清水家 初代当主・徳川重好 | 墓守たちが夢のあと

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清水家墓所
 
 御三卿は、一般的に第8代将軍徳川吉宗により創設されたと言われていますが、当初創設されたのは吉宗の息子を初代とする田安・一橋の二家で、清水家は第9代将軍徳川家重の次男重好を初代とし、吉宗が亡くなった後に創設されています。
 
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徳川重好の墓。右の墓は正室・伏見宮貞建親王の娘・貞子女王
 
 重好の父、家重は言語障害があり、そのため兄弟と間に将軍家後継問題で確執がありましたが、重好の場合、兄の徳川家治は幼少より聡明で次期将軍の座が約束されていた事から兄弟の仲は大変良く、家治は将軍就任後も度々清水家の屋敷を訪問していたそうです。
 しかし、安永8年(1777)に将軍世子の家基が亡くなった際に、家治は実弟の重好ではなく徳川一門の中で力を増していた一橋治済の長子・豊千代(徳川家斉)を養子とし後継者としています。
 天明6年(1786)に家治が亡くなり家斉が将軍に就任する中、重好は寛政7年(1795)に死去。享年51歳。重好に子供は無く、家重の血筋は断絶することになったのです。
 
 
戒名 峻徳院殿対空遊心大居士
東京都台東区谷中 谷中霊園 寛永寺徳川家墓地