全国山名氏一族会総裁 山名晴彦 | 墓守たちが夢のあと

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山名氏供養塔

 

墓誌

 

法名

 

 名門山名氏宗家(元村岡藩主)の当主で、社会運動家として活躍した山名義鶴の跡を継いだのは、娘婿の山名晴彦氏です。
 晴彦氏の父は、越前丸岡藩最後の藩主・有馬道純の長男、有馬純文子爵です。
 晴彦氏については詳しい経歴は分かりませんが、桜山御廟の墓誌には「防衛庁一佐」と刻まれていますので自衛隊で活躍された方のようです。
 室町幕府の有力守護大名で、かつて日本全国のうち1/6の国を領有し、「六分一殿」あるいは「六分一家衆」と呼ばれた山名氏を讃えようと、昭和61年(1986)全国の山名氏が集まり「全国山名氏一族会」が結成されます。
 宗家の当主である晴彦氏は総裁に就任。全国の山名氏ゆかりの地を訪ねるなど積極的に活動を展開していましたが、平成20年(2008)に晴彦氏ら中心メンバーが相次いで亡くなったことで、山名会は休会状態となります。
 そして、平成24年(2012)に備後山名家当主である山名(岩田)年浩(京都経済短期大学学長、元経済教育学会会長)を会長として活動を再開させたとのことです。


桜山御廟:兵庫県美方郡香美町村岡区村岡 御殿山公園内