子爵 有馬純文 | 墓守たちが夢のあと

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 有馬純文(ありま すみあき)は、越前丸岡藩の最後の藩主・有馬道純の長男で、道純の死後、子爵家を継いでいます。
 
 慶応4年(1868)に生まれた純文は、廃藩置県により家族と共に上京し学習院へ入学。明治15年(1882)には、嘉納治五郎が創設した「講道館」の3番目の入門者となっています。
 農科大学を卒業後、明治29年(1896)に近衛騎兵連隊へ入隊。明治31年には陸軍騎兵少尉となります。また、高等農学校講師、大日本農会農芸委員を歴任し、明治33年(1900)には東宮侍従となって、明治41年(1908)の皇太子(後の大正天皇)の韓国訪問に随行。明治43年(1910)には東久邇宮附宮内事務官に就任しています。
 有馬純文は、昭和8年(1933)に65歳で亡くなり、谷中霊園の父の墓の隣りで眠っています。
 
谷中霊園甲3号1側