1951年から始まった日韓予備交渉の席で韓国代表だった兪鎮午は演説で次のように切り出します。

 

「韓日両国は善隣友好関係を結ぶべき時点に立っている。韓国は日本を侵略した歴史はないが、日本は韓国をのべつに苦しめ、侵略してきた。日本がわれわれにどういうことをしでかしたかは、皆さんが熟知しているはずだ」

 

戦後の日本人が韓国人から耳にタコができるぐらい聞かされた言葉です。しかし、全く同じ人が併合時代にはこのようなことを言っていました。

 

「聖戦満三周年を迎へ… … 、遙か大陸の奥地に凡ゆる困苦欠乏に耐へつつ、赫々たる武動を樹てられたる皇軍将兵に謹んで感謝と敬意を捧げる。」

 

このようなことをしゃべったとしてもやむを得なかったというコンセンサスが当時の韓国にはあったのでしょう。ある意味で幸せな時代でした。

 

ところが、時代が進み朴正煕大統領が完成させた反日政策は教育などを通して確実に韓国人の心を蝕んでいきました。「韓民族は邪悪な日帝と徹底的に戦ったという人工の記憶が、ゆっくりと構築されて」いったのでした。

 

ここで逆説的なことが起こります。朴大統領は国民を統合する目的で反日をはじめたのですが、それがそうはならず逆に分断を誘発するようになってしまったのです。

 

教育を通じて戦前の日本がナチスのようだったと確信している現在の韓国人の視点から朴大統領の経歴をみてください。

 

「彼は満洲国軍官学校を首席で卒業、皇帝溥儀から金時計を受領し、同期生を代表して天皇と皇帝への忠誠の誓詞を述べた。選ばれて日本の陸軍士官学校に学び、その卒業成績は三位、朝鮮人としてただ一人陸軍大臣賞を受賞している。北支戦線で彼が戦った相手はおもに中国の軍隊だったが、その戦域ではわずかながら朝鮮人も抗日戦に加わっていた。この時代、韓国の正統政府が臨時政府であることは現憲法で確定しており、抗日部隊は理論上臨時政府の隷下にあったのだから、朴正熙は敵側について国軍を攻撃した民族反逆者ということになる。」

 

いくら「漢江の奇跡」を成し遂げ、日本に併合されていた国をようやく先進国の水準に持ってくる基礎を築いた有能な大統領であっても、反日に犯された視点で見れば、民族の反逆者にしかみえないのです。

 

さらにこの考えは、松本さんが指摘するように「建国から半世紀あまりが経った頃、韓国はもともと生まれるべきではなかった国で、民族史的合法性は北朝鮮にあるとする『反韓史観』『自己破滅的な歴史観』」に結びついていったのです。

 

文在寅大統領のある意味での確信的な破壊行為は朴正煕大統領が完成させた反日政策の論理的帰結だったのです。

 

これまで、いくら嫌韓的な本を読んでも、その分析はある意味ポリティカル・コレクトネスに覆われて、鈍くなりがちなのですが、『韓国「反日主義」の起源』にはそういった遠慮が全くなく切れ味が鋭すぎて、怖いくらいです。

 

少し、値段は張りますがそれだけの価値は十分にあると思います。

 

続く。

 

松本さんは日本が朝鮮を併合している時代に朝鮮人が書いた文学や詩集などを徹底的に読むことでいかに朝鮮の文化が日本文化を元にして発展していったかを実証的に書かれています。

 

朝鮮の文化や産業が朝鮮半島内で発達する一方、対外的には満州事変や大東亜戦争などの影響から朝鮮人の日本人への同化が確実に進んでいったのです。

 

ところが日本が太平洋戦争でアメリカに負けることで、朝鮮半島の情勢は急激に変化し、ある日突然独立しなくてはならなくなりました。

 

最初に書いたように新しい韓国の行政や産業は、日帝時代に総督府や内地で活躍していた朝鮮人に託されました。韓国に住んでいる人々も日本の統治時代に豊かになっていった実態を肌で知っていましたから日帝の手先になっていた人たちが新韓国のエリートになったとしても文句はそんなに出なかったのです。

