日本の保守層がトランプ候補の登場でかなり動揺しているようです。

『産経新聞』で櫻田淳氏は「故に筆者は、トランプ氏の登場に期待し、便乗して何かをしようという発想それ自体が、極めて筋悪なものであると指摘しておく」と書いています。

確かに第2次世界大戦後のアメリカだけを見ていれば氏のように考えても不思議ではありませんが、それ以前のアメリカの歴史を振り返ってみれば決してトランプ候補の考え方は異常でもなんでもないのです。

逆に第2次大戦後のアメリカを絶対視すれば結果的に日本の政策の選択の幅を狭めることになりかねません。

私は日本に対して今からでもいいから、アメリカの「トランプ」的なものとの遭遇に備えて準備をしとけと主張したいと思います。

今回私は渡辺惣樹さんの『アメリカの対日政策を読み解く』という本を読み終わりました。この本の中で渡辺さんは「アメリカの日本に対する態度はアメリカ側の都合で大きくぶれる。その態度に困惑しながら揺れ動いた日本外交はアメリカ外交の従属変数そのものだった」と書かれています。

私も渡辺さんの見方に賛成なのですが、この問題は単に日本がアメリカの一方的な政策に振り回されていたという以上の深刻な問題を含んでいます。

エドワード・ルトワックは『チャイナ 4,0』でパラメーターと変数との関係について語っています。

ルトワックによれば変数とは政権の交代に伴って変化する政策のようなものであり、一方パラメーターとは政権の変化によっても変わらない国の性質、または「国体」のようなものと書いています。

日本とアメリカの関係で厄介なことは、アメリカの一方的な都合で日本の国の性質、「国体」を変えさせられてきたことなのです。

徳川家康が作った「幕藩体制」はペリーの黒船の来航によってそれが潰れるきっかけとなってしまいました。

ペリーは一体日本の「開国」で何を狙っていたのでしょうか。

『日本開国』という本の中で渡辺惣樹さんは「日本遠征計画はあくまでも拡大するアメリカの将来にとって重要な東アジア、とりわけ支那大陸との交易ルートを確保する」ことと書かれています。

アメリカが中国と貿易する上での石炭の補給基地が欲しいから日本を開国させたのです。そこには日本の事情など全く考慮には入らなかったようです。

このペリーの来航がきっかけとなり、200年以上の平和を達成したパックス・トクガワーナの時代は終わりを告げ、日本は明治維新を迎えます。

明治からの日本のパラメーター(国体)は「富国強兵」というものに変化していきました。

しかし、この「富国強兵」路線もフランクリン・ルーズベルト大統領の時代に変化させられるのです。

鳥居民さんは『昭和史を読み解く』で「日本を明治以前の領土に戻す、中国を大国にする、これが50年前にルーズベルトの考えていた遠大な構想だった」と書かれています。

さらにアメリカは東京裁判にで日本を「戦犯国」として裁こうとしますが、ペリーとルーズベルトの矛盾を鋭く感知した石原莞爾将軍は東京裁判酒田法廷出張所で「ここにペリーを連れてこい」と吠えたのですが、連合国から無視されてしまいます。

そして第2次世界大戦の敗戦とアメリカの占領から生まれた戦後の日本のパラメーターが「憲法9条を抱える平和国家」だったのです。

ところが現在アメリカでのトランプ候補の登場が日本の戦後の「平和国家」の足元を脅かすようになってきました。

アメリカの作家マーク・トウェインは「歴史は繰り返さない、しかし韻をふむ」という名言を残しています。そしてこれを日米関係に当てはめれば、アメリカの一方的な都合で日本の「国体」が変化させられてきた、ということになるのです。
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