アメリカの元国務長官であったヘンリー・キッシンジャーがドイツの『シュピーゲル』の記者からウクライナでの戦争を理解するのにふさわしい歴史的な出来事はあるのかと聞かれ、そのような例は存在しないと答えていた。

 

https://www.spiegel.de/international/world/interview-with-henry-kissinger-for-war-in-ukraine-there-is-no-good-historical-example-a-64b77d41-5b60-497e-8d2f-9041a73b1892

 

この問題を少し考察してみたい。

 

私自身は最初にロシアがウクライナに侵略したことに対してアメリカを筆頭にロシアがかなり批判されていたのをみて、なぜか直感的に満州事変のことを思い出した。

 

1931年に日本の軍部が満州事変を起こしたときに、それは1921ー1922年のワシントン会議で中国の領土保全を約束した9カ国条約や、1928年の不戦条約などの国際法を違反したのだと主にアメリカから批判されたのだ。

 

今回のロシアの行為もプーチン大統領は国際法に違反していない先制攻撃だと主張していたが、実際は国際法に違反している予防戦争を行なっていた。だからロシアが批判されるのは仕方がないのだ。

 

ただ最初は満州事変とウクライナ戦争はアメリカから激しく批判されたことぐらいしか共通性はないだろうと思っていたが、考えるにつれて意外と似ているのかもしれないと思うようになってきた。

 

日本が満州事変を起こした後で、当時の国際連盟がリットン調査団を組織して満洲問題を調べて解決策を提示していた。

 

それは、満州の独立は認められず、満州は中国に属するものであるが一方で広範な自治を認められるというものだった。日本はこれを蹴ってしまったのだが。

 

2014年にウクライナにおいてクーデターでロシアよりのヤヌコビッチ大統領が逃げ出した後でロシアのプーチン大統領はクリミア半島を奪いウクライナのドンバス地方で内戦を仕掛けたのだった。

 

2015年にできたミンスク2によれば、ドンバス地域のウクライナからの独立は認められないが、広範な自治が与えられると合意されていた。それはリットン報告書の勧告と似ていた。

 

ところがこれで問題は解決しなかった。

 

1931年の満州事変からしばらく経った1937年に日中戦争が始まってしまったように2015年のミンスク2から数年経った2022年からウクライナ戦争が始まったのだ。

 

年表で書いてみる。

 

1921-1922 ワシントン会議

1931 満州事変

1937 日中戦争

 

1989 冷戦終結

2014 クリミア侵攻

2022 ウクライナ戦争

 

なぜこのようになってしまったのだろうか。

 

一般的な意見(conventional wisdom)は次のようなものだろう。慶應大学の細谷という人が書いていた。

 

「1931年の満州事変、1935年のイタリアのエチオピア侵略、1936年のドイツのラインラント進駐に国際社会が行動を起こさなかった(大国と戦争したくなかった)ことは、地獄のような第二次世界大戦を引き起こす背景でした。小さな躊躇が、より巨大な悲劇を生む。侵略者は、国際社会の臆病さを悪用します。」

 

私はこのような解釈には反対だ。ここからは私が今回のウクライナ戦争と満州事変で最も似ていると思ったことを書いてみたい。

 

満州事変からしばらくした1935年の夏にアメリカ国務省の国務次官補であるスタンレー・ホーンベックはアジアでの平和を約束していたワシントン会議からそんなに時間が経っていないのに、アジアでどうしてこのような緊張状態になってしまった経緯について中国で公使を務めたこともあるジョン・アントワープ・マクマリーという外交官に報告書を書かせたのだった。

 

それがマクマリー・メモランダムと呼ばれてるもので、現在でも日本で絶版にならずに『平和はいかにして失われたか』というタイトルで発売されている。

 

このメモランダムでマクマリーは満州事変以後のアジアでの緊張状態をもたらしたのは、驚くことに日本では無くて中国とアメリカだと結論付けていたのである。

 

そのことは、今回のウクライナ戦争で先進国のほとんどがプーチンのロシアを批判しているのにシカゴ大学のミアシャイマー教授だけがこの戦争をもたらしたのはアメリカのせいだと一貫して書いていることと共通性があった。

 

つまり戦前の満州事変と今回のウクライナ戦争でアメリカのリアリスト(現実主義)であったジョン・マクマリーとジョン・ミアシャイマーという2人のジョンがアメリカの世論と正反対のことを主張していたのだ。

 

マクマリーがこのメモランダムを書いた時の状況をアーサー・ウォルドロン教授が次のように書いている。

 

「結論からいうとマクマリーの情勢分析とその解釈は当時の一般常識からは大変かけ離れたものであった。米国の大部分の人々はその頃、日本がアジアを戦争に投げ込むドラマの悪役であることを信じていたが、マクマリーはこの考え方に賛成ではなかった。日本の1930年代の新しい強引な政策は、一方的な侵略とか軍国主義のウイルスに冒された結果などでなく、それに先立つ時期のアメリカを含む諸国の行為がもたらしたものだった。」

 

前回のブログで私の下手なミアシャイマー教授の翻訳を読んでくれた人には理解できると思うが、上記したウォルドロン教授の文章で日本の代わりにプーチンのロシア、アジアの代わりにヨーロッパと入れ替えるだけでそれはウクライナ戦争におけるミアシャイマー教授の主張と全く同じになるのだ。

 

というわけで、今回のウクライナ戦争と満州事変には意外な共通性が存在したのだ。