 

ただ韓国が独立するにあたって問題になったのはこれからどうやって国民の結束をはかっていくか、でした。

 

韓国には国民を統合するような偉大な宗教は存在しませんでしたし、日本が持っていた天皇のような便利な機関もありませんでした。

 

そこで国民の統合のために用いられたのが「反日」だったのです。

 

「世界が一変した戦後になって、あのとき親日したではないかと言われても、今さらどうしようもない。追及されるべき悪があるとすれば、日本人だった頃の自分の行為を含め、その責は日本が負うべきだ──。」

 

松本さんによれば韓国で反日が始められたのが李承晩政権の頃で、それがちゃんとした政策になったのは朴正煕大統領の頃だったといいます。

 

こうして独立した韓国は一方で日本で行われた政策を注視しそれを忠実に模倣していった親日的な側面と日本を悪として国民をまとめる反日的な政策とが同時に行われるようになったのでした。

 

「反日・親日の狭間を徘徊する、上下の意識層が矛盾した形で共存している、思考の二重構造、人格分裂症などとも言うが、帰するところは同じである。」

 

続く。

松本厚二氏が書いた『韓国「反日主義」の起源』という4000円以上もする高価な本を久しぶりに読みました。

 

私はこれまでかなりの数の韓国に関する本を読んできましたが、この本を読んだ時の衝撃はそれまでの経験を一気に越えるコペルニクス的展開を十分に味わえるものでした。

 

日本の敗戦により独立を達成した韓国は日本の支配について「世界史上例を見ない極悪の日帝」と評しているわけですが、本当にそれが正しかったのならば、総督府などに務めて日帝の手先となった朝鮮人を徹底的に粛清しなければならなかったはずです。

 

松本さんはナチスに協力したフランス人1万人を戦後のフランスが処刑することにより、新たに出発するフランスのレジティマシーを獲得したことを指摘しています。

 

韓国はフランスがやったようには決してしませんでした。驚くことに戦後の李承晩政権は産業界、法曹界、行政、軍事に至るまで、日帝時代に出世していた韓国人をそのまま持ってきたのです。

 

例えば印泰植という人は、1902年に生まれ、東北帝大を卒業し江原道洪川税務署長、同財務部長を務め、光復後財務部司税局長となり、管財庁長を経て1956年に財務長官となった次第です。

 

このような現在の日本人から見てもエリートだと思わせる経歴を持った多数の韓国人が戦後の韓国を指導していくこととなり、全くと言っていいほど大日本帝国とのけじめをつけていないのです。なぜこんなことになってしまったのかを考えれば松本氏が書かれているように「韓国国民は日本の統治をそれほど悪いものではなかったと考えるしかない」のでしょう。

 

では、なぜ日本から独立した韓国が、併合している時とほとんど変化がなかったのでしょうか?

 

韓国は日本が1894年の日清戦争に勝利することによって始めて中国からの独立を果たすことになります。

 

こう書くと朝鮮が中国から簡単に独立することができたと考えがちですが、中国に事大していた李氏朝鮮の500年間はそれがある種の文明のようなものとなっており、それを独立国家仕様のソフトに変換するには、新たな文明を作るぐらい大変なものではなかったのかと松本さんは問います。

 

例えば言葉です。

 

李朝の知識人は漢文を中国式に読み書きすることによってその役割を果たしていたのですが、果たして近代に独立国家となる韓国で従来の漢文重視でうまくやっていけるのでしょうか?

 

これを成し遂げたのが、ハングルを仮名と勘違いし、漢字ハングル交じり文を作った福沢諭吉でした。現代韓国語の語順が日本語に似ているのはこの時代に朝鮮語が日本語を元に作られたからなのです。

 

日清戦争、日露戦争、日韓併合の時代は、それまで朝鮮の文明が中華の枠組みに従って作られていたものが、現代韓国語からもわかるように、その文明が日本のものを基礎として組み立てることによって韓国文化や韓国経済が豊かになっていったのでした。

 

続く。