロッパの力に対して挑戦した。一時は中国や台湾、オランダ領東インドを経てインドの入り口までの島嶼部を含む帝国を樹立した。これはたった3年間しか続かなかったが、この最初の段階で日本はアジアの勢力均衡を永遠に書き換えてしまった。

 

日本は経済危機に至る数十年も決しておとなしい力ではなかった。日本の1960、1970、1980年代は現在の中国のようであり、低い賃金で驚くべき成長を楽しんでいた。日本人はよく教育され、工業化のプロセスに精通し、日本経済が再建されるにつれて、低コストの商品が西側のマーケット、特にアメリカのマーケットに集中した。1980年代にこのことが日本に危機を及ぼした。というのもアメリカが日本からの輸出を規制しようとしたし、また日本のマネジメントをアメリカが学ぼうとしたからだった。日本は自由貿易の原則に固執し、問題はアメリカの労働者が怠惰だということにもなったのである。

 

日本の商品はアメリカの市場を席巻し、たくさんの輸出が資本のリターンを犠牲にするまで多くの分野で支配的な地位を築いた。巨大な輸出と利益の低下は同時に起こっていたのだ。

 

国内的にみても20世紀の日本は平和的ではなかった。第一次世界大戦が終わって、帝国陸軍が政治的な力になり、外交と政治をコントロールしようとした。陸軍は日本の歴史における軍事的な思想をイデオロギーに結びつけた。それが正しかったか間違っていたかはともかく、日本の戦間期における国内政治は暗殺、クーデター、脅かしと毒的なものに満ちていた。現在の日本とは全く考えられないものだった。

 

日本の注目すべき点はそれまでとの態度をがらりと変えてしまう点にある。1945年にそれは起き、あらゆる分野で徹底していた。しかしそれは初めてのことではなかったのである。1850年代にアメリカとヨーロッパが日本を調べ始めた時、日本にはそれに贖う術がなかった。その当時の日本は農民と職人の農業国であり、武士は万人の万人に対する闘争を展開しており、指導者は終わりのない政治的な駆け引きを行なっていた。日本はいつ西側の帝国主義の犠牲になってもおかしくはなかった。

 

1860年から1900年にかけて日本はアメリカよりも急激な変化を遂げた。戦争で疲弊した国から急激に工業化を進める国家となった。イギリスから海軍を購入し、陸軍はドイツから訓練を受けた。ヨーロッパから習った知識と技術を吸収し、1905年にはロシアを負かし、太平洋を支配しようと世界に挑戦したのである。日本が工業化を果たしたスピードは驚くべきものであるが、同じように驚くのは自分で統治していた貴族達が天皇の保護のもとに中央集権を達成した政治的な推移である。天皇は神の降臨と考えられていたが、工業化が国の統一とシンボルを必要とするまでは決定的なものとは考えられていなかった。政治問題は継続して発生したが、国内は統一された。地域の対立は十分に抑制され近代的な国家が作られた。

 

1945年に日本は1世紀にも満たない間にまた急激な変化を遂げた。軍に政治的に乗っ取られた攻撃的な国から制度的に軍を背景とする外交に反対する国家となった。軍は政治の場から退場し、日本はリベラル・デモクラシーを採用した。

 

このことは繰り返す価値があるものである。100年にも満たない間に日本は世界の端に存在する、経済的に遅れたしかし文化的には先進的だった国から周りの全てのものに挑戦する国家となり、さらには平和的な重商主義の国となったのである。ここで最も重要なことは、どのような挑戦や政治的な摩擦があっても日本の国内には社会的な大激動が起こらなかったことである。

 

イギリスの産業革命で起こったことは、貴族の没落と工業や商業の力の上昇、それに伴う大衆の社会的な調整と政治参加の要求であった。フランスでも同様のことが起こり、それにロベスピエールのテロによる統治が加わった。ロシアの工業化の場合はさらにホロコーストが加わった。ほとんどの工業化を達成した国々において社会の大激動を伴っていた。農業的な封建主義から工業化を達成するには流血が必要なのである。

 

日本はただ一つの例外である。変化の速さが急激で、それに伴う大きな不連続が起こるにもかかわらず、日本では社会的な革命が起こらなかった。日本では貴族階級が起業家となり戦争を擁護した。貴族達が作った工業がこんにちでは重商主義的な政策や国内消費の増加を望む改革を希求し日本の民主主義を抱きしめている。

 

系列という日本の産業の巨大な集積はその源を19世紀に商売を始めた貴族達にさかのぼることができる。これらの貴族達はヨーロッパのそれとは違い商売に従事することをいとわなかった。そのことが農業から工業への推移や封建主義から資本主義への移行を容易にした。

 

