アメリカの元国務長官であったヘンリー・キッシンジャーがドイツの『シュピーゲル』の記者からウクライナでの戦争を理解するのにふさわしい歴史的な出来事はあるのかと聞かれ、そのような例は存在しないと答えていた。

 

https://www.spiegel.de/international/world/interview-with-henry-kissinger-for-war-in-ukraine-there-is-no-good-historical-example-a-64b77d41-5b60-497e-8d2f-9041a73b1892

 

この問題を少し考察してみたい。

 

私自身は最初にロシアがウクライナに侵略したことに対してアメリカを筆頭にロシアがかなり批判されていたのをみて、なぜか直感的に満州事変のことを思い出した。

 

1931年に日本の軍部が満州事変を起こしたときに、それは1921ー1922年のワシントン会議で中国の領土保全を約束した9カ国条約や、1928年の不戦条約などの国際法を違反したのだと主にアメリカから批判されたのだ。

 

今回のロシアの行為もプーチン大統領は国際法に違反していない先制攻撃だと主張していたが、実際は国際法に違反している予防戦争を行なっていた。だからロシアが批判されるのは仕方がないのだ。

 

ただ最初は満州事変とウクライナ戦争はアメリカから激しく批判されたことぐらいしか共通性はないだろうと思っていたが、考えるにつれて意外と似ているのかもしれないと思うようになってきた。

 

日本が満州事変を起こした後で、当時の国際連盟がリットン調査団を組織して満洲問題を調べて解決策を提示していた。

 

それは、満州の独立は認められず、満州は中国に属するものであるが一方で広範な自治を認められるというものだった。日本はこれを蹴ってしまったのだが。

 

2014年にウクライナにおいてクーデターでロシアよりのヤヌコビッチ大統領が逃げ出した後でロシアのプーチン大統領はクリミア半島を奪いウクライナのドンバス地方で内戦を仕掛けたのだった。

 

2015年にできたミンスク2によれば、ドンバス地域のウクライナからの独立は認められないが、広範な自治が与えられると合意されていた。それはリットン報告書の勧告と似ていた。

 

ところがこれで問題は解決しなかった。

 

1931年の満州事変からしばらく経った1937年に日中戦争が始まってしまったように2015年のミンスク2から数年経った2022年からウクライナ戦争が始まったのだ。

 

年表で書いてみる。

 

1921-1922 ワシントン会議

1931 満州事変

1937 日中戦争

 

1989 冷戦終結

2014 クリミア侵攻

2022 ウクライナ戦争

 

なぜこのようになってしまったのだろうか。

 

一般的な意見(conventional wisdom)は次のようなものだろう。慶應大学の細谷という人が書いていた。

 

「1931年の満州事変、1935年のイタリアのエチオピア侵略、1936年のドイツのラインラント進駐に国際社会が行動を起こさなかった(大国と戦争したくなかった)ことは、地獄のような第二次世界大戦を引き起こす背景でした。小さな躊躇が、より巨大な悲劇を生む。侵略者は、国際社会の臆病さを悪用します。」

 

私はこのような解釈には反対だ。ここからは私が今回のウクライナ戦争と満州事変で最も似ていると思ったことを書いてみたい。

 

満州事変からしばらくした1935年の夏にアメリカ国務省の国務次官補であるスタンレー・ホーンベックはアジアでの平和を約束していたワシントン会議からそんなに時間が経っていないのに、アジアでどうしてこのような緊張状態になってしまった経緯について中国で公使を務めたこともあるジョン・アントワープ・マクマリーという外交官に報告書を書かせたのだった。

 

それがマクマリー・メモランダムと呼ばれてるもので、現在でも日本で絶版にならずに『平和はいかにして失われたか』というタイトルで発売されている。

 

このメモランダムでマクマリーは満州事変以後のアジアでの緊張状態をもたらしたのは、驚くことに日本では無くて中国とアメリカだと結論付けていたのである。

 

そのことは、今回のウクライナ戦争で先進国のほとんどがプーチンのロシアを批判しているのにシカゴ大学のミアシャイマー教授だけがこの戦争をもたらしたのはアメリカのせいだと一貫して書いていることと共通性があった。

 

つまり戦前の満州事変と今回のウクライナ戦争でアメリカのリアリスト(現実主義)であったジョン・マクマリーとジョン・ミアシャイマーという2人のジョンがアメリカの世論と正反対のことを主張していたのだ。

 

マクマリーがこのメモランダムを書いた時の状況をアーサー・ウォルドロン教授が次のように書いている。

 

「結論からいうとマクマリーの情勢分析とその解釈は当時の一般常識からは大変かけ離れたものであった。米国の大部分の人々はその頃、日本がアジアを戦争に投げ込むドラマの悪役であることを信じていたが、マクマリーはこの考え方に賛成ではなかった。日本の1930年代の新しい強引な政策は、一方的な侵略とか軍国主義のウイルスに冒された結果などでなく、それに先立つ時期のアメリカを含む諸国の行為がもたらしたものだった。」

 

