九代将軍 徳川家重 | 墓守たちが夢のあと

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 九代将軍・徳川家重は正徳元年(1712)に紀州藩5代藩主・徳川吉宗の長男として赤坂の紀州藩邸で生まれます。父の吉宗が八代将軍に就任すると共に江戸城へ入ります。

 

 家重は言語が不明瞭で脳性麻痺であったと言われています。そのため文武に長けた弟の宗武を将軍継嗣にとの声も上がりますが、吉宗は延享2年(1745)に隠居し、家重を第9代将軍とします。ただ、吉宗は大御所として実権を握り続けたままでした。これは、家重の長男・家治が非常に聡明であったためで、家治は祖父吉宗から英才教育を受けています。また、吉宗は享保の改革を巡って御三家の尾張徳川家と対立したこともあって家重の弟・徳川宗武(田安家)、徳川 宗尹(一橋家)、家重の次男・徳川 重好(清水家)を新たな御三家といえる御三卿として独立させ、将軍のサポートをさせています。
 家重は父吉宗が行った改革の成果と有能な側近・大岡忠光がいたため、無事に過ごせたと評価する人々もいます。一方で、それは脳性麻痺への偏見であり、言語は不明瞭であっても思考はしっかりしていて大岡忠光や田村意次など有能な人材を登用し政務に当たらせる確かな目を持っていたという意見もあります。
 家重の言葉をはっきり理解できたのは大岡忠光だけだったと言われ、宝暦10年に忠光が亡くなると、家重は家治に将軍職を譲り、翌年に49歳で亡くなっています。

東京都港区芝公園四丁目 増上寺 徳川家霊廟  Googleマップ
撮影:2011.8.14