自由民権運動家 後藤富哉 | 墓守たちが夢のあと

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後藤富哉の墓

 
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墓の脇の碑
 
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境内説明板
 
 徳川家重の側用人であった大岡忠光の墓所として知られる岩槻にある龍門寺には自由民権運動家・後藤富哉の墓もあります。後藤は岩槻藩士の家で生まれ、明治という激動の中、学業に力を入れて、埼玉師範学校(現埼玉大学の前身)、熊谷伝習校で学び、その後、岩槻に戻り平林寺小学校(河合小学校の全身)で7年間勤めます。
 その後、全国的に国会の開設や憲法制定などを求める「自由民権運動」が高まりを見せると、後藤はその中に身を投じていきます。
 「激化事件」にも参加していた後藤は急進的な自由党員が、警察分署や高利貸を襲った「加波山事件」で関連を疑われ、警察の追求を受けています。
 明治18年(1885)、26歳の時に土呂小学校(大砂土小学校の全身)の校長として教職に復帰しますが、その後も自由党の集会に出席したり、選挙応援演説を行い「自由民権運動」を継続。国家主義的教育を教えていた現場教師としては珍しい存在でした。
 
龍門寺: さいたま市岩槻区日の出町9-67