前回のブログで私の下手なミアシャイマー教授の翻訳を読んでくれた人には理解できると思うが、上記したウォルドロン教授の文章で日本の代わりにプーチンのロシア、アジアの代わりにヨーロッパと入れ替えるだけでそれはウクライナ戦争におけるミアシャイマー教授の主張と全く同じになるのだ。

 

というわけで、今回のウクライナ戦争と満州事変には意外な共通性が存在したのだ。

 

『ナショナル・インタレスト』にジョン・ミアシャイマー教授のエッセイが載っていましたので、勉強するつもりで翻訳してみました。ウクライナ戦争に興味がある人やこれからどうなるだろうと不安に思っている人は是非読んでみてください。

 

あまり翻訳はしたことがなくて不安ですが、数回読み返して一応書いている内容は理解できると思っています。

https://nationalinterest.org/feature/causes-and-consequences-ukraine-crisis-203182

 

「ウクライナ危機の原因と結果」ジョン・ミアシャイマー

 

ウクライナの戦争は多面的な厄災で近い将来にはもっと悪くなるだろう。戦争がうまくいけばその原因に誰も注意を払わない。しかし、結果が悲惨なら、なぜこのようになったのかを理解することは最も重要なことである。なぜこのような悲惨な状況に陥ったのかを人々はしりたがっている。私は人生でこのようなことを2回体験したことがある。最初はベトナム戦争で2回目はイラク戦争だった。どちらのケースもアメリカ人はどうしてこんなに状況が悪くなってしまったことを知りたがっていた。アメリカとNATOの同盟国はウクライナ戦争を導く決定的な役割を果たし、現在においては戦争を指導するのに中心的な関わりを持っているので、この厄災をもたらした責任を評価することが適切である。

 

私は今日2つの主要な論点を提供しようと思う。

 

1つ目は、ウクライナの危機をもたらした主要な責任はアメリカにあるということ。これはプーチン大統領が戦争を始めたことを否定するものでは無く、ロシアの戦争指導については彼に責任がある。アメリカの同盟国の責任を否定するものでは無いが、彼らは大概がアメリカについてきているだけである。私の主要な論点は、アメリカがウクライナに対してプーチンや他のロシアのリーダー達がここ数年にわたってロシアの存亡に関わると考える政策を追求してきたこと。特にアメリカがウクライナをNATOに加えることに取り憑かれウクライナをロシア国境の防波堤にしようとしてきたことだった。バイデン政権はこの問題を外交で解決することを拒否して2021年に再びウクライナをNATOに入れようとした。そこでプーチン大統領はその年の1月24日にウクライナを侵略したのだ。

 

2つめはウクライナで戦争が始まった時、バイデン政権はロシアに対して倍返ししたことだった。ワシントンとその同盟国は決定的にロシアが負けることにコミットし総合的な制裁を用いてロシアの力を弱めようとした。アメリカは外交的な解決を考えようともしなかった。そのことで戦争は数ヶ月続くことになった。そのためにウクライナはただでさえ被害を被っているのに更なる害を被ることになった。本質的にアメリカはウクライナを悪い報いを受ける歓楽の道に導いたのだ。さらに戦争が拡大し、NATOが引きずりこまれ、核兵器が使われるかもしれない。我々は極めて危険な時に生きているのだ。

 

もう少し細かく私の言論を展開させてほしい。まずは一般的に言われているウクライナでの争いの原因についてだ。

 

西側で広く固く信じられているウクライナ危機とその戦争の原因は唯一プーチンに責任があるというものについて、彼には帝国主義的な野望があり、ウクライナや他国を征服してソビエト連邦のような大ロシアを築こうとしていると言われている。別の言葉で言えば、ウクライナは最初の目標に過ぎず、決して最後ではない。ある学者は「プーチンには悪意のある長期的な目標がある。世界地図からウクライナを消すことだ」と言っている。そのようなプーチンの目標があるためフィンランドとスウェーデンがNATOに加盟することや東ヨーロッパの軍事力を強めることは完全に意味のあることで、帝国ロシアは封じ込められなければならないのだ。

 

これらの言説は繰り返し繰り返し主要なメディアや西側のリーダーから流されているが、それを支持する証拠は存在しない。このような一般的な言説を広めている人が提供する証拠はプーチンがウクライナを侵略した動機とはほとんど関連性がない。例えば、ある人はウクライナは「人工的」な国家であり、「現実」の国家ではないと言う。そのような不透明な言葉はプーチンが戦争を行った理由にはならない。同じことはプーチンが口にするウクライナ人とロシア人は同じ民族で同じ歴史を持っているというのにも言える。他の人は彼がソビエト連邦が崩壊したことが今世紀中の最大の地政学上の悲劇だと語ったことを指摘する。もちろんプーチンは「ソビエトが無くなったことを惜しむし人は心がない。その復活を望む人は頭がない」とも言ったのである。さらに別の人たちは「現代ウクライナは全面的にロシアにもっと厳密に言えばボルシェビキの共産ロシアによって作られたのだ」と宣言したことを指摘する。しかし彼は同じスピーチで今日のウクライナの独立に言及して「もちろん我々は過去を変えることはできないし、少なくとも正直に独立を認めなくてはならない」とも語っているのだ。もしもプーチン大統領がウクライナを征服してロシアに編入しようと考えていることを証明するには、一つ目にはそれが望ましい目標で、2つ目はそれが実行可能で、3番目はその目標を追求しようとしていることを証明しなければならない。公的な記録でプーチンがそのようなことを考えている、ましてやウクライナの独立を終わらせ、大ロシアを追求するために1月24日にウクライナに兵を送ったという証拠は存在しない。

