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2012年02月18日

フーバー元大統領の Freedom Betrayed

テーマ:ブログ
今回はアメリカのフーバー元大統領が、第2次大戦中から書いていた日記を取り上げたいと思います。

Freedom Betrayed: Herbert Hoover’s Secret Histo.../George H. Nash
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まずは、この本を取り上げた産經新聞の記事からです。


【ワシントン=佐々木類】ハーバート・フーバー第31代米大統領(1874~1964年)が、日本軍が1941年12月8日、米ハワイの真珠湾を攻撃した際の大統領だったフランクリン・ルーズベルト(第32代、1882~1945年)について、「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していたことが分かった。

 米歴史家のジョージ・ナッシュ氏が、これまで非公開だったフーバーのメモなどを基に著した「FREEDOM BETRAYED(裏切られた自由)」で明らかにした。

 真珠湾攻撃に関しては、ルーズベルトが対独戦に参戦する口実を作るため、攻撃を事前に察知しながら放置。ドイツと同盟国だった日本を対米戦に引きずり込もうとした-などとする“陰謀説”が日米の研究者の間で浮かんでは消えてきたが、米大統領経験者が“陰謀説”に言及していたことが判明したのは初めて。

 ナッシュ氏の著書によると、フーバーは第33代大統領のトルーマンの指示で戦後の日本などを視察。46年に訪日し、東京で連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥と会談した。

 その際、フーバーはマッカーサーに対し、日本との戦争は「対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』の願望だった」と指摘。在米日本資産の凍結など41年7月の経済制裁は「対独戦に参戦するため、日本を破滅的な戦争に引きずり込もうとしたものだ」と語ったという。

 マッカーサーも、「ルーズベルトは41年夏に日本側が模索した近衛文麿首相との日米首脳会談を行い、戦争回避の努力をすべきだった」と批判していた。

 著書ではフーバーが「米国から日本への食糧供給がなければ、ナチスの強制収容所並みかそれ以下になるだろう」とマッカーサーに食糧支援の必要性を説いていたことも詳細につづられており、フーバーの対日関与の功績に光を当てるものにもなっている。

 ナッシュ氏は「この著書が、今でも米国の英雄とされているルーズベルト大統領への歴史評価を見直すきっかけになってほしい」と話している。

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管理人はこの記事に興味を覚え、この本を読んでみたいと思ったのですけれど、なにせハードカバーで1000頁もあるのでなかなか買う気になれませんでした。


ところが、つい最近アメリカの評論家パット・ブッキャナン氏の書評をみつけました。そこには真珠湾攻撃に至る日本の外交がこの本から引用されています。重要な部分を訳してみました。


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1941年夏の日本の状態を考えてみよ。勝つことも終わらせることもできない中国との泥沼の戦争に4年間もはまりこみ、フランス領インドシナに侵攻したものの日本は万策がつきてきた。


日本政府の内部では近衛文麿首相を筆頭とするグループはアメリカとの戦争を全然望んでいなかった。


親アングローサクソングループには第一次大戦を共に戦った海軍が含まれていた。一方好戦派には東条英機と外相の松岡洋介がいた。


1941年7月18日、近衛首相は松岡洋右外相を辞任させ、海軍の親アングロサクソンの豊田を後任に就けた。


アメリカの答え:7月25日アメリカ政府は米国内の日本資産を全て凍結した。アメリカへの輸出も輸入もできなくなり、石油も禁輸された。


びっくりした近衛首相は、極秘裏にルーズベルトと直接談判することの賛意を海軍と陸軍からとりつけた。


駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーは、近衛首相のオファー(近衛はグルーにインドシナと中国の南部と中部から撤退すると約束していた。中国の北部に関しては毛沢東とスターリンに対するバッファーが必要と考えていた)を無視するべきではないと米国政府に訴えていた。


