鄧小平がこれまでにとってきた路線と習近平が新たに採用している政策で明らかに中国経済の足を引っ張りかねないものが存在します。

 

第一が香港に対するもので、鄧小平時代にイギリスと合意した「1国2制度」を明らかに破って、香港の「自由」を徹底的に弾圧しています。

 

こんなことをしていたら、香港におけるアジアの金融センターの役割を毀損すると思うのですが、習近平は一向に構わないようです。

 

次は最近起こったことなのですが、ここ数ヶ月の間にアリババの創業者であり、多数の企業群を率いるジャック・マーの行方がわからなくなっていたことです。(昨日になって本人の安全は確認されたようです。)

 

どのような理由から彼が弾圧されていたかはわかりませんが、ジャック・マーにおいては、これまでのような自由な経済活動は習近平の政権下ではどうやら許されなくなるようです。

 

香港とジャック・マーの問題は一見すると関係ないように思いますが、実は国家(state)と国民(nation)の間にある「中間組織」の問題と捉えたら香港のような地方自治の問題とジャック・マーが率いる企業群の問題も同列に扱えます。

 

どうも中国の習近平国家主席は自分の意向にそぐわない「中間組織」は鄧小平とは違い、容赦なく弾圧をする人間なのではないかと私は疑っています。

 

そして、この国家と個人の間にある「中間組織」に対する態度が梅棹さんが指摘した「封建制度」を経験した国とそうでない国とでは決定的な違いがあるのです。

 

この点に留意して次の文章を読んでみてください。

 

「ソビエト権力は独立の組織を持つことを許されていない人間からなる無定形の大衆をおおうている外皮に過ぎないのであるから、ロシアでは地方政府のようなものでも存在しない。現在のロシアの世代は自発的な集団活動というのを全く知らないでいる。従って政治的道具としての党が統一と有効性を破壊されたならば、ソビエトロシアはもっとも強力な国民社会の一つから、一夜にしてもっとも弱い、もっとも憐れむべき国民社会へと転落することになるだろう。」

 

これはアメリカの伝説的な外交官であったジョージ・ケナンが1947年6月に『フォーリン・アフェアーズ』にXという匿名で書かれたもので、実際に40年後に実現してしまったことでよく引用されています。

 

ケナンはこの文章でスターリン統治下のソ連について書いており、これまで私もケナンのいう「自発的な集団活動」を弾圧していたのはソビエトに特有なことと思っていたのですが、習近平もそれと同じことをやるようになって私も驚いているのです。

 

ちなみに権力者の意向に反する中間組織を徹底的に弾圧しているのは、現在のロシアのプーチン大統領も同じなのです。

 

テンプル大学のジェームス・ブラウン氏がこのことを『日経ビジネス』に書いています。

 

 「依然として独立した行動を続けようとした他のオリガルヒたちは、プーチン政権によって全面的に破壊された。そのうちの何人かは、経営していた会社を違法に押収され、刑務所に送られるのを避けるためにロシアから逃げた。」

 

https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00023/122500228/?P=1

 

この記事では触れられていませんが、地方自治の問題についても米ソ冷戦が終わった後でロシアでも地方において日本のように知事を選挙で選ぶことにしていたのですが、プーチン大統領に反発する知事が出てきたために選挙は廃止され中央から派遣される形に戻ってしまったのです。

 

つまりケナンが1947年に指摘した「自発的な集団活動」を許さないという問題は現在の中国やロシアにも確実に受け継がれており、その原因を探れば梅棹忠夫さんが指摘した「封建制度」の問題にたどり着くのです。

 

果たして権力者の意向ばかり気にかける経営者だけがゆるされて、少しでも逸脱すれば徹底的に弾圧されてしまう社会で活力ある経済が作れるのか本当に私は疑問に思います。

 

最後に梅棹さんの文章を引用して終わります。

 

「(ロシアや中国を含む)第二地域の特殊性は、けっきょくこれだと思う。建設と破壊のたえざる繰り返し。そこでは一時はりっぱな社会をつくることができても、その内部矛盾がたまってあたらしい革命的展開に至るまで成熟することができない。もともとそういう条件の土地なのだった。」

昨年の末に戦後を代表する知識人だった梅棹忠夫さんの『文明の生態史観』を再読して、その大胆な仮説とわかりやすい文章に感銘を受けました。

 

ただこの梅棹理論が現代にも通用するのか、特に中国の問題に関しては再検討が必要と思われるので今回はこのことについて書いてみたいと思います。

 

梅棹忠夫さんの『文明の生態史観』はユーラシア大陸における経済発展の理論を示したものです。(よってアメリカやオーストラリアなどは除かれています。)

 

梅棹さんは、ユーラシア大陸の西の端にある西ヨーロッパと東の端にある日本を「第一地域」と名づけています。そして、その地域だけが第2次大戦後に安定的な経済成長を成し遂げたのですが、その理由を過去に「封建制度」を経験したことにあるのではないかと仮定したのでした。

 

「具体的には、封建制度のもとに育成されたブルジョワが、支配権を握ることによって、資本主義体制による文明の建設を図る型である。そこでは革命を通じて巨大な変革が行われたように見えながら、全て、意外に過去の伝統の保存がある。」

(ブルジョワはフランス語で中産階級と訳される事が多い)

 