 

実際、プーチンがウクライナの独立を認めていたという証拠は山ほど存在する。2021年7月21日のロシアーウクライナ関係の文章(ロシアの帝国的な野望が存在すると言われている)の中で、プーチンはウクライナの人々に向かって「あなた達が独立した国を望んでいることについては大歓迎だ。」ロシアがウクライナをどのように扱うかについては「一つの答えしかない。尊重だ。」彼は長い文章を次のような言葉で締め括っている。「どのようなウクライナになるかについてはそこに住んでいる人々が決めるべきだ。」これらの言葉からプーチンがウクライナを大ロシアに編入しようと考えていることと両立させることは不可能である。

 

2021年の7月12日の記事や今年の1月21日の重要なスピーチでプーチンはソ連邦が崩壊した地政学上の現実を受け入れると明言している。1月24日にロシアがウクライナに侵攻する時も同じことを言及しているのだ。

特に彼は「ウクライナの領土を占領するつもりはない」と宣言し、ある程度のところまではウクライナの主権を認めるといっている。「こんにちのウクライナの領土からくる永遠の脅威からロシアは安心を感じられず、発展も生存もできない。」要約すれば、プーチンはウクライナをロシアの一部にするつもりは無く、ウクライナが西側の侵略の起点にならないことを確かにしたいのだ。

 

プーチンが自分の動機について自分の帝国主義的な本心を偽って嘘を言っていると思う人がいるかもしれない。私はそのことで『なぜリーダーは嘘をつくのか』という本を書いたことがあるのだが、プーチンは決して嘘をついていない。最初に、私の主要な発見はリーダー達はお互いに対してはあまり嘘をつかないということだった。一方で自分の国民に対してはしばしば嘘をつくのだ。プーチンに関して言えば、彼をどのように思おうと他のリーダーに対して嘘をつくという歴史はない。ある人はプーチンはよく嘘をつき信じることができないと断言するが、外国の観衆に対して嘘をついているという証拠はほとんど無い。それ以上に彼はここ2年間ウクライナに関して何度も公的に喋っており、彼の主要な関心はウクライナと西側との関係性、特にNATOとの関係にあった。彼はウクライナをロシアの一部にすると仄めかしたこともなかった。もし彼の言動が全て嘘だったとすれば、それは歴史に前例がない大掛かりな嘘になってしまう。

 

プーチンがウクライナを征服してロシアに吸収しようとしてはいないことを最も良く示していることはロシアがウクライナで用いている軍事戦略だ。ロシア軍はウクライナ全土を攻略するつもりは無かった。もしもそれを実行するならば制空権をとって電撃戦を行い速攻でウクライナを急襲する必要があった。そのような戦略は実行不可能であった。なぜならロシア軍は190000人しかおらず、ウクライナを占領するには少なすぎた。ウクライナは大西洋からロシアの間において最も大きい国で4000万人以上の人口がいるのだ。そこでロシアは制限された戦略でキエフを攻略して南部と東部の土地を取ろうとしたことは不思議ではない。ロシアはウクライナ全土を屈服させる必要は無く、ましてや他の東ヨーロッパの国を征服する必要は無かった。

ラムジー・マルディーニが観察するように、ロシアの制限された目標を示すものはロシアがウクライナで傀儡政権を作ろうとしているという証拠は無く、ロシアに味方するウクライナのリーダーを見つけようとしたことも無く、ウクライナ全土を占領してロシアに編入することを可能にするどのような政治的な措置を取っていないことだ。

 

この議論を少し発展させてみると、プーチンや他のロシアのリーダーも冷戦の経験からナショナリズムの時代に他国を占領することは終わりのない面倒をもたらすことを熟知していた。ソビエトのアフガニスタン占領は明白な証拠だったし、もっと関連性があったのは東ヨーロッパの同盟諸国との関係だった。ソビエトはこの地域に巨大な軍を置いており、その地域の全ての内政に介入していた。しかしこれらの同盟国はいつもソビエトの揉め事の元になっていた。1953年にソビエトは東ドイツの反乱を鎮圧したし、1956年にはハンガリー、1968年にはチェコスロバキアに侵攻して抑えたのだ。ポーランドでも1956、1970、1980ー1981年に深刻なトラブルが発生した。これらはポーランド自身で対処したが、ソビエトが介入する必要があることを思い出させた。アルバニア、ルーマニア、ユーゴスラビアもいつもモスクワに悶着を起こしたが、モスクワのリーダー達はそれに対しては我慢した。なぜなら彼らはNATOを抑止するためにはあまり関係が無かったからだった。では、現在のウクライナはどうだろう。プーチンの2021年7月12日のエッセイで明らかだが、彼はウクライナのナショナリズムが強力であることを理解しており、2014年から始まったドンバスでの戦争でウクライナとロシアの関係は悪化していた。だから、プーチンはロシアがウクライナでは歓迎されていないことを知っており、ウクライナ全土を制圧することは不可能だと思っていたに違いない。