8月28日、日本の野村駐米大使は、ルーズベルト大統領に会談してくれと頼む近衛首相の個人的な親書を提出した。


東京は、日本の首相がアメリカの大統領に太平洋を越えて会いにいくことを秘密にしておいてもらいたかった。なぜならそれがばれたら、大変なことになるからである。


9月3日、近衛首相の手紙がヘラルド・トリビューン誌にリークされた。


9月6日、近衛はグルー大使と3時間会談し、日本はアメリカが主張している4つの原則を守ると約束した。しかし、アメリカからは何の応答もなかった。


9月29日、グルー大使は、このチャンスをのがすべきではないという、フーバー大統領が「祈祷文」と例えている、電信を送った。


9月30日。グルー大使はワシントンに、「近衛首相をのせた軍艦はホノルルでもアラスカでも大統領が望むどのような場所へも行く準備ができている」という電信を再度送った。


ルーズベルトからの返事は全くなく。10月16日近衛内閣は瓦解した。


11月に入って、アメリカは2つの提案を日本から受けた。プランAは中国との戦争を終わらせ、インドシナから撤退する。プランBは、これから先どちらも何の行動を起こさないという暫定協定だった。この計画がアメリカにもたされてもアメリカはあっさりと拒絶する。


11月25日のルーズベルト戦時内閣の会議でのヘンリー・スティムソン長官のノートが、当時のコンセンサスを物語っていた。「問題はいかにアメリカ自身を深く傷つけることなく、第一撃を日本から撃たせることにある。」


ノックス海軍長官は3ヶ月で日本を地図から消してみせると書いた。


グルー大使は、日本は辱めを受けるよりは切腹を望むだろうと予測していた。その予測通りの展開となった。


近衛首相と会談しなかったおかげで、アメリカは何千人ものアメリカ市民を失い、広島長崎をもたらし、毛沢東に中国を受け渡し、朝鮮とベトナムで戦い、そしてアメリカになんら敬意をはらわない傲慢な超大国中国を生んでしまったのである。

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フーバー大統領が、ルーズベルト大統領を「狂気の男」と呼んでいたのは正しかったと私も思います。



2012年02月17日

経済の変動と日中の政治

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近代に入ってからの長期不況と日中の政治がどのような展開をしたのかを調べて見ました。

まずは不況の名称とその年代です。

1873-1896 long depression
1929-1945 great depression
2008- ? long recession

この不況期近辺で日本に起こった重大な出来事。

明治維新 1867 第一回帝国議会 1890
満州事変 1931 敗戦 1945
現在

同じ時期に中国で起こった出来事。

太平天国の乱 1850-1863 辛亥革命 1911
国共内戦 1927 共産党の中国統一 1949
現在

この不況期に焦点をしぼって、日中の政治を比較すれば、意外に似たようなリズムで展開していることが確認できます。

次に起こることは、日本の場合は平和憲法体制の崩壊であり、中国の場合は共産党の崩壊でしょう。
2012年02月11日

太平天国の乱

テーマ:ブログ
ニューヨーク・タイムズにスティーブン・プラットという人が、現在の中国を太平天国の乱が起こった時代と似ていると書いています。

太平天国の乱は、1850年から1864年にかけて起こった事件です。地方に住む中国人が腐敗や汚職に悩まされたところ、洪秀全というキリストの弟と称する人物がリーダーとして現れるや、清朝で最大の反乱グループに膨れ上がりました。

結局は、清朝がイギリスの手を借りて反乱軍を鎮圧したのですが、膨大な犠牲者を出したそうです。

さて、私がこの事件で最も気になったのが、太平天国の乱が起こった年代です。この時代は世界史的な事件が目白押しです。

1850-1864 太平天国の乱

1861-1865 アメリカの南北戦争

1867 大政奉還(明治維新の完結)

1871 ビスマルクによるドイツ統一

これらの事件は、それぞれ全く無関係なのですが、何か共通のものがあるような気がします。

さらにこの時代、1873年から1896年までLong Depressionといわれる長期的な不況が欧米を中心にして発生しています。

世界的な各国の統治秩序の変更と、世界的な不況という組み合わせは19世紀の後半だけでなく、1929年の大恐慌時代にも見られる現象でした。

今回もアラブの春や、ユーロの危機に見られるように、不況と世界秩序の再編は同時に起こっていくようです。

中国共産党が安泰である保証はありません。おそらくは日本の平和憲法の体制も。

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