最も正確にいうならば日本の封建的な制度は残っており、変化を遂げている。基本的には封建的な領土が封建的な企業に変わり、封建的企業は従業員を多くの点で奴隷(serf)として扱っている。労働者は会社に忠誠を誓うものとみなされ。代わりに会社は労働者に気を配るものとみなされている。日本においてそれは経済的な関係ではなく相互の義務を定めた社会的な関係である。日本の労働者は自分の勤める会社にプライドを持っているし、彼らは通常定年まで働く。そして会社は厳しい時期においても利益を最大化するためにコストがかかろうとも従業員を解雇しない。緊縮が必要な場合は従業員もそれに従う。

 

エコノミスト達は、いかに日本が崩壊を避けたことについて驚いているが、日本においては少なくとも国内社会で大激動が起こらないということで説明はつく。ほとんどの日本の国の借金は部分的には貯蓄として、また義務として公的なものが保有している。のろまな成長がさらなる低成長を呼ぼうが、厳しい賃金カットには至らない。日本を工業化した封建国家と想像してみれば(決して軽蔑的な意味でなく)その勃興と没落の間でいかに持続していたのかを知るヒントにはなるであろう。

 

このことは決して日本人が扇動に無縁であるということではない。2011年に起こった地震、津波、核の漏れの後に大きな扇動は存在したが、それは国家へとそらされていった。日本の国家体制は自由民主主義の体制をとっているように見えるが、実際はもっと複雑である。現在の官僚制度は帝国時代の官僚性を引き継いだものでそれがそのまま残っており、それぞれの省庁や銀行、企業などと協調している。

 

日本の民主的な制度は様々な問題に対して一般大衆の情熱を吸収する重要な目的を持っており、財務省や外務省は日本が国家として行う権能を保持しており、公衆はその権威を受け入れている。日本は能力主義の国であり、大学は非公式であるものの厳しくランク付けされている。そして卒業生はキャリアを通じて共に働くのである。以前のイギリスの官僚のやり方と同じようであった。

 

これまで書いてきたことは3つのことを意味する。一つ目は日本は必要が迫った時に突然変貌し、新しくなった進路はかなりの長期にわたって継続するのである。時たま起こる激情の噴出を除いて、そのシステムはヨーロッパやアメリカと違い、ある程度の信頼と受容性を持っている。二つ目は、1980年代に発生した金融危機は国内の大変動をもたらさなかったことである。ゆっくりとした成長は受け入れられる以上に歓迎された。なぜなら人口減少のおかげで一人当たりの所得が増えてしまったからであった。そして三つ目は現在の日本がこのままの状態で今世紀を進んでいくことは可能だがまずはありえないだろうということである。1860年において日本が50年後に経済大国になるという予想がありえないと思われたいたと同じく80年後にイギリスからシンガポールをうばうという予想がありえないと思わた。(どちらも実現してしまった)第2次世界大戦が終了してから72年、日本は決められた進路を歩んできた。これからの72年間、日本が同じ道を歩み続けるとは考えないほうがいい。

 

アメリカ合衆国が日本の急激な転換を促す根源になっている。ペリー提督の来航が日本の工業化をうながした。第2次世界大戦でのアメリカによる敗戦が日本の重商主義的平和主義への転換を呼び込んだ。こうなったことは全く理由がないことではない。日本とアメリカはほぼ同じ時期に近代という時代に突入したのである。日本とアメリカが接触を始めた時に彼らはお互いに魅了されると共にお互いを恐れた。歴史的には誰も太平洋を支配していなかったし、それは広く空っぽだった。日本とアメリカは神から信託を受けて統治するという考えを持った自惚れた国同士だった。時間がたつにつれ日米が絶望的な戦争を戦うことになりどちらかが勝利(おそらくはアメリカ)することは必然であったろうし、アメリカが日本の復興を助け大部分の時期において日本をほっておくことも確かであったろう。アメリカにはソビエトという新しい敵が出現し、アメリカは日本の助力を必要としていた。それ以上にアメリカはいつも商業的な関係を持つことに興味を覚えていた。

 

日本は工業化による病に冒された。日本には国内から供給できる石油や鉱物資源が全く無かった。それは日本からかなり離れたところに存在している。1945年以来日本は海外の資源にアクセスするために喜んでアメリカに依存した。日本は大いにそのことを好んだ。しかしこの世界において他国に頼ることは危険であり、アメリカがシーレーンを守ることをやめたら日本の工業は停止してしまう。中国や北朝鮮の脅威から身を守るために日本はアメリカを信頼している。日本が再びの支援を受けれるかどうかはアメリカにかかっている。アメリカの利益が変化したり、日和ったり、また敵対的になれば日本は後悔しながらもその進路を変えるだろう。それは工業化以来の国家の統一性を保ったままの変化になるであろう。