 

最後に指摘しておきたいのはプーチンが政権についた2000年から最初のウクライナ危機が起こった2014年の2月22日まで誰もプーチンの帝国主義的な野望があることについて触れていなかったことだ。事実、ロシアのリーダーが2008年の4月にNATOのブカレスト・サミットに招かれた時に将来にウクライナとジョージアがNATOに加盟することが発表された。その時にプーチンは反対したがワシントンには何の反応ももたらさなかった。なぜならロシアは弱過ぎて反対してもどうにもならないと思われていたし、1999年と2004年のNATOが拡大された時も同じ反応だったのだ。

 

そして重要なことは2014年2月以前のNATO拡大はロシアの封じ込めを狙ったものでは無いということだ。ロシアの惨めな軍事力をみて、当時のモスクワに東ヨーロッパに対して復讐を果たす能力はなかった。アメリカの駐モスクワ大使のマイケル・マクファウルが指摘しているように2014年の危機が起こった時にクリミアを奪取することは計画されたものでは無かった。それはロシア寄りの大統領がクーデターで倒されたことでの衝動的な動きだった。NATO拡大は、短く言うと、決してロシアの脅威を封じ込めるものではなく、アメリカがリベラルな秩序を東欧まで広げようと考えられたものだったのだ。

 

2014年の2月にウクライナの危機が起こった後で初めてアメリカとその同盟国はプーチンが危険な人物であることを認識してロシアの脅威を封じ込めなければならないと考えたのだ。何が原因を転換させたのか。新たなレトリックは一つの基本的な目的を持っている。それはウクライナの危機が発生したことをプーチンの責任にしようとしたのだ。そして危機が全面戦争になり、プーチンだけに責任が存在する必要に迫られた。そこで何の証拠も存在しないのに、プーチンが帝国主義的だと非難されるようになったのある。

 

ここからは、ウクライナ危機の真の原因を探っていこう。

 

この危機の根本的な原因はアメリカがウクライナをロシアの西側の国境の防波堤にしようと考えたことだった。この戦略には3段階が存在している。ウクライナをEUに加えること。ウクライナを西側に友好的な自由民主主義国にすること。そして最も重要なことはウクライナをNATOに編入することだった。この戦略は2008年4月のブカレストでの会議で「ジョージアとウクライナを将来NATOに加える」と宣言されてから動き出した。ロシアのリーダー達はこの宣言に対し、即座に怒りを表明しこれはロシアの存在に関わる脅威であることをはっきりさせ、両国を決してNATOに加入させないことを表明した。ロシアで尊敬されているジャーナリストによれば、プーチンは怒り狂い「もしウクライナがNATOに加入するならば、クリミアや東部のウクライナを失ってからそうすれば良い。ウクライナはバラバラになるだろう」と語ったという。

 

現在のCIAの長官であるウイリアム・バーンズはブカレスト会議の時はロシア大使であり、コンドレッサ・ライス国務長官に対して次のような簡潔なメモを送っていた。「ウクライナをNATOに加盟させることはプーチンだけではなくロシアの他のリーダー達にとっても最も輝くレッド・ライン(危険信号)であり、ロシアの要職にある人々と2年半会話してわかったことは、クレムリンの奥にいる粗野な男からプーチンを批判するリベラルな人を含めてウクライナをNATOに組み込むことはロシアの利益に対する直接の挑戦以外の何者でもないということ」でNATOは「ロシアに挑戦する存在と見られて、ウクライナとロシアの関係は完全に凍結され、ロシアがクリミアやウクライナの東部に介入する重要な要素になるだろう。」

 

バーンズ長官以外にもロシアをNATOに組み込むことが危険を孕んでいることを理解している人はいた。実際、ブカレスト・サミットでドイツのメルケル首相とフランスのサルコジ大統領はウクライナの加盟にはロシアが怒ることを知っていて反対していた。メルケル首相は最近に彼女の反対の理由を説明している。「プーチンがそれを許さないであろうことを私は知っていた。彼の見解からすれば、NATOにウクライナを加えることはロシアに対して宣戦布告するのと同じだ。」

 

ところがブッシュ大統領はプーチンの「輝けるレッド・ライン」に対してほとんど気にすることはなく、フランスとドイツに対して将来ジョージアとウクライナをNATOに加盟させるように圧力をかけていた。何も驚くことがなかったように、ジョージアをNATOに組み込むことは2008年8月のジョージアとロシアの戦争に繋がってしまった。ブカレスト会議から4ヶ月後のことだった。それにも関わらずアメリカとその同盟国はウクライナをロシアの西側の防波堤にすることを続けたのだった。この努力はロシアよりのヤヌコビッチ大統領がクーデターで逃げ出した後の2014年2月に大きな危機として爆発する。彼はアメリカ寄りのアルセニー・ヤセニューク大統領に取って代わられた。それに反応する形で、ロシアはウクライナからクリミア半島を取り上げ、東部ウクライナのドンバス地方でウクライナ分離主義者とウクライナ政府の内戦を仕掛けたのだった。