一方、ユーラシア大陸の内部の地域、現在で言えばロシア、中国、インド、アラブを梅棹氏は「第2地域」と命名し、そこでは歴史的に封建制度を経験してこなかったために、強力な中産階級が出現せず、安定的な経済成長が果たされてこなかったというのです。

 

第2地域の中でも特にロシアや中国は共産革命によって近代化を果たそうとしたのですが、それが本当にうまくいくのか梅棹さんは疑問に思い、第2地域の特性を「建設と破壊のたえざる繰り返し」と結論づけたのでした。

 

『文明の生態史観』が書かれたのは1967年で、それから20数年後にソ連があっという間に崩壊したことを考えると梅棹さんが預言者と呼ばれることも納得できるのです。 

 

ところが、現在の中国の存在が梅棹さんの理論を揺るがしているのではないかと考えられるのです。

 

中国で共産革命が起こり、半植民地の状態から完全な独立国に持っていった毛沢東ですが、続く大躍進政策や文化大革命で中国を近代化させるという夢は完全な失敗に終わります。

 

次に登場した鄧小平は、中国自身では決して生み出すことのできなかった分厚い中産階級を外国の力を使って生み出すことを思いついたのです。

 

鄧小平の「改革開放」政策とは欧米や日本から企業や工場を誘致して資本主義のエンジンになる中間層を創出するという目的の元で行われ、この成功によって経済規模で日本を抜いてアメリカに次ぐ地位を獲得するに至ったわけです。

 

つまり、中国は歴史的に梅棹さんが指摘した封建制度を経験していないのにも関わらず、高度な資本主義を運営できる能力があることを示したわけです。

 

そうであれば、梅棹忠夫氏の『文明の生態史観』は間違っていたのでしょうか?

 

たしかに、中国でこのまま鄧小平路線が続いていれば、梅棹さんの理論は間違っていた可能性がありますが、中国で習近平という新たな指導者が政権につき、その路線転換によって梅棹さんの理論が復活するのではないかと私は考えるに至りました。

 

次回はその理由を説明してみたいと思います。

近頃あまりブログを更新していなかったのですが、その間にも歴史の80年周期説は興味を持った人が多かったみたいなのでで少し続きを書いてみました。

 

以前に紹介したジョージ・フリードマンの最新刊が日本語に訳されて『2020-2030 アメリカ大分断』というタイトルで発売されています。

 

この本でフリードマンはアメリカの歴史において80年ごとに訪れる周期を「制度的変化」(Institutional Change)と名付けています。

 

1945年の第2次世界大戦の終わった年を起点とし、その80年前の1865年はアメリカの内戦であった南北戦争が終わった年でした。(南北戦争は1861-1865です)

 

さらに南北戦争の終わった1865年からおよそ80年遡る(実際は79年)1776年にはアメリカで独立宣言が行われた年になるとフリードマンは指摘しています。

 

そして1945年から80年経った2025年あたり(ちょうど1期目のバイデン政権が終わるころ)次の重大な変化がおとずれるのではないかと予想するのです。

 

こんなのはただの偶然じゃないのかと思われる人の方が多いと思われますが、この80年周期はアメリカだけでなく日本やヨーロッパにも適用できるのではないかと私は思っています。

 

アメリカで南北戦争が戦われている時、日本では明治維新の真っ最中で南北戦争が終わった年の2年後の1867年は徳川慶喜による大政奉還が行われた年でここで二百数十年続いた江戸時代が終わりを迎えるのです。

 

ここでヨーロッパに注目すると日本の大政奉還から3年後の1870年に普仏戦争が勃発し、プロイセンが勝利することで中世以来バラバラだったドイツがようやく統一を果たすのです。

 

また、ドイツが念願の統一を果たした1870年からさかのぼることおよそ80年前(正確には81年)の1789年はあの有名なフランス革命が勃発した年にあたるのです。

 

フリードマンは南北戦争の80年前の1776年にアメリカの独立宣言が行われたと指摘していましたが、1870年のドイツ統一からおよそ80年前にあたる1789年から始まるフランス革命とはそんなに離れていません。

 

日本でも明治維新からさかのぼること80年前、それがどのような時期であったかと言えば、『物語フランス革命』の著者である安達正勝氏は次のように書いています。

 

「フランス革命の本格的火蓋が切られた一七八九年はちょうど寛政元年にあたる。時のフランス国王はルイ十六世であったが、日本は徳川十一代将軍家斉の時代であり、老中松平定信による寛政の改革が行なわれていた。」

 

フランス革命と寛政の改革はほとんど同じ時期だったのです。

 

これまで書いてきたことをまとめてみます。

 

日本もアメリカもヨーロッパにおいても80年ごとに国家の性質を変えるような大事件が起きているのです。

 

日本 寛政の改革ー明治維新ー1945年

 

ヨーロッパ フランス革命ー普仏戦争ー1945年

 

アメリカ 独立宣言ー南北戦争ー1945年

 

もしこの日米欧「80年周期」仮説が正しいならば、第2次大戦が終わった年である1945年から次の80年周期が始まる2025年に向けて現在は1945年からの波の最終段階であるわけです。

 

このような観点から現在のアメリカやヨーロッパ、日本を眺めてみればどの地域も不安定で楽観的な気分になれず歴史は周期的に変遷していくのではないかという筆者の仮説を裏付けているのではないかと思うのです。