越前丸岡藩の最後の藩主 有馬道純 | 墓守たちが夢のあと

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有馬道純夫妻の墓

 
 越前丸岡藩の最後の藩主・有馬道純は、天保8年(1837)に播磨山崎藩主・本多忠鄰の三男として生まれます。曽祖父が丸岡藩より養子に入った関係で、嫡男のいなかった第7代藩主有馬温純の養子となり、安政2年(1855)に家督を相続しています。
 有馬家は戦国時代のキリシタン大名として知られる有馬晴信の子孫で外様大名でしたが、正徳元年(1711)第2代藩主・有馬一準の時代に譜代大名へ格上げされています。理由は晴信の子、有馬直純(日向延岡藩主)の後妻が徳川家康の養女であったためだそうです。
 
 寺社奉行、奏者番、若年寄を歴任した道純は、文久3年(1863)に老中に就任。同年には将軍徳川家茂が上洛するなど、正に激動の時代に幕閣の中心人物として活躍しています。
 慶応4年(1868)、新政府に恭順した道純は、明治2年(1869年)版籍奉還により藩知事となりますが、明治4年(1871)廃藩置県により免官。明治17年(1884)に子爵を授爵され、明治36年(1903)に亡くなっています。享年66歳。
 
谷中霊園甲3号1側