 

あなたはしばしば2014年2月のクリミア危機から2022年2月に戦争が始まるまでの8年の間アメリカとその同盟国はウクライナをNATOに加入させることに関して注意をほとんど払っていないと議論を聞いたかもしれない。NATO拡大問題はテーブルから離れ、だからその問題は戦争の原因になるはずが無いというのである。この議論は間違っている。2014年の出来事に対する西側の反応は以前の戦略をより加速させるもので、ウクライナをよりNATOに近づけるものだった。2014年から同盟はウクライナ軍を平均して毎年一万人を8年にわたって訓練するようになったのだ。2017年の12月にトランプ政権はウクライナに対して防御的な兵器を提供することに決めた。他のNATO諸国もこれに続き沢山の兵器をウクライナに提供した。さらにウクライナ軍はNATO諸国と共同の訓練をするようになった。2021年7月にはキーウとワシントンは「潮風」作戦を共同で開催した。これは黒海において31の国の海軍がロシアに対抗するというものだった。その2ヶ月後の2021年9月にはアメリカ陸軍が「どのような危機にでも対抗できる同盟間の共通性を強めるように工夫された毎年行われる演習」と表現されるRapid Trident 21というものをウクライナ軍がリードした。なぜ今回の戦争でウクライナ軍がロシア軍相手にうまく戦うことができているのかはNATOがウクライナ軍をうまく訓練したおかげだった。『ウォール・ストリート・ジャーナル』は「ウクライナ軍の成功の秘密:何年にもわたるNATOの訓練」と書いたのだ。

 

ウクライナ軍を強力なものにするNATOの努力に加えて、ウクライナをNATOに編入して西側に組み込むという政策が2021年に変化した。キーウとワシントンでその目標に対して新たな熱意が加わった。ゼレンスキー大統領が2019年3月に大統領に選ばれた時はNATOに加わることにそんなに熱意は無く、ロシアと共同して危機を乗り越えるつもりが2021年の始めにそれを転換させNATO拡大に賛成するとともにロシアに対して強硬な態度を取るようになった。ロシア寄りのテレビ局を廃止したり、プーチン大統領の友人を反逆罪で起訴したりしてモスクワを怒らせるようになったのだ。

 

2021年に就任したバイデン大統領はこれまでも熱心にウクライナをNATOに組み込むことに努力してきたし、ロシアに対しては超強硬派だった。2021年6月14日に毎年ブリュッセルで行われるNATOのサミットで次のようなコミュニケが発表された。

 

「2008年のブカレストで決定されたウクライナをNATOの予備的なメンバーにすることをを繰り返し述べた。我々はその決定と同じく加盟国は自己の利点を自分で判断することを含む決定を再確認することにした。ウクライナが自分の将来や外交政策を外部からの介入が無い状態で決める権利があることを固く支持するものである。」

 

2021年9月1日にゼレンスキーはホワイトハウスを訪問した。そこでバイデン大統領はウクライナの「ヨーロッパー大西洋」に対する望みを叶えるためアメリカが深く関わることを明らかにした。そして2021年11月10日にブリンケン国務長官とウクライナのカウンターパートであるドミトロ・クレバは「戦略的提携に関するアメリカーウクライナ憲章」という重要な文書にサインしたのだ。この文書の目的は「ウクライナがヨーロッパやヨーロッパー大西洋の制度に統合されるのに必要な深く総合的な改革を実行することにアメリカが関与することを強調するものである。」この文書は明らかにウクライナとアメリカの戦略提携を強めるものだけではなく、2008年のブカレスト・サミットの宣言を再確認するものだった。

 

2021年の初頭からウクライナがNATO加盟に急速に向かっていることはほとんど疑問は無かった。それなのに、この政策の支持者達はNATOは防御的な同盟でモスクワの脅威にはならないからモスクワは恐れる必要はないというのだった。しかしプーチンやその他のロシアのリーダーはNATOに対してはそのようには考えなかった。そして彼らがどう考えるかの方が重要である。ウクライナがNATOに加わることは彼らにとって「最も輝けるレッド・ライン」であることに疑問はなかった。

 

このような脅威に対してプーチンは2021年の1月から2月にかけてウクライナとの国境の兵力を増強した。彼の目的はバイデンとゼレンスキーの進むコースを変えさせてウクライナを西側に統合することを阻止することだった。2021年12月17日にモスクワはバイデンとNATOに対して別々の書簡を提出している。1)ウクライナがNATOに加入しないこと。2)ロシアとの国境に攻撃的な兵器を置かないこと3)1997年から東ヨーロッパに提供しているNATOの兵力と武器を西ヨーロッパに戻すこと。これらを書かれた文書で保障してほしいというものだった。

 

