ここでもう一度マクマリー・メモランダムの内容について書いておきます。
日本が満州事変を起こす前までの中国の情勢は1921ー1922年のワシントン会議で決められた9カ国条約などのさまざまな法律で規定されていました。
そして満州事変が起こるまで、マクマリーによれば日本はこれらの法律をしっかり守っていたという。(ワシントン会議から満州事変まではちょうど日本のデモクラシーが開花した時期に当てはまります。)
問題は中国だった。ワシントン会議が行われていた時でも中国には安定した中央政府というものがなく、蒋介石が中国の統一に向けて北伐を開始するのがワシントン会議から間もない1926年のことだった。
このような時期に中国でもナショナリズムが行き渡るようになっていき、その攻撃的なナショナリズムが最初は英国に向かっていたものが次第に日本に対して向けられるようになってくる。
中国はナショナリズムを背景にワシントン会議などで決められた条約に対してそれを一方的に破棄するという「革命外交」を展開するのであった。
戦前の日本は現在よりはるかに中国に経済的に依存しており、中国の「革命外交」は日本にとって生存をかけた(existential)脅威となっていた。
そこで日本はこのような状態をどうにかしてもらおうとアメリカの力を借りようとした。ところが当時のアメリカは中国で活躍する宣教師たちの影響もあり中国に対して理想主義的な感情が存在し、新聞などでは蒋介石は中国のジョージ・ワシントンであると例えられていたぐらいだったからアメリカが日本のために中国に対して圧力をかけてくれることはほとんど考えられないのだった。
その結果、ますます中国のナショナリズムはますます日本に向かってくるようになった。
そこで当然日本国内でも、果たしてワシントン会議で決められた条約を守ることが本当に日本の国益になるのだろうかという疑問が持たれるようになり、特に軍部は怒っており、結局日本は「東アジアにおける正当な地位を保障するための強力な軍備」に頼るようになったとマクマリーは考えたのだった。
ここまでが日本が満州事変に至るまでのマクマリーの分析なのだが、このメモランダムには将来の予測も書かれており、それによれば、アメリカがこのまま中国のいうことばかり聞いて日本の正当な利益を無視すればいずれアメリカと戦争になるだろうと予測していた。
さらに日本との戦争においてアメリカが勝ったとしてもその利益はおそらくソビエトが持って行ってしまうだろうし、肝心の中国との関係においてもアメリカが中国を助ける形になっても中国には感謝されず、最後には米中が仲違いするだろうということを昭和10年の時点で書いていたのでした。
ところがこの文書を受け取った国務次官補である日本嫌いのスタンリー・ホーンベックは自身が考えるような結論では無かったために、この文書が実際のアメリカ外交に生かされることはなくアメリカ国務省の書庫に眠ることになってしまったのです。