プーチンはこの期間に何度も公式の発表で、ウクライナのNATO編入はロシアの存在に関わる危機であることを疑問のない形で表明している。2021年12月7日に国防委員会でプーチンは「彼らがウクライナでしていること、しようとしていること、計画していることは我々の国境から何千キロも離れている所で行われているのではない、我々のドアのそばで行われているのだ。我々はこれ以上退却することができないことを彼らは認識すべきだ。彼らが我々はその脅威を見れないとでも思っているのか。我々が黙ってその脅威が現れるのを何もしないで立っているだけと思っているのか」と語った。2ヶ月後の戦争が始まる数日前の2022年2月22日の記者会見でも「我々は断固としてウクライナがNATOに加盟することに反対する。それは我々に脅威を及ぼすからで、そのことを補強する議論はいくらでもできる。この場所で何度も語ってきた。」そして彼はウクライナが事実上のNATO加盟国であることを明白にした。「アメリカとその同盟国は、現在のキーウ政府に多量の近代的兵器を渡しており、もしそれが止められなかったらモスクワは徹底的に武装された反ロシアの勢力と向き合うことになり、それは絶対に受け入れられない。」

 

プーチンの論理はモンロー・ドクトリンに関与してきたアメリカ人に対して完璧な意味を持っている。アメリカ大陸から離れた大国がアメリカ大陸に軍隊を置くことは許されないのだ。

 

戦争に至る数ヶ月にわたるプーチンの公式の声明の中でウクライナを侵略してロシアの一部にすること、ましてや東ヨーロッパを攻撃することをプーチンが考えているという証拠はほとんど無かった。国防大臣、外務大臣、外務副大臣、ロシア大使などのリーダー達もウクライナの危機はNATOの拡大が招いていると強調していた。ラブロフ外務大臣は2022年1月14日の記者会見で簡潔に語っている。「NATOが東側に拡大しないことを保証するのがすべての鍵だ。」

 

それにもかかわらず、アメリカとその同盟国がウクライナをロシア国境の橋頭堡にしようとしていることを断念させることにラブロフとプーチンは完璧に失敗した。ブリンケン国務長官は12月中旬のロシアの要望に対して「何の変化もない。そこには何の変化も無い」と言っただけだった。そこでプーチンはNATOからの脅威を消去するためにウクライナに侵攻したのだ。

 

ウクライナの戦争はもう4ヶ月も続いており、これまで何が起こり、これからどうなるかについて観察を述べたい。3つの具体的な問題について述べることにしよう。1)戦争の結果でウクライナがどうなるのか。2)核の使用を含めた、戦争がエスカレートする見通し。3)将来に戦争が終わる見通し。

 

この戦争はウクライナにとって紛れもなく災難だ。私が書いたようにプーチンはウクライナがNATOに加盟することを阻止するためにはウクライナを潰すことを公言しており、それを実行したのだ。ロシアはウクライナの20%の領土を占領し、多数のウクライナの市や町を破壊し損害をあたえている。650万人がウクライナから脱出し、800万人以上の国民が国内で難民化している。何千人の無辜の市民が死んだり、負傷しておりウクライナの経済はボロボロだ。世界銀行は2022年にウクライナ経済が50%に縮むことを予想している。およそ1000億ドルの損害が出ると予想され、それを立て直すためには1兆ドルに近い費用が必要と言われている。その途中でキーウが政府を動かすのに毎月50億ドルの費用が必要だ。

 

さらに、ウクライナがアゾフ海や黒海の港を再び使えるようになる希望はほとんどない。戦争が始まる前、およそ70%の輸出入(98%の穀物輸出)がこれらの港を使用していた。これらが4ヶ月弱の戦争で起こったことだ。あと数年続いたらと考えるととても恐ろしい。

 

では次の数ヶ月で、交渉によって合意を得て戦争を終わらせるという見通しはどうか。残念ながらすぐに戦争が終わる見通しは、統合参謀本部議長のマーク・ミリーやNATOのジェンス・ストルテンバーグと同じように私にも立たない。私が悲観的な理由はアメリカもロシアも戦争に勝つことに深くコミットしており、両者が勝つような合意を考えることはできないからだ。もっと具体的に言えば、ロシアの見通しでは、ウクライナを中立化させキーウが西側に入ることを阻止することが解決の鍵になってくる。しかし、そのような結果はバイデン政権とアメリカの外交エスタブリッシュメントの大部分には受け入れ難いのだ。なぜならそれはロシアの勝利と見做されるからだ。もちろん、ウクライナもこれ以上の犠牲を払うことが嫌になって中立化を望むという希望があるかもしれない。ゼレンスキーは戦争の最初の方にその可能性を示唆したが、それを真剣に追求したことは無かった。ウクライナに存在する力を持った超ナショナリスト達はウクライナの外交関係についてロシアからの要求を受け入れることに全く興味は無くキーウが中立化を提案するチャンスはほとんど無い。バイデン政権やNATO東側にあるポーランドやバルト諸国もこの点についてはウクライナの超ナショナリスト勢力を支持するだろう。

 

さらにややこしいのは、ロシアが占領している広大な土地とクリミア半島をどうするかだ。ロシアがこれらの土地の一部を自発的に諦めること、ましてや全てを放棄することは考えられず、プーチンの領土的目的も戦争前に言っていたこととは違っているだろう。それと同時にウクライナ側もクリミアを除いてロシアがウクライナのどんな土地を保有することにも納得しないだろう。私が間違っているかもしれないが、これが戦争に終わりが見えない理由だ。

 

エスカレートする可能性についてもみてみたい。国際関係論の学者の間で広く受け入れられている見解に、行き詰まった戦争は拡大しやすいというものがある。時間が経つにつれて他の国々が戦争に引き摺られ、暴力のレベルがあがるのだ。それがウクライナで起こる潜在性はリアルだ。アメリカとNATOの同盟国が、これまでは大丈夫だったが、戦いに引きずられていく可能性がある。もうすでに代理戦争になっているのだ。

さらにウクライナで核兵器が使われて、アメリカとロシアで核兵器の撃ち合いに結びつく可能性もある。こうなる理由は前にも書いた通り、アメリカやロシアにとってこの戦争に対して掛け率が高くなっており、双方が負けを認められなくなっているからだ。

 

私が強調したようにプーチンとその部下達はウクライナが西側に加わることがロシアの生存に対する危機と考えてそれを潰そうとしている。それはロシアがウクライナ内部での戦争に勝利することを意味しており、負けは認められないのだ。他方バイデン政権の目標はウクライナでロシアを決定的にやっつけるだけでなく制裁によってロシア経済に大きな損害を与えることにもある。ロイド・オースティン国防長官はロシアが2度とウクライナを侵攻できないようにするまでにロシアを弱めることが目標だと強調している。実際にバイデン政権はロシアを大国の座から落とすように動いているのだ。それと同時にバイデン大統領はロシアのウクライナでの戦争を「大虐殺」と呼び、戦争が終わった後でプーチンを戦争裁判にかけて戦争犯罪人として訴えると言っている。そのようなレトリックを用いて戦争を終わらせる交渉などできないだろう。どうやって大虐殺国家と交渉するのだ。

 

アメリカの政策は重大な2つの結果をもたらした。1つ目はモスクワが直面する生存上の危機を拡大させウクライナでロシアが勝つことの重要性を認識させた。それと同時にロシアを負かすことにアメリカが深く関与することになった。バイデン政権は物質的な意味でも修辞学的にもウクライナに多大な投資をしているのでロシアが勝利することはワシントンにとって破壊的な敗北になるのだ。

 

明らかなのは両方が勝利することはできないということ。それ以上に片方が悲惨な負け方をする可能性がある。アメリカの政策が成功して、ウクライナが戦場で勝つようになればプーチンはそれを挽回するために核兵器を使うかもしれない。国家情報長官のアヴィリル・ヘインズは3月の上院の軍事委員会でロシアが核を使うかもしれない2つの状況のうちの1つがそのような場合だと述べた。そんなことはあり得ないだろうと思っている人は冷戦において同じような状況でNATOは核の使用を考えていたのだ。もしロシアが核を使ったら、バイデン政権がどのように反応するかはわからない。そうなればバイデン政権に対して仕返ししろとの圧力が高まり、大国間の核戦争の脅威が広がるのだ。ここにはひねくれたパラドックスが存在する。アメリカと同盟国が成功すれば成功するほど、核戦争の危機が高まるのだ。

 

今度は逆にアメリカとその同盟国が敗北に向かっていることを考えてみよう。それはウクライナ軍がロシア軍に叩かれてキーウ政府は自国の領土を出来るだけ確保しようと交渉するだろう。そうなった時にアメリカとその同盟国に対してもっと介入しろという圧力が加わるだろう。そうなった場合アメリカ兵やポーランド兵が戦いに加わる可能性があって、そうなればロシアとNATOが文字通りに戦うことになる。

この時にロシアが核を使うかもしれないというのがヘインズ長官の2つ目のシナリオなのだ。このような状態になった時に、どのように出来事が動くかを正確に予想することはできないが、そのような可能性を考えるだけで脊髄までの震えが止まらない。

 

この戦争から起こる他の悲惨な結果も考えることができる。時間の都合上詳細に述べることができないが。例えばこの戦争が食糧危機を引き起こし何百万人の人々が亡くなるとか。世界銀行のデビッド・マルパス総裁が「ウクライナ戦争が続けば人的な大災害である食糧危機が起こるだろう」と語った。それ以上にロシアと西側の関係が徹底的に毒されてそれを修正するのに数年を要する。その間の敵意で世界が不安定化する、特にヨーロッパだ。ある人は希望の兆しが見えるという。それはウクライナ戦争のおかげで西側の関係は良くなったと言う人がいる。この瞬間はそうかもしれないが、その表面の下では激しい分裂が存在し時間が経つにつれて表面化してくるだろう。例えば西ヨーロッパと東ヨーロッパの関係は戦争が続くにつれて悪化するだろう。なぜなら戦争に対する利益や見通しが全然違うからだ。

 

最後にこの紛争はもうすでに世界経済に損害を与えており、時間が経つにつれてひどくなってくるだろう。JPモルガン・チェイスのCEOであるジェイミー・ダイアモンドは経済的な嵐を想定しなければならないと言っている。もし彼が正しければこれらの経済的なショックが全ての西側の国の政治に影響を与え民主主義を傷つけ左右の対立を激化させるだろう。ウクライナ戦争の経済的影響は西側だけでなく全世界に及ぶ。国連が先週出したリポートによると「この紛争が人間の損害に及ぼす効果は国境を超えて拡大していき、全ての面においてこの戦争はこの世代に見たこともない全世界でのコスト危機を悪化させて、生命や生活手段や生きる希望を2030年まで傷つけるだろう。」

 

簡単に言って、ウクライナ戦争は巨大な災害である。ゆえに私が最初に述べた通りに人々はその原因を探すことになる。事実や論理を信ずる人々はすぐにアメリカとその同盟国に主要な責任があることを発見するだろう。2008年4月のジョージアとウクライナをNATOに加盟させるという決定がロシアとの衝突を運命づけたのだ。ブッシュ政権がその運命の選択の主要な建築者になったのだが、それに続くオバマ、トランプ、バイデン政権もその政策を強化して同盟国は律儀についていった。ロシアのリーダー達がウクライナをNATOに組み込むことは「最も輝けるレッド・ライン」と完璧に明らかにしていたのにも関わらず、アメリカはロシアの最大限の安全に関することに配慮することを拒否し、容赦なくウクライナをロシアとの国境の橋頭堡にしようとしたのだ。

 

悲劇的な真実は、もし西側がNATOの拡大をウクライナまで追求しなかったら、こんにちウクライナで戦争が起こっていたことは考えられず、クリミアもウクライナのものだったであろう。アメリカとその同盟国に対して歴史はそのとても馬鹿げた政策に厳しい審判を下すであろう。

 

どうもありがとう。

 

終わり




 

今回の安倍元総理の暗殺事件で犯人が旧統一教会に恨みを持っていたことがわかり、

安倍総理の祖父である岸信介と統一教会の関係が盛んに取り上げられています。

 

ここで注意しておきたいのは、今回のウクライナをめぐる戦争でも同様ですが、犯人の言い分を少しでも理解しようとするとそれを必ず批判する人が現れるのですが、私はこのような犯罪を正当化(justify)するつもりはありませんし、安倍氏に対してはあまりに理不尽な出来事で本当に残念だと思っています。

 

ロー・ダニエルという韓国人の著者が書いた『竹島密約』という素晴らしい本があるのですが、この本の中で山口県(昔の長州藩)出身の岸信介が韓国について次のように語っている部分があります。

 

「もともとわれわれが子供の時から育った環境でいうと、韓国というのは非常に近くて、釜山との距離は北海道や青森なんていうものではなく、ごく隣という感じです。したがって日韓が断絶した関係にあるということは漁業者、県民が困るということだけでなく、感情的にいっても韓国問題をなんとかしなければならないと思ったね。」

 

おそらくこの感覚は長州藩出身の人たちにしか理解できないものではないかと私は思いました。そして明治維新からの歴史を振り返れば、日本の朝鮮半島に対する政策を決めてきたのは基本的に長州藩出身の人々だったのです。

 

山縣有朋は主権線と利益線という概念を発表しましたが、日本本土が主権線で朝鮮半島が日本の利益線とされたのです。また伊藤博文が最初の韓国統監に選ばれたりもしたのです。

 

日本が第2次大戦に負け、朝鮮半島は日本の支配から解放されることになり、日本と朝鮮半島との間にも新たな関係性を持つことが必要になりました。特に自由主義国陣営に残った韓国との間に安定した関係を持つことは冷戦中の日本にとっては必須でした。

 

私も戦後に韓国と新たな関係を作ろうと岸信介がしたことを非難する気持ちはありませんが、そのアプローチの仕方にかなりの問題がありました。

 

岸信介は韓国の李承晩政権に対する特使として八次一夫という人物を派遣するのですが、その八次氏が『文藝春秋』に「岸首相は日帝統治時代に日本軍閥が韓国国民に対して犯した蛮行をいつもすまなく思っており、また当時の日本の世界政策がどうあったにしても、伊藤博文が隣国を合併したことは大きな失策であったと考えている」と語っていたのです。

 

私はこれを読んでびっくりしました。いわゆる韓国に対する「土下座外交」を始めたのが、東条内閣の国務大臣であり、満洲国を作った男と呼ばれた人物だったとは思いもしなかったからです。

 

そして岸信介が語ったというこの言葉が統一教会の文鮮明に日本には朝鮮半島を植民地にした罪があるから、日本人信者からはいくらでも財産を奪っても構わないという口実を与えることにつながり、安倍元首相を暗殺した犯人の家庭を破壊してしまったのだ。

 

安倍元総理に責任は無いが、戦後にこのような態度で韓国と関係を持とうとした岸信介にはかなりの問題があった。

 

現在日本と韓国の間がうまくいっていないのも、日本には韓国を植民地にした罪があり、いくらでも責任を追求できると韓国が考えているからで、そのような考え方を韓国側に示唆したのが岸信介だったのだ。